第十五章其の壱拾壱 不運
「うるさい! 消えてっ!」
ハーモニーは、ルナに向かって声を荒げると、“聖者のフルート”を口に当てる。
そして、彼女がフルートに息を吹きかけると、たちまち空気が椎の実型に集まり、数発の弾丸を形作った。
『――狂詩曲・魔弾ッ!』
次の瞬間、数発の空気の弾丸が甲高い音を立てながら、ルナ目がけて一直前に飛ぶ。
だが――、
「――消えたっ?」
寸前までそこに居たはずのルナの姿が掻き消え、その背後の木々に弾痕が穿たれたのを見たハーモニーが驚愕の声を上げた。
そして、ハッと身体を震わせると、咄嗟に身を翻す。
「ッ――!」
「ちぇっ! カンは良いみたいね、あなたっ!」
疾風迅雷で瞬時にハーモニーの背後に回り込んだルナは、彼女の背中目がけて振るった鈎爪の一撃が紙一重のところで躱されたのを見ると、悔しそうに舌打ちした。
「こ……のっ!」
一方、仮面の下で歯噛みしたハーモニーは、体を回転させつつ、手にしたフルートを背後のルナ目がけて薙ぎ払う。
その一撃を、ルナは振り上げた鈎爪の腹で受け止める。
――ガギィィィンッ!
夜闇に沈んだ森の中に、金属が打ち合わされた甲高い音が鳴り響く。
と、次の瞬間、
「――フンッ!」
「ぐっ……!」
体を回転させた勢いを殺さず、そのまま放たれたハーモニーの回し蹴りがルナを襲う。
まさか、フルートが打撃に続いて回し蹴りを放ってくるとは予想していなかったルナは、ハーモニーの攻撃を捌き切れず、脇腹に食らった。
――だが、
「つ――捕まえた!」
「ッ!」
自分の右脇腹を穿ったハーモニーの左脚を、そのまま右脚と右肘で挟み込むようにしてホールドしたルナは、そのまま身体を回転させて、ハーモニーを地面に転がした。
「ぃたっ!」
脚を極められたまま、為す術も無く倒されたハーモニーは、身体を強かに地面に打ちつけ、思わず苦悶の声を上げる。
だが、そのまま馬乗りにしようとするルナの側頭部に、手にしたフルートを思い切り打ちつけた。
装甲戦士渾身の力で特殊金属製の“聖者のフルート”を叩きつけられては、いかにヘルメット越しであったとしても効かないはずが無い。
「く……ぅ……っ!」
強い衝撃で脳を激しく揺さぶられたルナは、一瞬意識を飛ばしかけ、そのせいでハーモニーの脚を捉えたホールドを緩めてしまう。
「放してよッ!」
すかさずルナの右脇から左脚を抜いたハーモニーは、急いで彼女から距離を取ろうとするが――、
「……逃がさないよッ!」
すぐに脚を抜かれた事を悟ったルナが、右腕の手甲から伸ばした鈎爪の先を、飛び退ろうとするハーモニーの脚部装甲に食い込ませた。
「な……なにするのよ! 放してって――!」
「うるさいな! 痺れて大人しくなりなさい!」
鈎爪が食い込んだ右脚を振り回しながら激しく抵抗するハーモニーを一喝するように、ルナが叫ぶ。
「サンダー・ランブリング・クローッ!」
「あああああああああぁっ!」
鈎爪から青白い火花が散るや、ハーモニーの脚部装甲の金属部分に夥しい電流が流れ込んだ。
ルナの電撃を装甲越しに食らったハーモニーは、身体を激しく痙攣させながら甲高い悲鳴を上げる。
苦しそうに仰け反りのたうち回るハーモニーに電流を注ぎ込みながら、ルナは叫んだ。
「静電気なんて比べ物にならないくらいの電流を流し込まれて辛いでしょ? だったら、すぐに装甲を解除して降参してちょうだい!」
「く……ぅっ!」
だが、ハーモニーは、ルナの勧告を聞くつもりなどさらさら無いようだった。痙攣する指で握り直したフルートを、何とかして口元に当てようと必死で足掻くが、感電で激しく震える腕ではなかなか上手くいかない。
そんな彼女に、ルナは更に声をかける。
「別に、私はあなたを殺したいとは思ってないの! だから、強情を張らないで――」
「……」
「――この……っ、頑固者!」
重ねた説得にもまったく聞く耳を持つ様子の無いハーモニーに、ルナは業を煮やした。
だが、同時に心配と不安を覚える。
(こ……これ以上電流を流し続けたら、いくら装甲戦士の装甲越しだっていっても、この娘の身体に後遺症が残っちゃうかも……!)
ルナの心に過ぎった一抹の懸念は、サンダー・ランブリング・クローの力を、一瞬だけ弱らせた。
刹那に生じたわずかな隙は、ハーモニーが窮地を脱するには十分すぎた。
「ら……狂詩曲・魔弾!」
電流が弱まった一瞬、何とか腕を動かしてフルートを口に当てたハーモニーは、一気に息を吹き込んだ。
即座に凝集した空気の弾丸が、地面に転がったままでハーモニーの脚に鈎爪を立てていたルナを襲う。
「きゃ……あッ!」
頭部に、肩口に、胸元に、次々と空気の弾丸を受けたルナは、苦悶に満ちた悲鳴を上げた。ハーモニーの脚に食い込ませていた鈎爪も外された彼女は、地面の上をゴロゴロと転がる。
「痛たたた……」
たっぷり二十メートルほども地面を転がり、倒木の幹に背中をぶつけてようやく止まったルナは、空気の弾丸を撃ち込まれた身体を押さえながら、ヨロヨロと立ち上がろうとする。
そして、すぐに異常に気が付いた。
「……え? 目が……」
驚いた彼女は、慌ててマスクの左目元に手を当てる。
すると、ささくれ立ったマスクの感触と、ジャリジャリという耳障りな音、そして、まるで蜘蛛の巣が張ったように見える左目の視界が、彼女の五感を刺激した。
「え……ヤバい。これ……マスクの眼が割れちゃってる……?」
おそるおそる、激しく損傷した仮面の左半面を撫でながら、ルナは愕然とする、
どうやら、ハーモニーが撃った苦し紛れの魔弾が、運悪くルナの左顔面を直撃し、左のアイユニットを破損させたようだ。
目にも止まらぬ速さを武器にして戦うタイプ・ライトニングチーターにおいて、アイユニットのサポートに基づいた高度な視覚処理は欠くという事は、装甲車が四輪のひとつを失うに等しいと言えた。
「最悪……!」
自分の戦闘スタイルの核を、まぐれ当たりの攻撃で喪ってしまった不運に、ルナは思わず臍を噛む。
「……っ」
そして、割れたアイユニット越しに、ゆらりと立ち上がったハーモニーの姿を睨みつけるのだった。




