第十五章其の肆 提案
ゆっくりとした足取りで近付いてきた装甲戦士ハーモニー・カナリアラプソディは、大理石の女神像を模した仮面の口元に当てていたフルートを離すと、ニンジャの方に顔を向けた。
彼女に一睨みされたニンジャは、大げさに肩を竦めてみせる。
「ていうか、別に助太刀してくれなくても良かったんだけどね。こんなザコ猫の三・四匹くらい、己ひとりで片付けられるって」
「だからって、無闇に殺す必要も無いんじゃないんですか?」
そう、ニンジャの言葉に答えると、ハーモニーは傍らでぶすぶすと煙を上げながら燻り続ける三つの死骸を一瞥した。
「これだけ力の差があるんだったら、手加減して追い返すだけで済ませる事も出来たと思います」
「おやおや、随分とお優しい事で」
ハーモニーの呟きに対し、ニンジャはおどけた調子で肩を竦めてみせる。
「ていうか、そもそも、先に喧嘩を売りに来たのはこいつらだよ。己は、あくまで降りかかってくる火の粉を払っただけだってば」
「それはそうですけど……だからといって……」
「何だい? それじゃ君は、殺意マシマシで剣を振りかざしてきた奴ら相手に、五・一五事件の時の総理大臣よろしく、『話せば分かる!』とでも言ってやった方が良かったとでも?」
「……もう、いいです」
そう不満げに言い捨てると、ハーモニーはニンジャの横を通り過ぎ、耳を押さえて悶絶している猫獣人たちの前へ歩を進め始めた。
彼女が近づいてくるのに気付いた猫獣人たちは、慌てて迎撃態勢を取ろうと身体を動かそうとするが、激しく目が回っていて、立ち上がる事すらままならない。
すると、ハーモニーは、そんな彼らに向けて軽く首を横に振ってみせた。
「無駄よ。さっきの“狂詩曲・音の壁”で、あなたたちの三半規管をかなり揺らしたから。たしか、猫の三半規管って人間よりも大分敏感なはずだから、しばらくは戦うどころか起き上がる事すらできないはずよ」
彼女は猫獣人たちに向けてそう告げると、彼らの前でおもむろに片膝をつく。
そして、平衡感覚を喪ってゆらゆらと身体を前後に揺らしながらも、全身の黒毛を逆立てながら自分を威嚇するヴァルトーの顔をマスク越しにじっと見つめながら、静かな声で言った。
「……手荒な真似をしてごめんなさい。でも、しょうがないよね。あの人が言った通り、人の家に勝手に上がり込んできたあなた達が悪いんだから」
「な……何を言う!」
ハーモニーの言葉に、ヴァルトーは歯を剥き出し、怒りを露わにしながら叫んだ。
「さ……先に攻め込んできたのは、貴様らの方であろう! 我らの同胞を数多殺した上、つい先日も、よりにもよって我らの……いや、この世界の礎である“石棺”を狙って、王都に土足で踏み込んできたではないか!」
「しょうがないでしょ! あたしたちが元の世界――日本に帰る為には、石棺を壊さなきゃいけないんだからさ!」
ヴァルトーに怒声を浴びせられたハーモニーも、思わず声を荒げる。
だが、すぐに我に返った彼女は小さく首を横に振ると、穏やかな声で言った。
「……今は、そんな話をあなたと交わすつもりは無いの。――本題に入るわね」
「……本題?」
思わず首を傾げるヴァルトーに頷き返して、ハーモニーは言葉を継ぐ。
「今の戦いでも分かったでしょう? あなたたちの力じゃ、装甲戦士にはまるで歯が立たないって事が」
「……」
ハーモニーの問いかけに対して、ヴァルトーは口を固く結んだまま何も答えなかったが、それが何よりも雄弁に答えを物語っていた。
彼の沈黙を“肯定”と見做したハーモニーは、小さく頷くと、更に言葉を続ける。
「――でも、あたしたち……少なくともあたしは、今この場での無用な戦いを望んではいないの。――だから、あたしの出す条件を吞んでくれるんだったら、あなたたちはもちろん、後方に控えてるあなたの仲間も含めて見逃してあげる。――いえ、あたしたちの方が大人しくこの場を立ち去るわ」
「――ッ!」
唐突で意外なハーモニーの提案に、ヴァルトーは大いに驚いた様子で、唖然とした表情を彼女に向ける。
ハーモニーは、そんな彼を真っ直ぐに見据えながら「その条件とは――」と続けた。
「――猫獣人軍と一緒に行動している、ホムラハヤテ……装甲戦士テラの身柄を、あたしに引き渡す事よ」
「な……!」
彼女の提示した条件を聞いたヴァルトーは、更に驚いて大きく見開いた目で彼女の仮面を凝視しながら、おずおずと尋ねる。
「そ、それは……ハヤテ殿を、お前たちの仲間として引き込むため――」
「そんな訳無いでしょ!」
「ッ!」
ヴァルトーの問いかけに、ハーモニーは再び声を荒げた。
その激しい剣幕に思わず気圧された様子のヴァルトーを睨みつけながら、彼女は怒声を上げる。
「何で、あたしがテラ――健一くんを殺した憎い仇を仲間にしなきゃいけないの! 逆よ!」
「ぎゃ……逆だと?」
ハーモニーの言葉を聞いたヴァルトーは、当惑した顔で首を傾げる。
「逆……とは、一体どういう――」
「決まってるでしょ!」
ヴァルトーの声を遮ったハーモニーは、興奮した様子で拳を固く握りしめながら叫んだ。
「テラ――ホムラハヤテに、健一くんを殺した事を心の底から後悔させながら、その罪の報いを受けさせてやる為よッ!」




