第十六章其の参 青紅
「ヴァルトーさん……!」
「ヴァ、ヴァルトー……ッ!」
テラとドリューシュは、固く目を瞑ったヴァルトーの事を、声を震わせながら呼びかけるが、その声に彼が応える事は無い。
「……」
無力感に苛まれて、深く項垂れるテラだったが、すぐに顔を上げると、ヴァルトーの亡骸を抱えて嗚咽を漏らすドリューシュの肩を優しく叩いた。
「……ドリューシュ王子」
「……何ですか……ハヤテ……殿」
テラの呼びかけに、涙を流しながら応えるドリューシュ。
そんな彼に、テラは静かに言った。
「あなた達、生き残ったみんなは、ヴァルトーさん達を連れて、後方に退いて下さい。――アイツ……オチビトの事は、俺が抑えますから」
「な――!」
テラの提案に、ドリューシュは目を見開き、激しく首を横に振った。
「そ……そんな事は出来ません! 僕たちも、ハヤテ殿と共に戦って、ヴァルトー達の仇を討つ――」
「――そんな事、ヴァルトーさんは望んじゃいません」
「う――ッ!」
キッパリと言い放ったテラに鋭く見据えられ、ドリューシュは思わず気圧される。
テラは、ドリューシュに抱きかかえられたヴァルトーの亡骸に目を落とすと、静かに言った。
「ついさっき、ヴァルトーさんが貴方に言っていたじゃないですか? 『生きて下さい』――と」
「で、ですが……」
「今の貴方がするべき事は、ヴァルトーさんの仇を討つ事じゃない。この場を生き延びる事です」
そう言うと、テラは微かに震える手でヴァルトーの手の甲に触れ、更に言葉を継ぐ。
「……そして、フラニィと共に猫獣人の未来を背負っていく――それが、ヴァルトーさんの望みだったはずです。……そうでしょう?」
「……」
「あいつらの相手は、俺に任せて下さい。貴方たちが逃げるまでの時間を稼ぐ――それが、ヴァルトーさんに貴方とフラニィの事を託された俺の役目です」
「……解りました」
テラの言葉に、ドリューシュは唇を噛みながら、ぎこちなく頷いた。固く食い縛るあまり、無意識に牙を突き立てた唇から、一筋の赤が線を引く。
「甚だ心外ですが……、貴方と……ヴァルトーの言葉に従う事にしましょう」
「ドリューシュ王子……」
「……その代わり」
ドリューシュはそう言うと、左手を握り込み、紅い装甲に覆われたテラの胸を小突いた。
「ミアン王国王太子ドリューシュ・セカ・ファスナフォリックとして、ホムラハヤテ……いや、装甲戦士テラへ命令を下します」
「はい」
「――勝て! 装甲戦士テラ!」
「了解!」
ドリューシュの命令に、テラは力強く頷く。
彼は、まるで眠っているかのように安らかな顔をしたヴァルトーの顔を一瞥すると、すっくと立ち上がった。
そして、先ほどから倒木に腰かけて、手持ち無沙汰に得物の手入れをしている、もうひとりの装甲戦士を睨みつける。
「……終わったかい?」
自分に向けられた視線に気付いたニンジャは、手入れしていた忍一文字を一振りすると、ゆっくりと腰を上げた。
そして、忍一文字を肩の上で軽く弾ませながら、コキコキと首を鳴らしてみせる。
「あんたの言う通り、黙って待っててやったぜ。お涙頂戴の三文悲劇は、見てて退屈だったけどな」
「……」
「何だよ、キレてんのかい? いやいや、アンタには感心してるんだぜ、己は」
「……何?」
ニンジャの言葉に、テラは訝しげな声を上げる。
そんな彼に、皮肉たっぷりの声でニンジャは言った。
「良くもまあ、こんな自分よりもずっと能力の劣った化け猫どもを相手に、イーブンな関係を築けるもんだ――ってさ。なかなか出来る事じゃないと思うよ。普通は、人間としての尊厳とかが邪魔をして、コミュニケーションなんて上手くいかないもんだと思うけどねぇ」
「……」
