第十五章其の壱拾肆 王器
「な……んだと……?」
ヴァルトーの言葉を耳にしたドリューシュは、驚きでその目を大きく見開いた。
そんな彼の目を真っ直ぐに見つめ返しながら、ヴァルトーは静かに言葉を継ぐ。
「フラニィ様は、ミアン王国を統べるべきお方です。そして、その傍らに立って、あの方を護り輔ける事が出来るのは、あなたしか居ないのです、殿下!」
「ヴァルトー! お前は、自分が何を言っているのか分かっているのかっ? 女の身のフラニィが、王の座に就く事が許されるはずが無いであろう! いくら、あいつが無垢毛だと言っても――」
「私は、フラニィ様が無垢毛だからという理由だけで、あの方を王にすべきだと申している訳ではありません!」
「――!」
目を爛々と光らせて言い切ったヴァルトーの気迫に押され、ドリューシュは思わず口を噤んだ。
ヴァルトーは、先ほどハーモニーによって痛められた喉を押さえ、苦しそうに咳き込みながらも言葉を継ぐ。
「ふ……フラニィ様こそ、王たる器量を持ちたるお方……私は、そう信じております」
「な……何故だ?」
ドリューシュは、怪訝な表情を浮かべながらヴァルトーに尋ねた。
「何故、そこまでフラニィの事を王器であると信じられるのだ……?」
「それは……」
ドリューシュの問いかけに、ヴァルトーは一瞬口ごもり、それから静かに続ける。
「ハヤテ殿です」
「ハヤテ殿……?」
「我々とは全く違う世界から……彼らの言い方をするならば“堕ちてきた”、本来我らの敵である“森の悪魔”と同じ“オチビト”という存在であるはずのハヤテ殿が、こちら側に立って戦ってくれているのは、間違いなくフラニィ様の存在があってのことです」
そう言うと、ヴァルトーはフッと表情を和らげた。
「本来敵であり、全く異なる生物であるハヤテ殿を、躊躇いなく受け容れられる心の広さ。そして、異種族のハヤテ殿を斯様に惹きつける人格的な魅力。いずれも、王たる者が持ち合わせて然るべき素養です。――ですが」
と、、ヴァルトーは僅かに目を顰めると、フルフルと首を横に振った。
「今の王であるイドゥン陛下には、それが無い……」
「ヴァルトー! それは、陛下に対して不敬である――」
「殿下も、いや、殿下こそ、そうお思いなのではないですか?」
「……っ」
ヴァルトーに鋭く切り込まれ、ドリューシュは思わず言葉を詰まらせる。その反応が、彼の真意をこの上なくハッキリと裏付けていた。
そんなドリューシュに、ヴァルトーは更に語気を強めて言った。
「フラニィ様に、静かに、穏やかに生きていってほしいと願う殿下のお気持ちは良く解ります! ですが、そうなったら、残された王国の民はどうなると思われますか!」
「……っ!」
「今ですら、民の事を何一つ考えず、王宮の増築と自身の快楽ばかりを追及しているイドゥン王に対する民の不満は、高鳴る一方です! このままでは、“森の悪魔”が攻め込む前に、ミアン王国はバラバラに崩壊してしまいますぞ!」
「それは……」
「殿下は、それでも構わぬと仰るのですか? 実の妹ひとりが幸せならば、ミアン王国の全国民が不幸になっても構わぬと!」
「……」
「そうなる事を、当のフラニィ様がお望みになられるとお思い――」
と――、唐突にヴァルトーが口を噤む。
そして、オレンジ色の光を反射させた目をクワっと見開くや、
「――御免ッ!」
と叫びながら、ドリューシュの身体を渾身の力で突き飛ばした。
「なっ、うわッ――!」
ヴァルトーの不意の狼藉に、ドリューシュは抗う暇も無く吹き飛び、草の茂った地面の上に転倒する。
「ヴぁ、ヴァルトーッ! お前、何……を……っ?」
突然の無礼を被り、思わず声を荒げかけたドリューシュだったが、自分の頭上を真っ赤に燃え盛る炎が通り過ぎたのが視界に入り、すぐにヴァルトーの行動の理由を悟った。
彼は、炎が通り過ぎるや否や、すぐに起き上がると周囲を見回し――、
「ッ……!」
思わず言葉を失った。
