第十五章其の壱拾弐 質問
「狂詩曲・鎌鼬!」
ハーモニーがフルートの音を奏でると同時に、目に見えない無数の真空波が、左眼を押さえながら立ち上がったルナ目がけて放たれた。
「……ッ!」
ルナは、咄嗟に右に跳んで、迫り来る鎌鼬を避けようとするが、その判断はほんの少しだけ遅く、鎌鼬が彼女の左脚の装甲の間を掠める。
「くぅっ!」
強化ラバー製のスーツがスッパリと裂けて鮮血が噴き出し、ルナは苦痛に喘いだ。
そんな彼女に対し、ハーモニーは更に攻撃を加える。
「狂詩曲・魔弾!」
「くっ……サンダースト――痛っ!」
サンダーストラックでハーモニーの攻撃を躱そうと両脚に力を込めたルナだったが、左脚の切創の痛みのせいで、大きくその体勢を崩した。
やむを得ず、更に右に跳ぶが――、
「きゃあっ!」
またしても避け切れず、その左肩に数発の魔弾が命中した。
その衝撃で肩を押される形になり、ルナの身体はクルクルと回りながら、立ち並ぶ木々の間へと吹き飛ぶ。
「痛たた……」
木に背中を強かに打ちつけられた事で、ようやく身体が静止したルナは、仮面の下の顔を苦痛に歪めながら、急いで木の後ろに回り込んだ。
そして、荒い息を吐きながら、装甲を穿つ弾痕が刻まれた左肩を恐る恐る動かす。
たちまち鋭い痛みが走り、ルナは顔を顰めた。だが、左肩の可動には問題がなさそうな事が解ると、小さく安堵の息を吐く。
「ふぅ……これならまだ――」
「――『まだ戦える』かしら? そんな状態で?」
ルナの言葉を遮るように、嘲笑交じりの声が上がった。
フルートから口を離したハーモニーが、木の陰に隠れたルナを挑発する。
「周防さんから聞いてるわ。その白いチーターの装甲は、スピード型の装甲なんでしょ? ――でも、その脚のケガじゃ、さっきみたいな超加速は出来なさそうよね?」
「……うるさいなぁ」
木の陰から半分だけ顔を出して、ルナは反駁した。
「これくらいの切り傷、どうという事も無いよ! 今のは、足場が悪くて踏ん張れなかっただけ!」
「へぇ、そうなんだ」
「……」
余裕たっぷりのハーモニーの相槌に、自分の嘘が見透かされている事を察したルナは、キュッと唇を噛む。
そんな彼女に対し、ハーモニーはゆっくりと手招きをしてみせた。
「だったら、そんな所に隠れてないで、出て来なさいよ。かくれんぼに付き合っている時間は、あたしには無いの。……早くホムラハヤテに追いつかないといけないんだから」
「……あなたに、ひとつ訊いてもいいかな?」
「……え?」
突然、ルナに問いかけられたハーモニーは、虚を衝かれ、戸惑いの声を上げる。
だが、すぐに平静を取り戻すと、訝しげな声で訊き返した。
「……まあいいわ。最期のお願いになるだろうから、聞いてあげる。――訊きたい事って、何?」
「あのさ……」
ルナは一呼吸置いてから、ゆっくりと言葉を継ぐ。
「あなた……ハヤテさん――いえ、仁科勝悟さんの事をどう思っているの?」
「え……?」
ルナの問いかけに、ハーモニーは戸惑いの声を上げた。
「しょ……しょうちゃんの事?」
「そう」
「それは……」
ハーモニーは、思わず口ごもる。
そんな彼女に、ルナは言葉を付け加えた。
「あ、ハヤテさんが勝悟さんなのかどうかとかっていう話は、この際置いておいてね。そこからスタートさせちゃうと、全然話が進まないから」
「……どういう意味?」
「要するに、日本に居た頃、幼馴染の仁科勝悟さんって人を、あなたはどう想っていたの? ……って聞いてるの」
「日本に居た頃の……しょうちゃん……」
ルナの言葉に、ハーモニーは微かに狼狽を見せた。
――彼女の頭の中に、日本に居た頃の勝悟との思い出が蘇ってくる。
まだ小学校低学年だった夏の日。虫網で蝶々を捕まえようとしたら水溜まりで転んでしまい、ショックで泣きじゃくる自分を、勝悟が一生懸命慰めてくれた事。
小学生までは自分の方が大きかったのに、中学生になったらすぐに身長を追い越されてしまって悔しがった事。
第二次性徴を迎えて、少年から男へと変わりかけた声をからかいつつ、少しだけ胸が高まるのを感じた日の事。
――そして、あの日。
中三になってから、どこかよそよそしい態度だった勝悟が顔を真っ赤にして、『新聞屋から無料券をもらったから』と言いながら、前から行きたいと言っていた遊園地のチケットを差し出してきた時に感じた頬の熱さ――。
「……」
仮面の下の口元を戦慄かせたハーモニーは、ぐっと唇を噛みしめると、
「どう思ってたって……別に、普通よ。普通の……幼馴染。それ以上でも、それ以下でも無いわ」
心にもない事を言った。
そんな彼女を、ルナはジッと見つめる。
そして、フッと息を吐いて言った。
「まったく……素直じゃないなぁ」
「な……何がよ!」
ルナの言葉に、ムキになって声を荒げるハーモニー。
一方のルナは、呆れたと言わんばかりに大げさに肩を竦めてみせた。
「ハヤテ……勝悟さんは、あなたよりもずっと素直だったよ」
「だ……だから、何がよ!」
「そりゃあ……」
ハーモニーの問いに答えようとしたルナだったが、ふと言葉を詰まらせると、小刻みに首を横に振る。
「……言わないよ。それは、ハヤテさん本人があなたに伝えるべき言葉だから。私の口からは言えない」
「それって……どういう意味なの……?」
「――っていうか……」
困惑の声を上げるハーモニーに、ルナは仮面の下で目を伏せながら、秘かに呟いた。
「言えないっていうか……言いたくないんだ。――何でか分かんないんだけど……」
そう口にした瞬間、彼女の胸に、針で刺されたような小さく鈍い痛みが走ったのだった。




