第十七章其の伍 機転
辺りを覆っていた黒闇が薄まり、弱い星の光によって、肩で息をする装甲戦士ニンジャ・陰遁形態の漆黒の装甲姿が浮かび上がった。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
荒い呼吸を整えようと、肩で息を吐いていたニンジャは、逆手に持っていた忍一文字を一振りし、その刃身に纏わりついていた陰の氣の残滓を振り払う。
そして、首に手を当ててコキコキと鳴らしながら、小さく息を吐いた。
「ふぅ……。ぶっつけ本番で試してみた“陰塗”と“陰渡”のコンボだけど、何とか上手くいった。その分、気力をゴリゴリに削られるが……」
そう独り言つと、彼は星の光を反射して鈍く光る忍一文字に視線を落とす。
「でも……その上での“陰刻”発技は、さすがに無理ゲーだったな。陰刻の方に気力を集中させたせいで、陰塗の領域を維持しきれなかった……」
そう呟いて苦笑いを漏らしたニンジャは、「それに……」と、技を放った反動で小刻みに震える左手を見つめた。
いや、左手だけではない。
震えているのは、彼の全身だった。
――装甲戦士ニンジャ・陰遁形態の最大の必殺技である、“忍奥義・陰刻”。
陰の氣を刃身に乗せた忍一文字を超高速で振るい、敵の身体を何度も斬りつける大技で、刃身に乗せる陰の氣が濃ければ濃い程、その技の斬れ味は冴えわたる性質がある。
よって、真なる闇である“陰塗”の領域内で放つ“陰刻”の威力は、通常のものよりも何倍も引き上げられる――。
だが、技の威力が引き上げられるのに比例して、身体に返ってくる反動も大きくなる。――当然、ニンジャもその事は予測していたが、
「……さすがに、ここまで反動がデカくなるとは思ってなかったな。――本番前に分かって良かった」
そう意味深に呟くと、視線を落とした。
彼の視線の先で、地面の上にうつ伏せに倒れたまま、ピクリとも動かないのは――テラだった。
灰色の装甲に覆われた背中を見下ろしながら、ニンジャは安堵とも呆れともつかない溜息を漏らす。
「さすがにタフネスのアンタでも、己の最終フォームの必殺技の直撃には耐え切れなかったみたいだな? ……って、もう聞こえないか」
そう言って、乾いた嘲笑い声を上げようとしたニンジャだったが――、
「……いや、おかしいな」
ふと違和感を覚え、訝しげに首を傾げた。
そして、改めてテラの姿を見下ろす。
(……陰刻で息の根が止まっているのなら、テラの装甲は解除されて、装甲アイテムは空の“光る板”に戻っているはず。なのに、まだコイツは装甲を纏ったまま……という事は――)
ニンジャは、右手に持った忍一文字の柄を握り直すと、倒れているテラの傍まで歩を進めた。
「……」
彼は無言のまま、両手で握り締めた忍一文字をゆっくりと振り上げ、テラの首元に狙いを定めた。
「は――ッ!」
そして、裂帛の気合の声を上げながら、忍一文字を振り下ろす。
ガギィ――ンッ!
