第十四章其の壱拾参 墓参
鬱蒼と茂った森の中。
空に満ちる星の光も届かぬ樹海の底。
辺りに満ちる夜の闇は、黒よりもなお暗い。
そんな濃密な闇に敢然と立ち向かうかのように、小さく朱い炎がゆらゆらと揺れていた。
その僅かな光は、こんもりと盛り上がった小さな土饅頭と、その上に建つ一本の杭を照らし出す。
それは――先日命を落とした、あるオチビトの墓であった。
「……健一くん」
杭の前で膝をついた天音は、その下に埋まっている仲間――いや、弟のように思っていた故人の名を、静かに呼んだ。
彼女は、ささくれ立った杭の表面を優しく撫でながら、まるで健一が目の前にいるかのように、優しく言葉をかける。
「――大丈夫? 寒くない? こんな寂しい土の下に居て……」
そう言いながら、天音は視線を下に向け、土饅頭に供えられたボロボロのマンガ雑誌を手に取る。元々、暇があれば健一が読んでいたせいで傷んでいたマンガ雑誌は、墓前で風雨に晒され続けていた故に、今やページを捲る事も難しい程に朽ち果てつつあった。
何気なくマンガ雑誌を開こうとした天音だったが、朽ちたページの切れ端の何枚かがまるで紙吹雪の様に舞い散るのを見て、慌てて土饅頭の上に戻した。
そして、再び杭に掌を添えながら、囁くように語りかける。
「待っててね、健一くん。もう少しで、君の仇を討ってあげられるから。あたしがこの手で……装甲戦士テラを……殺してあげるからね」
つと、杭を撫で続ける天音の手が止まった。
彼女は、キュッと唇を噛みしめると、まるで血を吐く様な声で言葉を継ぐ。
「あの……ショウ――ホムラハヤテを……!」
「――アマネ」
「――ッ!」
不意に背後からかけられた声にビクリと肩を震わせた天音は、慌てて背後を振り返る。
そして、自分に声をかけた者の顔を見て、小さく息を吐いた。
「何だ……アンタか」
「……何だよ、健一が生き返ったとでも思ったのか?」
「……うるさい」
苦笑交じりの薫の声に、天音は目を逸らしてぞんざいに言った。
「アンタ達……そろそろ出発なの? ――オリジンの村へ」
「ああ……だから、最後にもう一度会っておこうと思ってさ」
天音の問いかけに低い声で答え、薫は土饅頭へと歩を進める。
そして、なみなみと水を湛えた木製のコップを土饅頭の前に置くと、その前に膝をつき、静かに手を合わせた。
「悪ぃな、健一……絶対に戻ってくるからよ。寂しいかもしれねえけど、我慢して待っててくれ……」
そして、膝についた土を払いながら立ち上がると、傍らに立っていた天音をじっと見つめる。
「な……何よ? 人の顔をジッと見て――」
「アマネ……」
天音の声を途中で遮った薫は、一瞬だけ躊躇したが、すぐに意を決した様子で口を開く。
「――焔良……焔良疾風の事だけどよ」
「! ……何?」
薫の口から出た“仇敵”の名に、天音の表情が険しさを増す。
憎悪が滲み出る彼女の表情を目の当たりにした薫は、思わずたじろぐが、グッと奥歯を噛みしめると言葉を続けた。
「実は……健一を殺したのは、アイツ――焔良じゃねえかもしれねえんだ……」
「……え?」
薫の口から出た言葉に、天音は眼鏡の奥の目を大きく見開く。
「何それ……? どういう事? だって……聡おじさんは、ホムラハヤテが健一くんを殺したって――」
「……それが、違うかもしれねえって話だ」
「は……?」
天音は、薫の言葉に唖然とした表情を浮かべるが、すぐにブンブンと激しく首を横に振った。
「そ、そんな訳無いじゃない! 第一、アンタも聡おじさんの話に何も言わなかったじゃない! それって、あの話を信じたからなんじゃないの?」
「それは……」
「じゃあさ!」
激昂して眉を吊り上げた天音が、薫に詰め寄りながら声を荒げる。
「言ってみなさいよ! ホムラハヤテが健一くんを殺したんじゃないのなら、一体だれがあの子の命を奪ったって言うのよ!」
「そ……れは――」
天音に詰問された薫は、思わず言葉を詰まらせた。
(今……今、コイツに伝えるべきなのか? あの事を……!)
彼は躊躇った。
今、彼女に対し、自分の胸の中に収めている疑惑を伝えてしまう事が、最善なのか?
それとも、自分たちがオリジンの村へ出発した後、天音と共に残る斗真の口から伝えた方が安全なのか? ……と。
――だが、薫はすぐに決断を下した。
(この事は……オレが自分の口でコイツに言わなきゃいけない……そんな気がする)
そう心を決めた薫は、大きく息を吐くと、天音の目を真っ直ぐに見つめ、口を開く。
「アマネ……落ち着いて聞いてくれ」
「え……?」
天音は、いつもの彼らしくない様子に戸惑いながら首を傾げた。,
「……これは、今はオレの推測でしか無いけど、多分間違いない」
「……」
「け……健一を殺したのは、焔良疾風じゃなくて、実は――」
「やあ、薫くん。こんな所で何をしているんだい?」
「ッ――!」
正に話の核心に触れようとした寸前に、まるで図ったかのようなタイミングで背後からかけられた声に、薫は表情を強張らせた。
「おや……? ひょっとして、お邪魔だったかな? 若いふたりの甘い時間的な――」
「さ、さと……牛島ッ! 何バカな事言ってんのよ!」
「ははは、そんなに照れなくてもいいよ、天音ちゃん」
「そうじゃないってば!」
顔を真っ赤にして怒鳴る天音をいなしながら、牛島は愉快そうな笑い声を上げる。
「……」
だが、その瞳に冷たく昏い光が宿っているのを、薫の目は見逃さなかった。
――と、牛島の目が薫の方を向いた。
「だったら……本当は何をしていたんだい? こんな所で」
「そりゃ……は、墓参りだよ。健一の……」
探るような牛島の視線を受け、左胸の心臓が警鐘のように鳴り続けるのを感じながら、薫は出来るだけ平静を装って答えた。
そんな薫の答えを聞いて興味無さげに「ふぅん」と頷いた牛島は、ふたりの後ろに立つ杭を一瞥し、それから人差し指をちょいちょいと動かしながら、ふたりに向かって告げる。
「薫くん。名残惜しいだろうが、そろそろ出発の時間だ。――さあ、行こう」
「お……おう」
慌てて頷いた薫は、もう一度天音の顔を見て悔しそうに唇を噛んでから、小屋の方へ戻る牛島を追って歩き始める。
「――何なのよ……」
振り返り間際に薫が見せた無念の表情に、何故か心が泡立つのを感じつつ、天音もふたりの背中を追おうとする。
――と、その時、
「……えっ?」
不意に、服の袖を引っ張られるような感覚を覚え、天音は驚いて振り返った。
――だが、彼女の後ろには誰も居らず、健一の墓である木の杭が一本立っているだけだった。
「健一くん……?」
天音は、胸の動悸が早まるのを感じながら、恐る恐る呼びかける。
――だが、当然のように、返ってくる声は聴こえなかった。
「……気のせい、よね。やっぱり」
天音は、そう自分に言い聞かせるように呟くと、くるりと踵を返して、小走りでふたりの後を追うのだった……。




