第十六章其の捌 混乱
「それで……」
と、ルナは顔を上げて、ハーモニーの顔をジッと見据えながら言った。
「私に訊きたい事は、それだけ?」
「……そうね」
ルナの言葉に、ハーモニーは小さく頷く。
「……本当は、もう少しあの男について訊きたいけど、うかうかしてると間に合わなくなっちゃうかもしれないからね」
「間に合わなくなる……? 何を?」
「決まってるじゃない」
訝しげに訊き返すルナを冷ややかに見下ろしながら、ハーモニーは言った。
「あの男が周防さん――ニンジャに斃される前に、あたしがアイツを殺す事に――よ」
「……殺すって、まだそんな事を言っているの?」
ハーモニーの言葉に、ルナは呆れたと言わんばかりの声を出し、肩を竦める。
「……せめて、『殺す』って選択肢を選ぶ前に、『本当の事を知る為に、ハヤテさんと話し合おう』っていう方向に考えてほしいんだけど……」
「話し合う事なんて何も無いわ!」
ルナの言葉に、ハーモニーは激しく首を横に振った。
「健一くんは……アイツが殺したんだ! だって……聡おじさんがそう言ってたんだもん! 倒れてる健一くんの事を最初に見つけた……」
「……ねえ」
熱に浮かされたかのようなハーモニーの言葉を、ルナの訝しげな声が遮る。
ルナは、ハーモニーにおずおずと言った。
「それってさ、もしかすると、安いミステリーマンガで良くある、『第一発見者が犯人』っていう話なんじゃ――」
「そ――そんな事、無いッ!」
激昂したハーモニーは、ルナの言葉を金切り声で遮ると、“聖者のフルート”を口に当て、一気に息を吹き込んだ。
「――ちょッ!」
まったくの不意打ちで放たれた魔弾に驚きつつも、咄嗟にサンダーストラックを発動し、間一髪で避けるルナ。
だが、その拍子に左脚の裂傷から再び血が噴き出し、それに伴って湧き上がった激痛に、ルナはくぐもった悲鳴を上げる。
「くっ……!」
ルナは、激しい痛みに気が遠くなりかけながらも、サンダーストラックを発動させ続け、別の倒木の陰に身を潜めた。
一方、ルナの動きを冷静に目で追っていたハーモニーは、ルナが身を隠した倒木の方に向かって声を張り上げる。
「誰が何と言おうと、健一くんを殺したのは装甲戦士テラ……ホムラハヤテよッ! だから……あの子の仇を取る為に、あたしがアイツを殺すの! だから、アナタはもう邪魔しないでッ!」
「――仇討ちなんてしても、その健一って子は喜ばないと思うんだけどな……」
ハーモニーの叫びを聞きながら、仮面の下の素顔を微かに顰めたルナは、小さく首を横に振った。
そして、小さく嘆息する。
(……って言っても、もうあの娘は止まりそうも無いよね。あの口ぶりだと、彼女の心の中では、ハヤテさんを殺す事が、唯一にして最優先の目的になっちゃってるみたいだから)
彼女は首を巡らし、円形状に開いた空き地の中央部に立ち、フルートを口元に当てようとしているハーモニーの姿をチラリと窺い見た。
(ていうか……あの娘、事件の真相がどうとかを考える事自体を止めてるような気がする。――いや、真相に辿り着く事を頑なに避けているって感じ――!)
先ほどの、ひどく取り乱した様子を見せたハーモニーの姿を思い浮かべる。
(あの反応は……とにかくハヤテさんが健一って子を殺したって決めつけたいようにしか見えない。それで――ハヤテさんに全てを擦り付けて殺す事で、一秒でも早く、自分にのしかかってる仇討ちの『重圧』から解放されたいって考えて――)
「狂詩曲・鎌鼬!」
「――ちッ!」
ハーモニーの放った真空の刃に襲われ、思考を遮られたルナは、舌打ちするなりサンダーストラックを発動する。
一瞬前まで彼女が身を隠していた倒木が、まるでロールケーキのように輪切りにされた。
「くっ……!」
脚を縺れさせたルナは、途中で転がるようになりながらも、別の倒木の陰に身体を滑り込ませて息を吐く。
左脚の痛みと、度重なるサンダーストラックの発動により、彼女の身体は限界を迎えつつあった。
恐らく、もうサンダーストラックは使えない……。
ルナは、内心の焦りを必死で抑えつつ、懸命に次の手を考えるのだった。
「はぁ……はぁ……」
一方、口に付けていた“聖者のフルート”を下ろしたハーモニーは、肩で息を吐きながら、苛立たしげに首を傾げた。
(――何で、あの時追撃しなかったの、あたし?)
先ほど、“狂詩曲・鎌鼬”を放った時、倒木から飛び出したルナのスピードはかなり鈍っており、容易く目で捉える事が出来ていた。
あの時、彼女の無防備な背中に向けて追撃を加えれば、恐らく致命傷を与える事が出来たはずだ。
……だが、ハーモニーは、得物のフルートに息を吹き込み、必殺の旋律を放つ事が出来なかった。
(何で……何で躊躇ったの、あたし?)
ハーモニーは、自問しながら、呆然と自分の掌を見下ろす。
ふと、先ほどハーモニーに向けてルナが口走った言葉を思い出した。
――『……それって、安いミステリーマンガで良くある、『第一発見者が犯人』っていう話なんじゃ――』
「……そんな、事……ある訳、ない――!」
ハーモニーは、脳裏に響いた言葉に抗うように、激しく頭を振った。
(聡おじさんの言う事は……いつも正しいんだから! あの人が『健一くんは、ホムラハヤテに殺された』って言うんだったら、そうに決まっているの!)
いつも穏やかで理知的で、何より優しかった聡おじさん。
まだ牛島聡がオリジンの村に居た頃、秋原天音は彼に憧れ、慕っていた。
それだけに、数ヶ月前に牛島が数人のオチビトを連れて村を離れた時は、彼が自分の事を置いていったという事実に激しいショックを受けて、その反動で彼を激しく敵視するようになった。
しかし、ふたりの仲間を喪った牛島が、再びオリジンの村を訪れ、その際に補充要員として自分を指名した事を知った時、表面にこそ出さなかったものの、彼女は本当に嬉しかった。
『聡おじさんは、あたしの事を見捨てた訳じゃなかったんだ!』と。
その為、天音は、表面上では敵意を剥き出しにした言動をしつつ、心の中では牛島の事を以前以上に慕うようになっていた。
――彼の言葉を絶対のものと信じて疑わぬほどに。
……だが、その思慕と信頼は、さっきホムラハヤテが装甲戦士テラの装甲を解除して素顔を晒した時に、砂上の楼閣のようにグラグラと揺れ始める。
それまで、『何らかの理由で、自分の幼馴染である仁科勝悟の名を騙っている、人殺しのホムラハヤテ』と、半ば強引に信じ込んでいた天音だったが、彼の素顔を見た瞬間、『ホムラハヤテは、自分の幼馴染・仁科勝悟本人だ』という事を本能的に理解してしまったのだ。
――それからは、もう頭の中はぐちゃぐちゃだった。
『健一の仇』
『牛島の証言』
『ホムラハヤテの正体』
そして、『装甲戦士ルナに対する自分の躊躇』……。
彼女の心の中で、様々な事実と類推と感情と衝動が、まるで色々な絵の具を垂らした水の如く、複雑に混ざり合う。
(あたしは……)
ハーモニーは、おもむろに両手で頭を抱え、呆然とした声で叫んだ。
「もう……どうなってるのか、解らないよ……ッ!」




