第十五章其の壱 選択
「……」
「……」
草々が生い茂るエフタトスの大森林を、火を灯した松明を掲げたハヤテと碧は無言で進んでいた。
鬱蒼と茂る木々が伸ばした枝葉によって、無数の星が瞬いているはずの天は見えず、木の幹ばかりの周囲の景色も一向に代わり映えしない。
ややもすると方向を見失いそうになるが、昼間“森の悪魔”討伐隊の猫獣人たちが踏みしめた跡が獣道となって、ふたりの行方を示していた。
――そう、ハヤテと碧は、進んでいるのではない。
来た道を引き返しているのだ。
「あ! この変な形の木……見覚えがあるよ!」
と、後ろを歩いていた碧が声を上げた。
「って事は……このペースなら、あと一時間くらいで森を出られそうね」
「……」
「もっとも……行きと違って、今は徒歩だから、もう少しかかるかもだけど……」
「……」
「……ねえ、ちょっと! ハヤテさん、聞いてるっ?」
「え……? あ、ああ……すまない」
苛立った碧が声を荒げて、ようやくハヤテが振り返る。
そして、困ったような表情を浮かべながら、おずおずと尋ねた。
「ええと……何だっけ?」
「……もういいわよ」
ハヤテの問いかけに憮然とした表情を浮かべた碧だったが、つと眉を顰める。
そして、ハヤテの顔を見上げながら、心配そうな声で訊いた。
「っていうか……大丈夫? 何だか、上の空みたいだけど……」
「……いや、大丈夫だよ」
と、碧の問いかけに対して反射的に答えたハヤテだったが、
「嘘ね」
そんな彼の返事を、碧はバッサリと否定する。
そして、大きな瞳で彼の目を覗き込みながら、ハッキリと言った。
「心配なんでしょ? 王子様たちの事が……」
「……」
碧の言葉に、ハヤテは無言で目を伏せる。その反応が、彼が胸の中で圧し潰そうとしている答えを雄弁に物語っていた。
そんなハヤテの様子を見た碧は、小さく溜息を吐くと、彼の腕を引っ張る。
「――じゃ、戻ろ。今から戻れば、まだ王子様たちに追いつけるよ!」
「……い、いや」
碧の提案に、一瞬躊躇する様子を見せたハヤテだったが、ハッと目を見開くと、ブンブンと首を横に振った。
「それは……ダメだ。それでは、ドリューシュ王子の命令に背く事になってしまう。――俺たちがキヤフェに向かって、幽閉されているフラニィを助けろという命令に……」
「――じゃあ、急ぎましょ。早く森を抜けないと、夜が明けちゃうわ」
「……あ……あぁ……」
「……あーっ、もうッ!」
煮え切らないハヤテの返事に業を煮やして声を荒げた碧が、今度はハヤテの服の襟首を掴んで怒鳴りつける。
「ハッキリしなさいよ! あなたは、一体どうしたいのッ?」
「ど……どうしたい……って?」
「決まってるでしょ!」
碧は険しい顔で、更に声を張り上げた。
「今からUターンして、王子様たちを助けに行くか、このまま進んで、フラニィとかいうお姫様を救いに行くか……どっちにするのッ?」
「そ……それは……もちろん――」
『フラニィを迎えに行く』――そう、口にしようとしたハヤテだったが、言葉が喉に閊えたように出てこない。
ハヤテは何度も咳払いをして喉をほぐし、ようやく口を開いた。
「も……もちろん、フラニィの……方を――」
「あなたは、本当にそれでいいの?」
「――!」
ようやく紡ぎかけた声を遮り、厳しい声で訊ねた碧は、たじろぐハヤテの目を真っ直ぐに見つめながら更に問いを重ねる。
「いま、ハヤテさんが口にした言葉は、裏を返せば『王子様たちは全員見捨てます』っていう事なんだよ?」
「う……」
「……いいよ」
「え……?」
碧の口から紡がれたのは、意外にも肯定だった。
戸惑うハヤテを前に、彼女は静かに言葉を継ぐ。
「ハヤテさんが、そこまでの――ひとりの命と引き換えに、三百の命を切り捨てる覚悟を込めて決めたんだったら、私は従うよ」
「そ……れは……」
碧の毅然とした言葉に、ハヤテは唇を噛んで俯き、それから――小さく頷いた。
