第十四章其の伍 感情
――数日後。
ドリューシュがキヤフェから引き連れてきた百名と、オシス砦の守備兵の中から選ばれた二百名――合計三百名にオチビトである焔良疾風と香月碧を加えた“森の悪魔”討伐隊は、日が出ると同時に、沈痛な表情を浮かべる留守居の守備兵たちに見送られながら、オシス砦を発った。
討伐隊は、そのまま目の前に広がる広大なエフタトスの大森林の中へと足を踏み入れ、どんどんと奥へと進んでいく。
目指す森の悪魔のアジトの位置は、かつてそこから脱出した経験のあるフラニィから聞き取った情報を元に、おおよそのアタリを付けてある。
鬱蒼と草木が茂る大森林には、当然のようにまともな道などは無かったが、騎馬の扱いに熟達した猫獣人兵たちとっては、そんな道なき道を進む事など苦も無い事だった。
彼らは縦列に連なり、慎重かつ確実に、先へ先へと進んでいく――。
――その隊列の中央付近で、
「ねえ……」
馬によく似た大型動物の背に跨った碧は、慣れぬ手綱捌きに四苦八苦しながら、傍らのハヤテに声をかけた。
「その……オチビト達のアジトって、どのくらいかかるの?」
「え……?」
彼女と同じように手綱を繰りながら、ハヤテは目を中空に向け、自分がフラニィを連れてアジトを脱出した時の事を思い出しながら答える。
「そうだな……。アジトから逃げ出した時に、フラニィに尋ねたら『大体九ルイ』だって言ってた」
「九……ルイ?」
「あぁ……。俺たちの単位に換算すると、大体三十キロくらいってところらしい」
「三十キロかぁ……結構遠いのね」
ハヤテの答えを聞いた碧は、顔を顰めて腰を擦った。
「痛たたた……。こんなデコボコしたところで三十キロも馬の上に乗り続けてたら、お尻が同じくらいデコボコになっちゃいそう……」
「大丈夫ですか、アオイ殿?」
と、辟易した様子で愚痴る碧に声をかけてきたのは、第一王太子のドリューシュだった。
「何せ、道ひとつない森の中で行軍しておりますので……。これでも、隊列を乱さぬ様、大分行軍速度を抑えているのですが……」
と、彼は申し訳なさそうに言うと、「難儀をさせてしまいまして、申し訳御座いません」と、碧に向かって深々と頭を下げる。
第一王太子からの丁重な謝罪を受けた碧は、その目を大きく見開いて、オロオロとし始める。
「あ……い、いえ! こちらこそごめんなさい! 私は別に、文句を言った訳じゃなくて……」
「……ふふっ」
「ちょっ! そこ、何笑ってんのよ!」
「あ……すまない。つい……」
慌てふためく様子が滑稽で、思わず噴き出したハヤテは、すかさず碧に怒鳴られた。
そんなふたりの様子に口元を綻ばせたドリューシュは、頭上を振り仰いで目を眇める。
そして、ハヤテと碧の方に目を戻すと、穏やかな声で言った。
「――もう少しで、日が中天に昇ります。そうしたら、一旦行軍を止めて大休止を取りますので、それまでご辛抱下さい」
「あ、ハイッ!」
ドリューシュの言葉に、声を裏返しながら答える碧。そんな彼女にニコリと微笑みかけると、ドリューシュは手綱を繰って軍列の先頭に向かって馬を走らせていった。
碧は、去っていくドリューシュの背中をうっとりとした目で眺めていたが、ほぅ~と息を吐く。
「――何だか、カッコいいよね、ドリューシュ王子様……」
「え……?」
碧の呟きに、思わず戸惑いの声を上げるハヤテ。
そんな彼の反応にも構わず、碧は言葉を継ぐ。
「何て言うのかな? 仕草がいかにも王子様~って感じだし、何か余裕があるし、私みたいな部外者にも優しく接してくれるし。……でも、部下に指示をしたりするときは、ハキハキしてて凛々しいしさ」
「香月さん……それって……」
ドリューシュの事を褒めそやす碧に、ハヤテはおずおずと問いかけた。
「君は、ドリューシュ王子の事が好きになったって事――」
「うーん……いや、ちょっと違うかなぁ」
ハヤテの問いに、少し考えた碧だったが、すぐに首を横に振った。
「もちろん、王子様の事は、人間的――じゃないか、猫獣人的に好きよ。――でも、今ハヤテさんが口にした“好き”は、“愛”……『LOVE』の意味での“好き”なんでしょ?」
「あ……まあ、うん」
「――じゃあ、違うね」
そう言うと、碧は白い歯を見せて笑った。
「今、私が言った『好き』は、あくまで『LIKE』の方の“好き”だからね。あの王子様に対して、ハヤテさんが連想したような感情は無いよ。……っていうか」
と言って、碧おどけるように肩を竦めてみせると、更に言葉を続ける。
「――そもそも、人間と猫獣人じゃ種族自体が違うんだから、恋愛なんて成り立たないでしょう?」
「……」
何故か、碧の言葉に対して、ハヤテはすぐに返事をする事が出来なかった。
言葉を失った彼の脳裏に、一瞬だけ白い影が過ぎる。
(――ッ?)
何故、唐突に彼女の顔が思い浮かんだのか……?
ハヤテは、つとこめかみを押さえ、フルフルと頭を振った。
そして、小さく息を吐くと、
「……まあ、そうだな」
ようやく、碧の言葉に対する返事を吐く。
だが、その言葉を口にした瞬間、心のどこかがチクリと疼くのを感じた。
――何故なのかは、解らない。