生い茂る草の中に埋もれるようにあちこちに転がり、燻る炎の残滓に照らし出されているのは、自分の部下や、自分の部下だった肉塊だった。
あちこちから、苦しそうな呻き声や断末魔、炎に灼かれてのたうち回りながら上げる絶叫がドリューシュの耳を打ち、彼は思わず両手で耳を塞ぎたい衝動に駆られる。
「そ……そんな……」
惨状を目の当たりにしたドリューシュは、呆然とした様子で呟きながら、虚ろな目で周囲を見回す。
そして、彼から少し離れた地面の上にうつ伏せに横たわる、見慣れた黒い毛柄を見つけると、声にならない声を上げて駆け寄った。
「ヴァ……ヴァルトー! ヴァルトーッ!」
必死で叫びながら、うつ伏せになっていた部下の身体を起こしたドリューシュだったが、
「あ、あぁ……!」
思わず絶望の声を漏らした。
抱え上げたヴァルトーの腹部は鎧ごと深く斬り裂かれ、ぱっくりと開いた傷からは腸がはみ出て、傷口でちろちろと燃える炎に炙られている。
――一目見て、致命傷と分かった。
「ヴァ、ヴァルトー、しっかりしろ……!」
それでもドリューシュは、焦点の定まらない虚ろな目をしたヴァルトーに必死で呼びかける。
「だ……大丈夫だ、傷は浅いぞ! だから……眼を閉じるな!」
ドリューシュは、ヴァルトーの傷口で燃える炎を手で払い消すと、どんどん目の光が弱まっていく彼の事を少しでも力づけようと大声で呼びかけた。
「諦めるなよ! 絶対に助かるからな! だから、気を強く持って――」
「いやぁ、それはもうダメじゃないかなぁ」
「――ッ!」
背後から唐突にかけられた声に、ドリューシュはびくりと身を震わせた。次の瞬間、腰の剣に手をかけると、背後に立つ者を両断せんと一気に抜き放つ。
ギィン――ッ!
金属同士がぶつかり合う甲高い音が森に響き、
「……く、クソ……!」
一合で剣を弾き飛ばされたドリューシュは、ギリリと歯を食い縛り、目の前に立つ赤い装甲の男を睨んだ。
「おや? 猫って、こういう時にはフーッって唸るんじゃなかったっけか? 妙なところで人間臭いんだなぁ、アンタらって」
ドリューシュに睨みつけられたニンジャは、不敵な笑い声を上げながら、忍一文字を肩に担ぎ上げた。
そして、ヴァルトーを抱えて屈んだ体勢のドリューシュを見下ろしながら、数回頷いた。
「どうやら、アンタがこの群れのトップみたいだね。……名前は?」
「……貴様らに名乗る名など、持ち合わせてはいない……“森の悪魔”!」
敵意を剥き出しにして叫ぶドリューシュを前に、ニンジャはおどけた様子で肩を竦める。
「あっそ。……まあ別に、名があろうが無かろうが、己らにとっては猫の首ひとつに変わりはないか。――じゃ、言いたくないなら言わなくていいぜ。こっちで勝手に、適当な名前を付けとくからさ。タマとかポチとか、そんな感じで」
そう冗談めかした声で言いながら、ニンジャはドリューシュに一歩近付くと、ゆらりと忍一文字を振りかぶった。
そして、その仮面のアイユニットを昏く光らせ、冷たい声を発する。
「――己的には、アンタやアンタの部下にさほど深い恨みがある訳でも無いんだけどさ。これも任務だからね。恨みに思わないでくれると助かるよ。……って、殺されるのに、そりゃ無理か」
「……っ」
「まあ、鍋島騒動みたいに、化けて出るのはカンベンな。――じゃあな!」
そう言いながら、ニンジャは、ドリューシュの首元目がけて忍一文字を振り下ろした――。
森の木々が、夥しい炎の光に照らし出され、真っ赤に染まる。
そして……、
「……チッ」
ニンジャは、忌々しげに舌打ちした。
彼は、ムクリと起き上がると、胸部装甲を燃やしている、自分のものではない炎を無造作に手で払う。
「まったく……これ以上ないタイミングで邪魔してくれたなぁ。つか、これじゃ、まるで己が悪役怪人みたいじゃんかよ」
自分の胸を焦がす火を消し止めたニンジャは、苦笑いながら、少し離れた木の傍で肩で息を吐きながら立つ、紅い炎の意匠の装甲と獅子の頭を模した仮面の装甲戦士に声をかけた。
「……で、アンタは正義の味方気取りかい? 装甲戦士テラさんよ」