「それでも……俺は、フラニィを助けに行く。それが……ドリューシュ王子が望んだ事で、それを違えるという事は、彼の覚悟を踏みにじる事になるから――」
「だから! そうじゃないって言ってるのッ!」
碧の絶叫と共に上がった乾いた音と同時に、彼は頬に衝撃と痛みを感じた。
「――ッ!」
ハヤテは驚いた顔で、思わず右頬を手で押さえる。
――碧に張り飛ばされた頬は、熱かった。
「もう……これだから、男ってヤツは……!」
手を振り抜いた姿勢のまま、怒りの表情でハヤテを睨みつけた碧は、更に声を荒げる。
「あなたが今口にしたのは、ドリューシュ王子様の意志でしょ! 私が聞いているのは、あなた自身がどうしたいと思ってるのかなの!」
「……俺の――」
「ぶっちゃけ、今のあなたの答えは最ッ低よ!」
「さ……最低?」
「そうよ、最低よ! だって――」
興奮で顔を真っ赤にした碧は、大きく息を吸うと、心の中に湧き上がった怒りのマグマを一気に吐き出す勢いで捲し立てる。
「今、ハヤテさんは、三百の命を犠牲にするという決断の責任を、『ドリューシュ王子の意志だから』って言い訳で、王子様に全部押し付けたんだよ! 最低じゃん!」
「う――!」
碧の言葉に、ハヤテはハッとして息を呑んだ。
そんな彼の表情の変化を見て取り、碧は大きく溜息を吐くと、もう一度彼の目を見据える。
そして、先ほどまでとは打って変わった、静かな口調で問いかけた。
「じゃあ、それを踏まえて、もう一回聞くよ。――ハヤテさん」
「……ああ」
「――あなたは、あなた自身はどうしたいの? 助けたいのは……フラニィさん? それとも、ドリューシュ王子様……?」
「俺は……」
碧の問いに、ハヤテはぎゅっと目を閉じ、しばしの間考え込む。
そして――静かに目を開くと、
「――どちらも、選ばない」
そう言って頭を振り、碧の目を真っ直ぐに見返して、決然と言い放つ。
「どちらも、助ける!」
「……」
ハヤテの答えを聞いた碧は大きく目を見開き――ニコリと微笑んだ。
「……うん。良くできました」
「……反対はしないのか?」
「しないよ」
あっさりと頷いた碧の反応に少しびっくりした顔のハヤテに向け、碧は頭を振ってみせた。
「今のは、ハヤテさんが自分の心と向き合って出した答えだもん。反対なんてしないし、しちゃいけないと思う」
「……すまない」
碧の答えに、一瞬こみ上げる感情を堪えるような表情を浮かべたハヤテだったが、慌てて咳払いをして誤魔化すと、言葉を続ける。
「――今から引き返して、ドリューシュ王子とオチビトの戦いを止め、それからキヤフェに向かい、フラニィを助け出す……かなり無理のある作戦にはなるけど、ふたりの命を救うには、それしか無いと思う。でも……正直、俺ひとりだけじゃ厳しい」
「うん……そうだよね」
「……香月さん」
そう言うと、ハヤテは碧に向けて手を伸ばした。
そして、彼女に向け、静かに訊く。
「こんな俺の我儘に付き合わせてしまって申し訳ないが……君の手を貸してくれないか?」
「……もちろん!」
ハヤテの問いかけに目を輝かせた碧は、二つ返事で頷くと、自分に向けて差し出された手を躊躇いなく握り返した。
掌を通して碧の温もりを感じたハヤテはぎこちなく微笑むと、おもむろに彼女に向けて頭を下げる。
「ありがとう、香月さん。……それから、ゴメン」
「……ゴメンって、何が?」
キョトンとする碧に、ハヤテは表情を曇らせながら言葉を継いだ。
「……万が一、向こうのオチビトと戦う事になったら、君にも危険が及ぶかもしれない。それに、君の力を借りても、失敗するかもしれない――」
「何言ってんの」
そう言うと、碧は憂い顔のハヤテに向かってニコリと笑みかける。
そして、確信に満ちた声で言った。
「装甲戦士テラと装甲戦士ルナが力を合わせるのよ。成功するに決まってるじゃん!」




