第十八章其の壱 休憩
――真っ暗な闇に覆われた深い森の道なき道を、一本の松明の光を頼りにしながら、三人の人影が縦に並んで歩いていた。
「……」
誰も口を利かない。ただ黙々と草を掻き分け、粛々と足を動かす。
歩き続けて、どのくらい経っただろうか。
三人の目の前に、白い波を立てながら流れる幅の広い川が現れた。
「……やっと、川まで出られましたね」
三人の内で最も小柄な人影が、乱れた息を吐きながら、安堵の響きを含んだ声を上げた。その声は、艶やかな女のものだ。
その声に応えるように、先頭を歩いていた人影が、松明を高く掲げて川面を照らしながら大きく頷いた。
「うん。真っ暗闇で道を見失いはしないかとヒヤヒヤしながら歩いてきたが、どうやらちゃんと道を辿って来れていたらしいね。ここまで来れば一安心だ」
そう言って、彼は川岸に転がっていた大きな岩のひとつに腰をかける。
「ふぅ……。ここまで歩き詰めで疲れただろう。少し休憩しよう、薫くん、槙田さん」
「はい、鳴瀬先生」
岩に腰かけた男――牛島聡の言葉に、小柄な女性――槙田沙紀は素直に頷いた。
だが――、
「……」
もうひとりは、まるで牛島の言葉が聞こえていないかのように、無言のまま立ち尽くしている。
そんな連れの様子を見て、牛島は訝しげに首を傾げた。
「……どうしたんだい、薫くん? ボーっとして……何か、気がかりな事でもあるのかい?」
「……あ、い、いや……」
牛島の言葉にハッと我に返った様子の来島薫は、びくりと肩を震わせると、首を激しく横に振った。
「べ……別に、何でもねえよ……」
「うふふ……無理も無いわよねぇ」
薫の否定の言葉に苦笑いを浮かべたのは、沙紀だった。
彼女は、薫に竹筒で作った水筒を差し出しながら、その顔を覗き込んだ。
「来島くんは、アジトに残ったふたりの事を心配しているんでしょ? ……あ、心配しているのはひとりだけかしら?」
「なッ……? そ、そんな事は……」
薫は、悪戯っぽい表情を浮かべながら尋ねかける沙紀から逃れる様に顔を背けた。
そして、目を泳がせながら、言い訳のように言葉を継ぐ。
「お……オレは別に……あんなクソお転婆の事なんか――」
「んー? 誰も天音ちゃんの事だなんて言ってないわよ?」
「いっ……いやっ! その……」
「うふふ。いいわねぇ、若いって」
沙紀は、慌てふためく薫の様子を見ながら、愉快そうに笑った。
「ははは……薫くんをあんまりからかっちゃいけませんよ、槙田さん」
携帯食として持って来ていた干し肉を嚙みながら、牛島も苦笑いを浮かべつつ、沙紀の事をやんわりと窘める。
「こんな格好をしていても、薫くんはまだまだ初心ですから。彼の真剣な想いを茶化しちゃいけませんよ」
「あ、そうですわね、鳴瀬先生」
「……うるせえよ」
牛島の言葉に、憮然とした表情を浮かべながら、ぼそりと言い捨てる薫。
――だが、その心中を占めていたのは、“安堵”だった。
(……どうやら、気取られている訳じゃなさそうだ。――オレが何を考えてるかを)
彼が森の中を歩いている間、ずっと脳裏に去来していたのは、あるひとつの“疑惑”。……いや、もはや“疑惑”ではなく、限りなく“確信”に近いものだった。
――だが、その“確信”は、絶対に気取られてはいけない。
そう――目の前で穏やかな笑みを浮かべているこの男にだけは……!
(……健一を殺したのは、ホムラじゃなく――)
「――どうしたの? いつもの来島くんらしくもない……」
「あ――いや……」
危ない。どうやら、少し表情に出てしまったようだ。
「ほ……本当に、何でもないっすよ……」
懸命に平静を取り繕い、引き攣った笑いを浮かべる。
――一瞬、(姐さんには打ち明けるか……?)という考えが頭を擡げるが、すぐに打ち消した。
(……ダメだ。それじゃ、何も知らない姐さんまで巻き込む事になる)
――『オリジンを頼れ。オリジンに、お前が胸に秘めている事を全て打ち明けるんだ』
数時間前に、アジトで斗真に言われた言葉を思い出す。
何かと人を小馬鹿にした言動が多く、飄々として掴みどころが無い斗真の事を薫はあまり信用していなかったが、彼の言う事は間違っていない……今は、何となくだがそう感じる。
(……やっぱり、オリジンの村に着くまでは、何も気付いていないフリをし続けるんだ。村に着いたら、まず――)
「あ」
「……ッ?」
沙紀から手渡された水筒に口をつけながら、今後の事に思いを巡らせる薫だったが、急に牛島が上げた声に、びくりと身体を震わせた。
ひょっとして、心の内を悟られたか――そう思って、咄嗟にポケットの中に手を入れかける薫だったが、声を上げた牛島の視線が自分ではなく、自分の頭上に向いているのに気付く。
自分も頭上を振り仰ぎ、牛島の視線の先へと目を向ける。
そして、自分の目を疑った。
「ほ……炎の……鳥?」
彼の目に映ったのは、翼を羽搏かせながら満天の星の海を悠然と泳ぐ、鳥の形をした炎の塊だった。
呆然とする薫の背後から、牛島の感嘆の声が上がる。
「あの方向は……ちょうどアジトの方向だね。なら――」
「周防くん……装甲戦士ニンジャの新しい技か何かでしょうか?」
「あるいは……疾風くん――装甲戦士テラか、もうひとりの方の可能性もあるよ」
沙紀の推測を補足しつつ、牛島は顎の無精髭を撫でた。
「いずれにしても……ここまで離れた場所からも、あんなにハッキリと見えるくらいだ。随分と強力なもののようだね。……君もそう思うだろう、薫くん?」
「え……? あ、あぁ……そうだな……」
牛島に名を呼ばれ、内心でギクリとしつつ、曖昧に頷いてみせる薫。
その答えを聞いた牛島は、ほんの少しだけ口角を歪めると――おもむろに岩から腰を浮かした。
「……どうやら、こんな所でおちおちと休んでいる暇も無いようだ。もう出発するとしよう」
「はい、鳴瀬先生」
「お……おう」
牛島の声に、沙紀と薫も頷く。
――と、その時、
「さて……その前に」
そう何気なく呟いた牛島が、再び薫に目を向けた。
その視線が、薫の視線とぶつかる。
「――ッ!」
その瞬間、薫の背筋に電流のような寒気が走った。
「あ……かはっ……」
まるで、横隔膜がその動きを止めたかのように、薫は呼吸ができなくなった。彼は鳩尾を押さえ、餌をねだる鯉のようにパクパクと口を開きながら、必死で空気を肺に取り込もうと喘ぐ。
そんな彼を、氷よりも冷たい瞳でジッと見据えながら、牛島は淡々と言葉を継いだ。
「どうやら……君は、私に何か言いたい事があるようだね」
「あ……」
「さあ、聞かせてもらおうか、君が心の内に秘めている事を。ねえ――来島薫くん」




