第二章其の弐 血石
大股で歩を進める牛島の後ろを、強張った表情のハヤテが続いた。
だが、すぐに足を止めた牛島は、ハヤテの方に振り返って微笑みかける。
「……さて、ここだよ」
そう言って、彼が指をさしたのは、ハヤテが寝かされていた山小屋よりもずっと質素でみすぼらしい掘っ立て小屋だった。
それを見たハヤテの表情が、一層険しさを増す。
「……ここは?」
「え? ただの食糧貯蔵庫だが、それが何か?」
「! しょ……食糧貯蔵庫――?」
牛島の答えに、ハヤテはギョッと目を剥いた。
そんな彼の顔を見て、牛島は吹き出す。
「ぷっ! ははは。安心したまえ。確かに男所帯で食糧は不足気味だが、さすがにモノを喋る生き物を食べるほど、趣味が悪くも逼迫してもいないよ」
「……そういう訳では」
嗤い飛ばされて憮然とするハヤテを尻目に、引き戸に手をかけた牛島は彼を手招いた。
「まあ、入りたまえ、疾風くん」
「……」
牛島の招きに応じ、無言で小屋の中に入ったハヤテだったが、小屋の中の光景に大きく目を見開く。
「……な、何だ――」
――小屋の広さは、せいぜい六畳ほどの広さだった。
その四方の壁には粗末な作りの棚が並び、膨らんだ袋や歪な形の壺が所狭しと並んでおり、天井の梁からは、荒縄に結ばれた塊肉の燻製がいくつか吊り下げられている。
そして――、
「ふ――フラニィ……っ!」
梁の真ん中から一際太い縄が伸びていて、――その先には、両眼を固く閉じて気を失っている白猫の獣人が、両手首を後ろ手に結びつけられ、宙吊りにされていた。
その白い毛皮には、赤黒い血痕が張り付き、浅い呼吸を吐く口元からも一条の赤い血が垂れている……。
彼女の痛々しい姿を目の当たりにしたハヤテは、憤怒を露わにした表情で、後ろ手で引き戸を閉めた牛島の方に詰め寄る。
「牛島ぁっ! お前――ッ!」
「薫くん」
「……」
「――グッ!」
躊躇無く牛島に掴みかかろうとしたハヤテだったが、牛島の一声で小屋の奥から近付いてきた薫によって、即座に羽交い締めにされた。
「は――放せッ!」
「そう言われて、素直に放す訳ねえだろうが、ボケ」
身体の自由を奪われ、藻掻きながら喚き立てるハヤテを、薫は冷笑した。
そんなふたりを見て、牛島も苦笑いを浮かべる。
「さて……。これで、私達が言った事がウソじゃない事が分かっただろう? 猫の王女様は、ちゃんと無事――」
「これのどこが“無事”だと言うんだ! まるでモノのように吊しておくなんて……! こんな非人道的な真似を――」
「非人道的? ――ハハハッ! 君は面白い事を言うね、疾風くん!」
血相を変えて抗議するハヤテに、牛島は嘲笑を浴びせかけた。
ハヤテを羽交い締めにする薫も、耳障りな声で嗤い飛ばす。
「ヒャハハハハッ! てめえ、いけ好かねえが、トチ狂い過ぎて面白え奴だな! こんな化け猫相手に、人道的もクソもねえだろうが! 何てったって、ヒトじゃねえんだからよぉ、この化け猫は!」
「……化け猫だと……?」
自分を拘束しながら哄笑する薫の顔を、ハヤテは背中越しに睨みつけた。
――と、
「こらこら、ふたりとも。こんな狭い場所で暴れないでもらえるかな? それに、ここはそう頑丈な建物でもないんだ。男ふたりが暴れ回ったら、あっという間に倒壊してしまうよ」
まるで、子犬がじゃれ合うのを見る飼い主のようなテンションでハヤテと薫を窘めた牛島が、一歩前に歩を進める。
――そして、袖を捲って左手首に嵌めたジュエルブレスを露わにすると、ジャケットのポケットから、八角形にカットされた淡い赤色の魔石を取り出した。
それを見た瞬間、ハヤテの顔色が変わる。
「そ、それは……“ブラッディダイヤモンド”――!」
「ご名答。さすがに詳しいね、疾風くん」
そう言って、ハヤテに笑いかけた牛島は、躊躇いなくジュエルブレスに魔石を嵌め込んだ。
「魔装――!」
そう、彼が声を上げた瞬間、ジュエルブレスから夥しい赤光が溢れ出し、牛島の身体を包み込む。
そして――その光が収まった時、牛島の身体は、深紅の光を放つ魔石の鎧に覆われていた。
『魔装・装甲戦士ジュエル・ブラッディダイヤモンドエディション――』
ジュエルブレスが、合成音声にて装甲フォームの装着を言祝いだ。
――装甲戦士ジュエル・ブラッディダイヤモンドエディションとは、ジュエルの最終フォームである。“ブラッディダイヤモンド”という名の通り、自らの血液を操り、最硬の結晶と為す事が出来る。
液体のしなやかさと金剛石の強靱さを兼ね備えた、歴代の装甲戦士の中でも攻防共に優れた最終フォームだといえる。
「……くっ!」
ハヤテは、薫に羽交い締めにされながらも、両手を前に出して戦闘の構えを取ろうとする。
……が、生身で――いや、仮にコンセプト・ディスク・ドライブが手元にあって、テラ・タイプ・ウィンディウルフに換装できたとしても、ジュエルの最終フォームであるブラッディダイヤモンドエディションには敵うはずも無い。『鎧袖一触』すら叶わぬであろう。
――が、
「ははは。そう身構えなくても大丈夫だよ、疾風くん。この力を君に向けるつもりは無い」
「……何?」
ジュエルの魔石を象った仮面越しにかけられた言葉に、ハヤテは怪訝な表情を浮かべた。
「それは……一体……?」
「ふふ……それはね――」
ハヤテの問いかけに、愉快そうな笑い声を上げたジュエルは、傍らの棚に手を伸ばし、“500mmペットボトル”くらいの大きさをした空の壺を手に取った。
――そして、クルリと振り返った彼は、天井の梁から吊されているフラニィの細首に左手の指を絡ませる。
「な――ふ、フラニィに何をする気だ! その手を放せ!」
「疾風くん……。私は、テレビで『装甲戦士ジュエル』を観ながら、『もし自分がジュエルになったら試してみたい』と思っていた事があったんだよ」
ハヤテの絶叫がまるで聞こえていないかのように、ジュエルは言葉を続けた。
「――このブラッディダイヤモンドエディションは、血液を操る能力を有している。劇中の主人公・伊矢幕雅は、自分の血液を操って戦うばかりだったが……私は、こう考えたんだ。――『この能力を、他人の血液を操る為に使う事は出来ないのだろうか?』ってね」
「な……何だと……?」
ハヤテは、ジュエルが平然と言ってのけたその言葉に慄然とし、同時に彼がこれから何をしようとしているのかを察した。
「ま――まさか! 止めろ――!」
「――で、やってみたら、出来たんだよ。――こういう風に、ね!」
ジュエル――牛島のせせら笑いが目に浮かぶような声と共に、彼の左手の装甲が赤黒く光った。
次の瞬間、意識を失っていたフラニィの目がカッと見開かれ、
「……あ……あ、ああああああああああああっ!」
同時に、その口から苦悶の叫びが上がり――その首筋から一条の真っ赤な血液が、まるで噴水のように噴き出したのだった――!