「……くくっ」
忍一文字の刀身が地面を深く抉ったのを見て、ニンジャは含み笑いを漏らした。
「この期に及んで狸寝入りとは、随分と余裕じゃないかい? ――テラ!」
「……狸寝入りなんかじゃ……ない……」
ニンジャの声に、忍一文字の刃が自分の首に届く寸前で地面の上を転がる事で、辛うじて必殺の一閃を躱したテラが、ゆっくりと身を起こしながら答える。
ふらつく足で懸命に踏ん張り、ようやくの思いで立ち上がったテラは、ニンジャの姿を見据えながら、フルフルと頭を振った。
「実際……お前の剣が、俺の首筋目がけて振り下ろされる直前まで、俺は気を失っていたんだ。もう少し、意識が戻るのが遅かったら……」
「……なるほどね」
立ち上がったテラの姿を見たニンジャは、小さく頷いた。
「アンタの仮面に生えてた象の鼻と牙――咄嗟にそれを楯代わりにして、己の“陰刻”を防いだって訳か……」
「……防げては、いないな……。幾分か威力を削いだだけ……だ」
ニンジャの言葉にそう答えながら、テラは胸元を押さえた。
それは、痛々しい姿だった。
彼の胸部装甲には、“陰刻”で斬りつけられた深い傷がいくつも刻まれ、無数に走った亀裂からは、装甲の下の生身から噴き出した鮮血が滲み出ている。
その上、装甲戦士テラ・タイプ・マウンテンエレファントの一番の特徴であるビッグノーズとチタニウム・タスクは、根元からスッパリと切断されていた。
「ビッグノーズはともかく、特殊合金製のチタニウムタスクまで、まるで竹のように容易く両断するなんて……。“忍奥義・陰刻”――思った以上の威力と切れ味だ……」
「……褒めてもらえて、光栄だね」
満身創痍といった体のテラを油断なく睨みつけながら、ニンジャは低い声で答える。
軽薄な言葉とは裏腹に、その口調は固く冷たいものを孕んでいた。
「っていうか、こっちこそ、正直驚いたぜ」
そして、アイユニットを怪しく光らせながら、テラの事を睨みつける。
「さっきの一撃を食らってなお息があるどころか、立ち上がってこれるとはね。“陰塗”からの“陰刻”は、文字通りの必殺技として、結構自信があったんだぜ?」
「……」
「――決めた」
ニンジャはそう呟くと、忍一文字を逆手に持ち替えた。
そして、その刀身に意識を集中させ、練り上げた陰の氣を纏わせながら、殺気の籠もった声で言う。
「今この場で、アンタの息の根を止める。止めなきゃならない。――今回だけじゃない。最初に戦った時にも感じた、戦闘に際してアンタが発揮する機転としぶとさ……後々、己たちにとって危険なものになる気がする」
「……!」
「何度打っても飛び出るような釘は、もう一度打つよりも抜いちまった方が早い。――幸い、今のアンタはグラグラで、すぐにでも引っこ抜けそうだから――なッ!」
「ッ!」
言葉の終わりと同時に、ニンジャは掌に仕込んだシノビ・クナイを放った。
それと同時に、陰の氣を纏わせた忍一文字を構えて、地面を蹴る。
「くっ!」
不意を衝かれたテラは、飛んできたシノビ・クナイを辛うじて避けたものの、体のバランスを崩して大きくよろけた。
斜めになった視野で、忍一文字を構えながら突進してきたニンジャの姿を捉えるが、バランスを崩した体勢では、彼の剣閃を躱す事も受ける事も出来ない――。
「忍奥義・陰――」
(……ダメだ、殺られ――!)
どす黒い陰を纏った忍一文字の刀身が、弧を描いて自分に迫るのを凝視しながら、テラは己の死を悟る――。
と――その時、
「――トルネードスマァッシュッ!」
突然、聞き覚えのある声が、彼の耳に飛び込んできた。
それと同時に、激しい衝撃がテラの身体を襲う。
「――ッ?」
突如として渦を巻いた突風に吹き飛ばされたテラは、まるで木の葉のように激しく回転しながら宙を舞う。
――と、彼は自分の身体が、何者かによって優しく受け止められた事に気が付いた。
が、その勢いは止まらず、
「ぐっ……!」
「きゃあっ……!」
テラともう一人は、飛ばされた先に建っていた小屋の壁に身体を激しくぶつけ、思わず悲鳴を上げた。
「痛ッ……」
背中を強く打ち、呻き声を上げながら身を起こしたテラは、彼の横に蹲っていた白い影に目を向け、基地を救ってくれたことに対して、感謝の言葉を口にする。
「あ……ありがとう、ルナ。助かっ――」
……だが、その言葉は途中で途切れた。
何故なら、
「痛たたた……」
腰を擦りながら立ち上がったその小柄な白い影は、装甲戦士ルナではなく――、
「き……君は……は、ハーモニー……?」
先ほど、“敵”として相対していた、装甲戦士ハーモニーだったからだ――。




