第十六章其の玖 交渉
「……ねえ」
「――ッ!」
頭を抱えて苦悩するハーモニーは、不意にかけられた声にビクリと身体を震わせた。
そして、慌てて顔を上げると、声のした方に鋭い目を向ける。
「な……何よ!」
「あのさ……」
敵意と警戒を剥き出しにしたハーモニーの声に、倒木の陰に身を潜ませたまま、手だけを上げてひらひらと振りながら、ルナがある提案をし始める。
「ぶっちゃけ、いつまでもこんな所で、ハヤテさんの事とか仇討ちの事とかを言い合ってても、意味が無いと思うんだよね。……あなた、もう私が何を言っても聞く耳を持たなそうだし」
「き……聞く耳を持つも何も、アナタの言ってる事は全部間違いなんだから、聞く必要がないでしょっ!」
「……ほらね」
ハーモニーの金切り声に、ルナは仮面の下で思わず苦笑いを浮かべ、更に言葉を継いだ。
「だったら……もう、噛み合わない主張をぶつけ合うのは、もう止めない? 今は時間が惜しいんでしょ? あなたも……それに、私も」
「……そうね」
ルナの提案に、ハーモニーは小さく頷く。
「……って事は、アナタが大人しく退いてくれるって意味?」
「まさか」
ハーモニーの問いかけに鼻白みながら、ルナはゆっくりと立ち上がった。
そして、左脚を押さえていた手をゆっくりと離しながら、キッパリとした声で言う。
「生憎と、私もあなたを行かせる気は無いの。あの人――ハヤテさんを、冤罪で殺させたくないからね」
「だ、だから……冤罪なんかじゃな――」
「だから、こうしましょう」
言い返そうとしたハーモニーを制して、ルナは言った。
「――ここは、装甲戦士らしく、シンプルに戦いでケリをつける事にしようよ」
「戦いで……」
「そう」
ルナは、ハーモニーの呟きに軽く頷く。
「もし、あなたが戦いに勝ったのなら、もう、あなたの好きにしていいよ。もう、私はあなたの決断を止めようとはしない。……その代わり、私があなたに勝ったのなら――」
「健一くんの仇を討つ事を諦めろって? それは――!」
「……ううん」
「――!」
声を荒げかけた自分に対し、意外にも首を横に振ったルナを見たハーモニーは、困惑して思わず言葉を呑んだ。
一方のルナは、ハーモニーの顔をジッと見つめながら、静かに言葉を続ける。
「私は、あなたにそこまで強要する気は無いよ。――ただ」
「……ただ?」
「……一度。一度でいいから、ハヤテさんとじっくり話し合って」
「――!」
ルナの言葉に、ハーモニーはハッとした様子で顔を上げた。
「それって……」
「落ち着いて、ハヤテさんと一対一で話をして。その上で、それでもあの人を仇だと思うのなら、改めて彼と戦えばいいよ。……私は、もう止めないから」
「……」
「でも……今の、全然お互いの事や過ごした時間の差を埋められてない状況のままで行動するのは、絶対にダメだと思うの。だから――」
「……分かった」
ハーモニーは、一瞬沈黙した後、こくんと頷いた。
そして、ゆっくりと“聖者のフルート”を握った手を上げる。
「――いいわ。もし、あたしがアナタに負けるような事があったら、その言葉の通りにする」
「交渉……成立だね」
ルナも、脚を肩幅に広げ、ゆっくりと体勢を落としながら頷き返す。
そして――、
「「いくよッ!」」
ふたりは同時に叫び、即座に攻撃体勢を取った。
先手を取ったのは、ハーモニー。
「――狂詩曲・鎌鼬ッ!」
彼女が“聖者のフルート”に息を吹き込むと、たちまち彼女の周囲の空気が断層を生じ、無数の真空の刃と化して、両手を前に掲げたルナを襲う。
ルナは、ハーモニーが攻撃を放った瞬間、足元に転がっていた倒木を渾身の力で蹴り上げた。
蹴り上げられた倒木は、彼女の目の前に立ちはだかり、襲い来る真空の鎌を防ぐ盾となる。
そしてすかさず、両手の鈎爪を交差させるように振り下ろした。
「――セント・エルモス・ファイヤーッ!」
「うっ――!」
ルナの鈎爪から発生した雷が放つ眩い光に曝されたハーモニーは、咄嗟に腕で目を覆う。
だが、アイユニット越しとはいえ、青白いプラズマ光をまともに見てしまった彼女の視界は麻痺してしまった。
「くっ……! 視界を奪って、その隙に攻撃しようっていうの? ――でも!」
一瞬たじろいだハーモニーだったが、すぐに“聖者のフルート”を口元に当てると、固く目を瞑る。
「甘いわ! あたしは、音を操る装甲戦士ハーモニーよ! 視覚を閉ざされても、聴覚があるわッ!」
そう叫ぶや、フルートを吹いた。
フルートから、先程とは違う、か細く甲高い音が鳴る。
目を閉じたまま、フルートに息を吹き込み続けるハーモニー。
――と、
「――そこね!」
ハーモニーは急に叫び、目を閉じたまま、右斜め前に身体を翻した。
――音の眼。
彼女は、フルートから無指向性の超音波を発し、その音の反響で、ルナの位置を正確に見破――もとい、聴き破ったのだ。
閉じていた目を開いた彼女は、回復しかけた視界にぼんやりとした人型のシルエットが見えるのを確認した瞬間、己の勝利を確信した。
「どうやら、その脚は大分重傷のようね! さっきの位置から殆ど動いていないじゃない!」
「……」
「随分と手こずらされたけど、これで終わりよ!」
彼女はそう叫ぶと、フルートに口をつけ、必殺の旋律を奏でる。
『――狂詩曲・魔弾・散ッ!』
次の瞬間、先ほどの“狂詩曲・魔弾”の時とは比べ物にならない程の夥しい空気の弾丸が、彼女の前に現れ、立ち尽くすルナに向けて一斉に放たれた。
無数の空気弾が、ルナの身体を貫こうとした――その時、
「トルネードスマァッシュ――ッ!」
ルナの声と共に、渦を巻いた蒼い突風が巻き起こる。
「な――ッ!」
その凄まじい竜巻によって、自分の放った魔弾を全て吹き散らかされたハーモニーは、驚愕の叫びを上げた。
そして、
「……アナタ、その装甲は――!」
ようやく回復しつつあった視力で、星明りに照らし出されたルナの姿を見たハーモニーの目に映ったのは、
『装甲戦士ルナ・タイプ・ウィンディウルフ/アナザー、完・装ッ!』
――蒼き装甲を身に纏い、狼の仮面を被った装甲戦士の姿だった。




