第十七章其の壱拾肆 信託
「さて……と」
天音に背中を支えられていた斗真は、一瞬だけふっと寂しげな表情になった後、膝に手をつき、ゆっくりと立ち上がった。
「す……周防さん、もう少し、休んだ方が――」
「いや……大丈夫。ありがとう、アマネちゃん」
自分の身体を気遣う天音に笑いかけた斗真は、碧の腕に支えられたままのハヤテの事を見下ろし、穏やかな声をかける。
「じゃあ……焔良さん。己は、そろそろ行くとするわ」
「え……?」
斗真の言葉に戸惑いの声を上げたのは、碧だった。
「行くって……どこに?」
「そりゃ、仲間のところさ」
碧の問いかけに、涼しい顔で答える斗真。
「元々の己の役目は、アンタらの足止めだからな。これだけ時間を稼げば十分だろう。焔良さんもアオイちゃんも、追いかけてこられる状態じゃなさそうだしな」
「……」
「欲を言えば、焔良さんと君の息の根を止めて、その“光る板”をまとめてゲットしたかったところだけどさ……。ま、戦いの副産物として、この“互根虎ノ巻・陰”を手に出来たんだから、収穫はあったわな」
そう言いながら、斗真は手にした黒い巻物をフルフルと振ってみせた。
と、
「ま……待て、周防斗真――」
ハヤテが、碧に支えられたままの姿勢で斗真の顔を見上げ、声をかける。
「その傷で、森を歩くのは大変だ。それよりも……牛島たちのところに戻らずに、俺たちと一緒にいないか?」
「は……ハヤテさん?」
「……っ!」
思いがけないハヤテの提案を聞いた碧と天音は、驚きの表情を浮かべた。
声をかけられた斗真も、驚いた様子で一瞬目を大きく見開くが――すぐに首を横に振る。
「せっかくの提案だが……断るよ」
「……」
「え? どうしてよ?」
キッパリと断った斗真に、碧は思わず尋ねた。
斗真は、碧に向かって苦笑いを浮かべながら答える。
「そりゃあね……。焔良さんは、完全な善意から言ってくれたんだろうけどさ。アンタらと一緒に居ろって事は、猫獣人たちと一緒に居ろって事だろ? そんなおっかない事、出来るかよ」
「そ……そんな事は――」
「無理無理!」
なおも言い募ろうとする碧に苦笑を向けて、斗真はもう一度キッパリと首を横に振った。
「だって己は、今までさんざんっぱら猫獣人を殺してきたんだぜ。今夜も、な。あそこの森の中には、己が斬り刻んだ猫獣人の死体がゴロゴロ転がってるんだ。……焔良さん、アンタと仲が良かったっぽい、あの黒猫も含めて、な」
「……ッ!」
「え……? 仲が良かった黒猫って……まさか、ヴァルトーさん……?」
斗真の言葉を聞いたハヤテと碧の顔色が変わる。
そんなふたりの反応を尻目に、斗真は更に言葉を続けた。
「――そんな己が、猫獣人共と一緒に居るなんて不可能だろ? すぐにとっ捕まって、さんざん責め苛まれた上で八つ裂きにされちゃうよ。こんな異世界くんだりまで堕とされた上にそんな最期を遂げるなんて……真っ平御免さ」
「そ……そんな事はさせない! ――俺が、ちゃんと猫獣人に事情を説明して、納得してもらうから。だから――」
「だから……己は、そんな事をしてほしいなんて、毛先ほども思ってないんだってばよ」
なおも説得しようとするハヤテに、苦笑いとも嘲笑ともとれる笑みを向け、斗真はもう一度首を横に振る。
そして、傍らに立っていた天音の背中に手を当て、ハヤテと碧の方に向けて優しく押し出した。
「え……? す、周防さん、何を――?」
「……でも、この娘は話が別だ。任せていいか、焔良さん?」
「えっ?」
唐突に背中を押された上、斗真の口から思いもかけない言葉が紡がれるのを耳にした天音は、思わず絶句する。
そんな彼女の驚きもお構いなしといった様子で、斗真は言葉を継いだ。
「アマネちゃんは、俺たちとは違って、今まで猫獣人を殺した事が無い。ついこの間までずっと、後方のオリジンの村に居たからな。だから、アマネちゃんなら猫獣人たちにも受け入れてもらえるはずだ。アンタや、アオイちゃんを受け入れてくれたのと同じように、な」
「……そうだな」
斗真の言葉を聞いたハヤテは、彼の目をじっと見つめて、大きく頷く。
「――分かった。アマネの事は、俺が護ってみせる。安心して任せてくれ」
「……善し。その言葉、信じるぜ、焔良さん」
「ちょっ……ちょっと待ってよ!」
ふたりの会話に血相を変えて割り込んだのは、天音だった。
彼女は、ブンブンと大きく頭を振りながら、必死の形相で斗真に訴えかける。
「か、勝手に決めないで! 何で、あたしをひとりだけ置いていこうとするの、周防さん!」
「……いいから。アマネちゃん、己の言う通りにするんだ」
激しく拒絶する天音に向けて頭を振った斗真は、諭すように言い聞かせる。
「……君は、己たちとよりも、焔良さんと一緒に居た方がいい。――いや、居るべきなんだ」
「何で……ッ? どうして――」
「その様子じゃ、もう君も気付いているんだろう」
「何を……?」
「健坊を殺したのが、焔良さんなんかじゃないだろうって事」
「……っ」
「そして――」
斗真はそう言うと、その目に真剣な光を宿し、静かに言葉を継いだ。
「焔良さんが、君の幼馴染のニシナショウゴ本人だという事を」
「――ッ!」
斗真の言葉を聞いた天音の眼が、驚きで大きく見開かれる。
「どう……して……その事……を?」
「……己は“装甲戦士ニンジャ”だからね。他人の隠し事を知るのは得意なのさ」
天音の問いかけに、冗談めかして答える斗真。
そして、ふっと表情を和らげて、天音の頭を優しく撫でた。
「……詳しくは言えないけど、今の君は、己たちのところに戻るより、焔良さんたちと一緒に居た方が安ぜ……いいと思う。彼は信用できる男だ。さっき口にした通り、君の事を絶対に守ってくれる。――それは、装甲戦士テラと戦った己だから、確信できる」
「でも……」
「それに――君はまだ、焔良さんとゆっくり話も出来ていないのだろう?」
斗真は、穏やかな口調でそう言うと、ハヤテの方をチラリと見た。
「いい機会だ。彼と、とことん話をするんだ。そして、その上で、自分がどうしたいのか決めるんだ。君がきちんと考えた上での君の決断を、きっと彼は尊重してくれる。――己もな」
「周防さん……」
「アマネちゃん……」
斗真は、そっと天音の頬に掌を添えた。そして、天音の頬の柔らかな感触と温かな体温を掌で感じながら、まるで肉親にかけるかのような声色で、静かに告げる。
「どうか、悔いの無い選択をしてくれ。――幸せにな」