「――挙句、たかが猫の何匹かがくたばった程度で、そんなに感情を露わにするなん――」
「黙れェぇぇぇッ!」
皮肉を剥き出しにしたニンジャの声を中途で遮り、テラは絶叫した。
同時に、その足裏に真っ赤な炎を宿すと、渾身の力で地面を蹴る。
そのまま、炎による加速で、一気にニンジャとの距離を詰めたテラは、空中で身体を捻りながら右拳を握り込み、ニンジャ目がけて振り下ろす。
「うおおおおおおおっ!」
「……あいにくと、同じ手を二度も食う程、己は阿呆じゃないんでね!」
接近するテラに向けてそう言い放ったニンジャは、素早く印を組んだ。
「忍技・蛇火緊縛ッ!」
彼の声が上がった瞬間、周囲の木々に突き立っていたシノビクナイの柄尻から噴き出た数条の青い炎が、まるで鎌首を擡げた大蛇のように、迫り来るテラ目がけて一斉に伸びる。
「ッ!」
ニンジャに向かって急速に接近していたテラは、突如として現れた数体の炎の蛇に気付くと、身を捻って回避しようとしたが、遅かった。
青炎の蛇たちは、飛び込んできたテラの身体に巻き付くと、その胴や腕や脚をきつく締め上げ始める。
ニンジャは、蛇火緊縛に絡め捕られたテラがその身を灼かれ、苦しそうに身を捩るのを見ながら、得意げな笑い声を上げた。
「ハーッハッハッハッ! 正面から突っ込んでくるとは、少し頭に血が上り過ぎだぜ、テラ! 待たされている間に、己が何もせずに大人しく待っていたとでも思っていたのか? アンタが初手に奇襲を選択することぐらい、容易に予測できたからね。こっそり逆襲を仕込んどいたのさ!」
「ぐ……」
「それとも、同じ炎属性の装甲を身に纏っていれば、己の火遁形態の技にも耐えられるとでも踏んでたのかな? 生憎と、その見立ては誤りだ――」
「……いや、誤りなんかじゃない」
「……なに?」
ニンジャは、自分の声を遮ってテラが吐いた言葉を聞き咎め、訝しげに問い返した。
「誤りなんかじゃない? それは、一体どういう意味――?」
「――こうするんだよ!」
身体を青い炎に拘束され、苛まれながらも、テラは獅子の如き絶叫をあげる。
「うおおおおおおおおぉぉぉぉぉっ! フルバースト・フレイムゥゥッ!」
彼の咆哮に呼応するかのように、その全身の装甲が赤熱し、いたる所から夥しい勢いの真紅の炎を噴き出した。
「な……んだと……?」
テラの装甲から上がった凄まじい火勢の紅炎によって、蛇火緊縛の青い炎蛇が、逆に灼き亡ぼされる様を目の当たりにしたニンジャは、思わず声を上ずらせる。
「そんな……有り得ない! 蛇火緊縛の青い炎は、優に千度を超えるんだぞ! そんな、せいぜい数百度でしかない不完全燃焼の紅い炎が、完全燃焼の青い炎を凌駕する事なんて……!」
「……ニンジャ」
「……ッ!」
絶え間なく噴き出す炎に包まれたテラが発する声に、ニンジャはハッとして身構えた。
そんな彼に向けて、テラは静かに言葉を紡ぐ。
「……お前も、『装甲戦士』シリーズを観ていたのなら、解るだろう?」
「……っ? な、何が……?」
テラの奇妙な問いかけに、ニンジャはたじろいだ。
と、テラの身体を拘束していた最後の青い炎蛇が、紅い炎によって燃やし消し尽くされる。
次の瞬間――、
「激しく昂った装甲戦士に、不可能な事なんて有り得ないんだ――ッ!」
そう絶叫したテラが左腕を振り上げると、彼の全身を覆う真紅の炎が、瞬時に彼の左拳に集まり、鋭い爪を剥き出しにした獅子の前脚を形作った。
そして、
「は――ッ!」
渾身の力を込めて上空へと跳躍し、その身体を弓のように撓らせたテラは、
「スラッシング・フレイム・クロウズ――ッ!」
眼下のニンジャ目がけて、鋭い爪を生やした巨大な炎の前肢を振り下ろした――!




