第十七章其の陸 風音
テラは、吹き飛ばされた自分の身体を受け止めた白磁色の装甲戦士を凝視しながら、呆然としていた。
戸惑いを隠せない様子で、彼は彼女に尋ねかける。
「は……ハーモニー……い、いや、アマネ……。な、何でお前が、俺の事を?」
「あ……あたしは……ええと、その……」
「だって……今の俺とお前は、敵同士で……その上、俺の事を『健一の仇』だって――」
「そ、それは……確かにそうだけど……」
テラの問いかけに対し、一瞬言い淀んだハーモニーだったが、すぐに小さく首を横に振ると、彼の目を真っ直ぐに見返しながら答えた。
「あ……あなたには、訊きたい事があるから。だから……まだ死なれちゃ困るのよ!」
「き、訊きたい……事?」
戸惑いながら訊き返すテラには構わず、すっくと立ち上がったハーモニーは、彼女たちから離れた場所で黙ったまま立ち尽くしている漆黒の装甲戦士の方へと向き直った。
ハーモニーの視線に気付いたニンジャは、おどけた様子で大げさに肩を竦めてみせる。
「おいおい、どうしたんだ、ハーモニー? 男と男の一対一の勝負に割り込んでくるなんて、随分と野暮な真似をしてくれるじゃないかよ。しかも、己の記憶違いでなければ、今助けたその男は、君にとっては憎き仇だったはずじゃなかったっけ?」
「……それが、分からなくなったんです」
冗談めかしながらも、鋭い険を含んだニンジャの言葉を受けて微かにたじろぎながらも、ハーモニーは頭を振った。
そして、キッと顔を上げると、ニンジャの顔を真っ直ぐ見つめて言葉を継ぐ。
「あたしがこれまで信じ込んでいた事が、本当に真実なのか……って。だって、それまであたしが知っていた事って、聡おじさんや周防さんやカオルから聞いた事ばっかりだったから。……だから、この人ともキチンと話をして、その上で自分なりに判断をしよう、って……」
「……ふぅん。だから、彼がこの場で己に殺されるのは困るから助けたっていう事か?」
「――っていうか!」
と、ハーモニーは、ニンジャに訴えかける。
「あたしたちが聡おじさんから頼まれていたのは、『聡おじさんたちが安全な距離まで逃げられる時間を稼ぐ』って事だったじゃないですか! その時間は、もう充分に稼げたでしょう? もう、ここから退いてもいいはず――」
「……生憎とね、その“勝利条件”は変更になったんだよ。己の中では、な――!」
そう言うや、ニンジャは手に持っていた忍一文字を頭上に放り投げた。
「今の己の必須勝利条件は……装甲戦士テラ――焔良疾風の息の根を止めて、後顧の憂いを断つ事だよ!」
ニンジャはそう叫ぶと、素早く両手で印を組む。
「――『忍技・陰塗』!」
次の瞬間、ニンジャの身体を中心にして、漆黒の闇が半球状に広がり始める。
「マズい――!」
「……ッ! 掴まって!」
テラが上げた切羽詰まった声に、ニンジャ陰遁形態の事を知らないハーモニーも、彼が展開しようとしている真闇の空間の危険性を悟った。
彼女は、咄嗟にふらつくテラの身体を抱きかかえ、“超音速縮地”を発動してその場を離れようとするが――、
「くっ……う、動かない!」
先ほどのルナとの戦闘で消耗した今の彼女では、重量のあるテラ・タイプ・マウンテンエレファントの身体を持ち上げるのは、文字通り“荷が勝ち過ぎた”。
もたつくハーモニーとテラの元に、ニンジャが広げた“陰塗”の領域が着実に迫り来る――!
……と、その時、
「――もうっ! 何やってんの!」
一陣の旋風が吹いたと感じたと同時に、聞き覚えのある声がふたりの耳朶を打つ。
「「――ルナ!」」
「ほら、そっち持って、ハーモニー!」
「う、うん!」
風に乗って現れた装甲戦士ルナ・タイプ・ウィンディウルフ/アナザーに頷いたハーモニーは、彼女の指示に従ってテラの左脇の下に腕を伸ばし、肩を貸すようにして持ち上げた。
「よし――行くよッ!」
「分かった!」
彼女と同じように、テラに左肩を貸したルナの声に頷くと、ハーモニーは即座に超音速縮地を発動する。
次の瞬間、猛烈な風を残して、三人の姿は掻き消えた。
「……チッ!」
紙一重のところで、“陰塗”の領域内にテラを捉えられなかった事を悟ったニンジャは、闇の中で舌を打ち、術を解除する。
ニンジャは、陰塗の真闇が晴れ、元の明るさに戻った周囲を見回す。すると、三十メートルほど離れた大木の影で、テラたちと思しき影が蠢いているのが見えた。
「そこか……」
彼は、落下してきた忍一文字を逆手で巧みにキャッチすると、テラを今度こそ一撃で仕留めるべく、自分の愛刀の刃に陰の氣を籠めはじめた。
――一方、
「……危なかったね、テラ」
必死の思いでニンジャから距離を取り、大木の陰に身を潜めたルナは、肩で息を吐きながら満身創痍のテラに声をかけた。
木の幹に背を預け、深く裂けた胸部装甲を掌で押さえながら、テラは小さく頷く。
「ああ……助かったよ。ありがとう、ルナ。……そして、ハーモニー」
「べ……別に、助けようとした訳じゃ……」
テラに礼を言われ、戸惑うハーモニー。
一方のルナは、誇らしげに胸を張ってみせた。
「えへへ……! 走っても間に合わないと思って、ふたりの身体をトルネードスマッシュで吹き飛ばした私の機転、すごいでしょ? 褒めて褒めて!」
「いや……まあ、うん……」
有頂天の様子のルナを前に、テラは曖昧に言葉を濁す。
と、
「……マズい! ニンジャ……まだ戦る気みたい……!」
「!」
ハーモニーの上げた声に、テラとルナに緊張が走る。
ふたりが木の陰から首を伸ばしてニンジャの方を窺うと、果たして彼女の言う通りだった。
彼の持つ忍一文字の刃身を覆うようにして、徐々に陰の氣が集まりつつあるのが見える。
ルナが、テラの腕を引っ張り、小さな声で囁いた。
「……どうする? このまま逃げちゃう?」
「……いや」
ルナの問いかけに、テラは小さく首を横に振る。
そして、無数の損傷が刻まれたふたりの装甲を指さして、静かに言った。
「俺はもちろんだけど、見たところ、君たちも万全とはとても言えない状態のようだ。ここで逃げを打っても、すぐにあいつの“忍技・陰渡”で追いつかれてしまうだろう。……逃げるのは得策じゃない」
「じゃあ……あたしがもう一度あの人にお願いすれば――」
そう口にするハーモニーの顔を見て、テラは再び頭を振った。
「いや……。さっきの態度で分かった。ニンジャは、俺の命を奪う事を固く心に誓って……半ば義務だと考えているようだ。残念ながら、味方であるお前の説得も通じないだろう」
「……っ!」
「じゃあ……どうするの?」
焦りを滲ませたルナの言葉に、テラは一瞬考え込み――そして、意を決したように顔を上げた。
「出来れば、この手はもう使いたくは無かったが……」
彼はそう呟くと、ルナの顔をじっと見つめ、切り出した。
「……ルナ。頼みがある」
「な……何?」
その真剣な声に微かな不安を覚えつつ、ルナは訊き返す。
すると、テラは彼女の胸元を指さし、決然とした声で言った。
「君のコンセプト・ディスク・ドライブを、少しの間だけ、俺に貸してくれ」




