第二章其の肆 逃走
「はあっ……はあっ……!」
荒い息を弾ませながら、それでも交互に踏み出す脚は止めない。
フラニィの身体を抱き抱えたハヤテは、森の木々の間を縫いながら、山小屋から一歩でも遠くに離れようと一心不乱に駆け続けた。
と、彼に“お姫様抱っこ”をされた形のフラニィは、鼻先を僅かに赤らめながら、キョロキョロと周囲を見回す。
――と、
「……ハヤテ様! こっちです!」
彼女が真っ直ぐに腕を伸ばして、自分たちが進む方向を指さす。
「そ……そうか!」
ハヤテも、フラニィの言葉に素直に従い、踵を返して、彼女の示した方向に脚を踏み出した。
「はあ……はあ…………ふ、フラニィ!」
「……え? あ、はい?」
ハヤテの言葉に、フラニィは慌てて返事をする。
荒い息で途切れ途切れになりつつ、ハヤテは彼女に尋ねた。
「き……君……よく、キヤフェの位置が分かるな? こんな鬱蒼と茂った森の中で……!」
「そりゃ……匂いで分かりますよ」
「に……匂い?」
フラニィの答えに、ハヤテは戸惑いの声を上げる。が、すぐにピンときて、深く頷いた。
「……そうか、猫は人間よりもずっと鼻がいいから――」
「あ、そこ! 根っこが出てま――!」
「へ? う、わぁぁぁっ!」
フラニィの警告も遅く、彼は土から飛び出た大木の根に足を取られて、盛大に転倒する。
その弾みに、フラニィが前方に投げ出されるが、彼女は身体を巧みに捻って、音も無く地面に着地した。
「……そうか、猫は夜目と平衡感覚もいいんだった……」
「は、ハヤテ様! 大丈夫ですか?」
強かに打った腰を擦りながら起き上がるハヤテに、フラニィは細い腕を伸ばす。
「あ、ありがとう……」
彼は、気恥ずかしさで顔を赤らめながら、フラニィの手を掴んで立ち上がった。
ハヤテは、天を仰ぎ見た。――鬱蒼と茂る森の木々の隙間から見える夜空は、蒼い月の光で淡い紺色に光り、その中で無数の星々がチカチカと瞬いている。
一瞬その美しさに目を奪われたハヤテだったが、すぐに我に返り、フラニィに尋ねた。
「……フラニィ、君の住むキヤフェまでは、あとどのくらいなんだ?」
「えと……そうですね……」
ハヤテの問いを受け、フラニィは鼻をひくつかせながら、周囲を見回す。
「大体……9ルイくらいですかね……?」
「9……ルイ……? それって、何キ――」
『9ルイって、何キロか?』と聞こうとして、ハヤテは止めた。そう訊いても答えなど出ない事に気付いたからだ。
そこで、彼は言葉を変えた。
「……9ルイって、歩いたらどのくらいで着く距離なんだ?」
「平地でしたら……3コゥクくらい……でも……」
「じゃあ……、1日は何コゥクなんだい? あ……1日っていうのは、太陽が昇って沈んで、また昇る間の時間だ」
「えと……じゃあ、イチニチっていうのは、1デズって事ですね? なら……12コゥクで1デズ……1ニチ……ですけど、それが――?」
「一日の時間を十二分割って事か……」
フラニィの言葉に、ハヤテは顎に手を当てて考え込む。
(……だとしたら、1コゥクは2時間換算。ならば、3コゥクは6時間。フラニィの歩くスピードは人間のそれとは殆ど変わらなかったから、時速5キロとして……キヤフェまでは大体30キロメートルってとこか……)
そこまで考えて、ハヤテは大きく頭を振った。
「いや……! そもそも、ここの1デズは、地球の1日とイコールなのかどうかで話が変わるか……じゃあ――」
「――安心しな。異世界の1日は、地球の1日と同じ長さだぜ!」
「――ッ!」
突然割り込んできた聞き覚えのある第三者の声と共に、白く光る何かが自分たちの方向へ飛んでくるのを視界の端で捉えたハヤテは、咄嗟にフラニィの腕を掴んで横っ飛びに跳んだ。
その直後、彼が立っていた場所の後ろにあった大木の幹に、数本の釘が乾いた音を立てて突き立った。
「――おいおい。せっかく親切に教えてやったんだから、礼代わりに一本くらい食らってくれや!」
嘲笑に満ちた声と共に、鬱蒼と茂る草を掻き分けて、ふたりの前に現れたのは――、
「――ツールズ!」
既に装甲戦士ツールズ・シャープネイルスタイルの装甲に身を包んでいる薫の姿を見た瞬間、ハヤテは身を翻して逃亡を図ろうとするが、その爪先近くに光の釘が突き立った。
「――ッ!」
「おっと、逃げられるとは思うなよ? 俺に背中を向けた瞬間、テメエとその化け猫の背中はハリネズミみたいになっちまうぜ!」
「……チッ!」
余裕たっぷりのツールズの言葉に、ハヤテは歯ぎしりして舌を打ち、ゆっくりとツールズの方に振り返る。
「……俺たちを、どうするつもりだ?」
「――はっ! どうするもこうするも……決まってんだろ? 裏切り者の扱いって奴はよぉ?」
「……っ」
ツールズの嘲笑に塗れた罵声に、ハヤテは悔しそうに唇を噛んだ。
そんな彼の眉間に向けて、ツールズは右手に持ったマルチプル・ツール・ガンの銃口を擬すが――、
「……だが、それじゃあつまらねえ」
そう呟いた彼は、少しだけ首を傾げて左手を腰に回すと、そこに提げていたモノをハヤテの足下に投げる。
「……これは……!」
爪先に当たって止まったそれに視線を落としたハヤテは、驚きで目を剥いた。
「――コンセプト・ディスク・ドライブと……ウィンディウルフディスク!」
「……生身のお前をぶち殺すのは、簡単すぎてつまらねえからな」
ツールズは、仮面の下の冷笑が透けて見えるような声で言った。
「それに……前に殺り合った時の借りもあるからよ。――装甲戦士テラとやらになったテメエを、このオレが正々堂々ぶち殺してやるぜ!」
「……」
ハヤテは、ツールズの発した言葉に当惑と狼狽の様子を見せたが、生身のままでは万に一つの勝ち目も無いのは明らかだ。
それを悟った彼は、ツールズの様子を窺いながら、慎重にコンセプト・ディスク・ドライブとコンセプト・ディスクを拾い上げる。
その様子をじっと見守っていたツールズは、マルチプル・ツール・ガンで肩を軽く叩きながら、ハヤテに向かって声を張り上げた。
「そうだ、それでいい! ほら、サッサと装甲戦士になれ! チンタラやってたら、うっかりトリガーを引いちまうぞ!」
「――ッ!」
ハヤテは、ツールズの叫びに覚悟を決めたように目を吊り上げると、コンセプト・ディスク・ドライブのイジェクトボタンを押した。
微かなモーター音と共にせり出してきたトレイにウィンディウルフディスクを乗せ、
「――装甲戦士、装着ッ!」
という叫び声と共に、一気に押し込む。
――液晶画面に『Now Loading』の文字が光り、彼はコンセプト・ディスク・ドライブを左胸に圧しつけた。
そして、コンセプト・ディスク・ドライブから溢れ出た七色の光が絡みつき、ハヤテの全身を包み込む。
数秒後、七色の光が弾け飛び――、
「装甲戦士テラ・タイプ・ウィンデイウルフ! 完装ッ!」
そこには、蒼い装甲を身に纏った狼面の戦士が雄々しく立っていた――!




