第十七章其の壱拾参 不殺
木に凭れかかった斗真の姿も、ハヤテと負けず劣らず酷いものだった。
全身のあちこちに出来た擦過傷や切り傷、そして真新しい火傷の痕――。
だが、その上半身と下半身は泣き別れてはおらず、ちゃんとくっついたままだった。
「じゃ……じゃあ、あそこに転がっているニンジャの身体は――?」
当惑した声を上げながら、碧は地面の上に転がる二つの物体に目を向けた。
「あ……」
そして、驚きの声を漏らす。
彼女の目の前で、ニンジャの装甲の切断面から黒い靄が溢れ出し、その量が増すのと反比例して、ニンジャの漆黒の装甲が氷のように融け崩れ始めたからだ。
やがて、ニンジャの装甲だったものは、黒い靄霧と化し、跡形もなく消えてしまった。
それを見た碧は、木に凭れかかってニヤニヤしている斗真に向かってジト目を向ける。
「……この前と同じ技で、装甲だけ残して逃げたんだ」
「ご名答。ただ、全く同じ技じゃないよ。前の時は『火遁術・陽炎』で、今回のは『陰遁術・陰虚』さ」
「……名前が違うだけじゃない」
斗真の答えに白け顔をする碧。
「それを言っちゃあお終いだよ」
その的確な言葉に、斗真は苦笑いを浮かべると、「……よっと!」と掛け声をかけて、背中を預けていた木の幹から体を起こした。
「……ッ!」
「ああ……そんなにビビんなくても大丈夫だよ」
ハッとして身構える碧に向かって、戦意が無いと示すようにヒラヒラと手を振ってみせる斗真。
「『陰遁術・陰虚』も『火遁術・陽炎』と同じで、一度発動してしまったら、しばらくの間は装甲を纏えない。……まあ、それ以前に、もう身体がボロボロで、とても戦える状態じゃないんだよ。ぶっちゃけるとね」
「どうだか……」
「やれやれ、信用が無いなぁ……」
碧の疑いの眼差しに晒され、力無く笑う斗真だったが、確かにその足取りはおぼつかない。
「……おっ……と」
突然、彼は大きくバランスを崩し、その場でよろけた。
「す、周防さんっ!」
すかさず天音が駆け寄り、彼の身体を支える。
「無理しないで下さい、周防さん! もう、立っているのも辛いくらいなんでしょう、本当は!」
「はは……いい年して怒られちゃったよ」
斗真は脂汗を浮かべた顔に、それでも薄笑いを浮かべ、天音の腕に体重を預けながら、その場にゆっくりと腰を下ろした。
そして、碧に支えられたハヤテを見て自嘲交じりに笑う。
「やれやれ……お互い、ざまあないな、焔良さん。――ところで」
――ふと、斗真の眼が鋭くなる。
「アンタ……何であの時、あのタイミングで拘束を解いたんだ?」
「え……?」
「……」
斗真の上げた鋭い声に、思わず気圧される碧。一方のハヤテは、斗真をじっと見つめながら、黙っていた。
そんな彼の様子に構わず、斗真は言葉を継ぐ。
「あの時――アンタのフェニックスなんちゃらかんちゃらが当たる直前、己の手を縛りつけていたマグマが急に消え去った。だから、慌てて『陰虚』の印を結んで、間一髪のところで逃げられたんだが……あれは、わざとだろ?」
「……まあ、な」
「――舐めてんのか、アンタ?」
ハヤテに向けられた斗真の声には、微かに怒気が含まれていた。
「今のは、己とアンタの真剣勝負だったはずだ。なのに、直前であんな手心を加えるとは――」
「……確かに、俺とお前は勝負をしていた。でも――」
そこで一旦言葉を切ると、ハヤテは斗真の顔をじっと見据え、それから静かに言葉を継ぐ。
「――生憎と、俺は“殺し合い”をしているつもりは無かったんでな」
「……ッ!」
「あの時点――“フェニックス・ダウン・バレット”を放った時点で、俺とお前の勝負はついていた。だから、お前の手の拘束を解いて、印を結べるようにしたんだ」
「――甘い!」
斗真は声を荒げた。
「甘いよ、焔良さん! もし……あの時、己が“陰虚”以外の術を使っていたとしたら、アンタの勝ち目は無くなったんだぞ?」
「でも……現にお前は、“陰虚”を使ったじゃないか。――俺の計算通り」
「ぐ……っ」
ハヤテの切り返しにぐうの音も出なくなる斗真。
そんな彼に微笑みかけながら、ハヤテは話を続ける。
「……もちろん、お前が絶対に陰虚を使うように仕向ける為、色々計算はしたさ。腕の拘束を解くタイミングとか、な」
「……それでも、言わせてもらうぜ」
と、憮然とした表情を浮かべながら、斗真は言った。
「焔良さん、アンタは甘い。この世界での、装甲戦士同士の戦いは、即ち“殺し合い”だ。殺せる時に確実に殺しておかないと、いつかしっぺ返しを食らう事になるぜ」
「『甘い』……か」
ハヤテは、斗真の言葉を反芻すると、何故か苦笑いを浮かべる。
「その言葉……戦う度に言われている気がする。――薫にも、シーフにも、牛島にも、そして……健一にも」
「……!」
ハヤテの口から健一の名が出てきた瞬間、天音の表情が強張った。
「……」
彼女の動揺を背中越しに感じた斗真は、その手を無言で握り、ジッとハヤテの顔を見据えながら、静かな口調で訊ねた。
「そこまで皆に言われているっていうのに……何でアンタは、それでも不殺を貫こうとするんだ?」
「それは……」
斗真の問いに、ハヤテは少しだけ考え込み、そして、
「俺が“装甲戦士テラ”であり、“焔良疾風”でありつづける為に……かな?」
僅かに迷いながらもそう答える。
「……俺の知っている装甲戦士テラ――そして、“焔良疾風”は、たとえ敵であっても、決して命を奪おうとはしなかった。だったら、この世界での装甲戦士テラ――焔良疾風もそうあるべきだ。……そうしないと、元々“焔良疾風”のニセモノである俺は、装甲戦士テラとして、二度と戦えなくなる。だから……」
「――そうか。そういう事か」
彼の答えを聞いた斗真は、僅かに目を細めると、ハヤテに穏やかな笑みを向けた。
「なるほどな……。アンタは、この異世界で『装甲戦士テラ』というドラマの主人公である“焔良疾風”というキャラクターを演じ、いずれはそのものになろうとしているのか。だから、正義の味方として、不殺を貫こうと――」
「正直……俺自身、なかなか他人に理解されるとは思わないけどな」
そう言って寂しそうに笑うハヤテに、斗真は「いや……」と小さく頭を振る。
そして、
「……その気持ち、良く分かるぜ。――少なくとも、アクション俳優として、色んなヒーローの役になり切って演じてきた己には、な」
と、静かに呟いたのだった。




