第十五章其の弐 斥候
夜も半ばを過ぎ、エフタトスの大森林にも深い闇が垂れ込めている。
――そんな、真っ暗闇の中、ガサガサと草を掻き分け進む音が聞こえる。
「……」
一言も発せずに獣道を進むのは、甲冑に身を包んだ徒歩の猫獣人兵数名だった。
彼らはドリューシュ率いる“森の悪魔”討伐隊の一隊で、夜闇に紛れるよう、黒毛の毛柄をした者を集めた斥候隊であった。
隊を率いるのは、隊列の最後尾を歩くヴァルトーである。
斥候隊の兵は、緊張の面持ちで、常に周囲に向けて目を配りながら、なるべく音を立てぬよう、慎重に歩を進めていく。
松明ひとつ掲げてはいなかったが、元々夜目が利く猫獣人には必要ない。彼らは、叢の間に僅かに残った痕跡を辿りながら、森の悪魔のアジトを目指していた。
――やがて、先頭を歩いていた兵が、右腕を上げた。それは即ち、『アジトが見えた』という合図である。
「……ッ!」
それを見た斥候隊の面々の間に緊張が走る。
最後尾のヴァルトーは、無言で頷くと、小走りで隊の先頭に向かった。
そして、身を低くして草むらの陰に隠れている先頭の兵の背をつついて尋ねる。
「……あったか?」
「はい……あそこです」
頷いた兵が指さした先には、深い森の中にも関わらず、不自然にぽっかりと開けた空間があり、その中に何棟かの建物らしきシルエットが建っているのが見えた。
だが――、
「暗いな……」
灯りひとつ灯っていない小屋を見たヴァルトーは、胡乱げに呟いた。
「もう寝ているのかもしれません。でしたら、こちらとしては好都合ですが……」
彼の傍らに控えた兵が期待を込めた言葉を漏らすが、ヴァルトーは難しい顔をして唸る。
「……確かに、そうかもしれぬが、違う可能性もあり得る」
「我らの動きを察知して、慌てて逃げ去った……とかですか?」
「いや……或いは――」
部下の言葉に曖昧に答えながら、ヴァルトーはふと嫌な予感を覚えて、周囲に視線を巡らせた。
そして、緊張で浅く息を吐きながら、もうひとつの可能性を口にする。
「或いは……こちらの動きを察知し、隠れて待ち伏せをしている――」
「――大当たり~!」
「――ッ!」
突然上がった陽気な声に、ヴァルトー達は全身の毛と尻尾を逆立てた。
すかさず立ち上がったヴァルトーは、素早く剣を腰から抜き放ち、部下たちに向けて叫ぶ。
「総員! 散れ――」
「遅いぜ!」
慌てて散開しようとする猫獣人を見下ろしながら、樹上の太い枝の上で仁王立ちになった装甲戦士ニンジャ・火遁形態はせせら笑った。
そして、素早く両手で印を組む。
「忍技・閃火焼雨!」
技名を唱えたニンジャが両手を大きく振ると、上空に無数の細かい火炎の粒が現れ、そのまま地上の猫獣人兵たち目がけて次々と降り注ぎ始めた。
「ぐあああ――ッ!」
「あ……熱いッ!」
「ぐぅっ……!」
濃密な火の雨に見舞われた猫獣人兵たちは、地上の草木や己の鎧で燃え上がる火の熱さと痛みを感じ、思わず苦悶の声を上げる。
「――くっ!」
ニンジャの存在に気付いた瞬間、反射的に大きく横に跳んで、彼の放った火の雨を避けたヴァルトーは、起き上がるや腰のベルトに挿した小刀を抜き、樹上のニンジャ目がけて投擲した。
「――うおっ!」
飛んで来る小刀に気付くのが遅れたニンジャだったが、間一髪のところで身を捩らせて避ける。だが、その拍子にバランスを崩し、枝から足を踏み外してしまう。
「……っと! 危ない危ない」
だが、ニンジャは空中で身軽に一回転すると、火の燻る草むらの上に音も無く着地した。
そして、小刀を投げた体勢のまま、悔しげな表情を浮かべるヴァルトーに顔を向けると、仮面のアイユニットを光らせる。
「へぇ、なかなかやるじゃないか、猫のクセに。少し油断しちゃったよ。これじゃ、『猿も木から落ちる』ならぬ『ニンジャも木から落ちる』ってやつだ――」
「うおおおおおおっ!」
不敵な軽口を叩くニンジャに向けて、地面を転がり回ってようやく鎧の火を消し止めた猫獣人兵たちが一斉に斬りかかった。
だが、自分の元に殺到しようとする猫獣人兵たちを一瞥したニンジャの様子に、焦る様子は見られない。
「ふっ……」
彼は含み笑いを漏らすと、右手で背中の忍一文字を抜き放ち、素早く印を組んだ。
「忍技・火装焦刃!」
彼の声と共に、忍一文字の刀身が火を噴き、炎の刃と為す。
そして、ニンジャは刀を逆手に持ち替え、ゆっくりと重心を下げ――
「――忍技・神楽炎舞!」
間合いに入った猫獣人兵たちに向け、身体を回転させながら鋭い斬撃を放った。
「がはッ――!」
「ぐふぅ……」
「……ッ!」
炎を纏った鋭い斬撃を受けた猫獣人兵たちは、驚愕と恐怖の表情を浮かべたまま、一斉に崩れ落ちる。
「――ッ!」
あっという間に斃された仲間の亡骸を目の当たりにしたヴァルトーと残りの猫獣人兵は、“森の悪魔”の圧倒的な力を目の当たりにして、思わずたじろぐ。
そんな彼らに向け、小首を傾げてみせたニンジャは、構えていた忍一文字を下ろすと、キョロキョロと周囲を見回してみせた。
「……っていうか、アンタ達だけかい?」
「……」
「なるほどね……察するに、アンタ達は偵察隊って訳か」
ニンジャは合点がいったというように頷くと、おどけた様子で肩を竦めてみせた。
「ふふ……偵察の概念があったり、夜闇に紛れる黒猫を集めたりとか、猫獣人は、己たちが思ってた以上に知能が発達しているようだねぇ。もう、普通の人間と何ら変わらないな」
「……」
「――まあ、そんな事はどうでもいいか」
そう言うと、ニンジャは燃え盛る草々をずかずかと踏み分けながら、ヴァルトーの方へと歩みを進めた。
そして、二メートルほど離れた所で立ち止まると、再び口を開く。
「アンタ、あそこの砦に居た黒猫さんだろ? 焔良さんと仲良さげだった……」
「……それがどうした」
ニンジャに向けて剣を突きつけ、油断なく瞳を光らせながら、ヴァルトーは答えた。
そんなヴァルトーの反応に苦笑を漏らしながら、ニンジャは言葉を重ねる。
「ひとつ訊きたいんだけどさ。アンタらは焔良さんの事を、本当はどう思っているんだい?」
――と。




