第十四章其の弐 別離
「フラニィ……!」
イドゥンの後ろに控える妹の存在に気付いたドリューシュは、完全に意表を衝かれ、狼狽を隠し切れぬ表情を浮かべながら、目を大きく見開く。
まさか、この出陣間際のタイミングで、フラニィの顔を見る事が出来るとは思いもよらなかった。
だが、兄であるドリューシュの心に満ちるのは、妹に会えた喜びよりも、彼女がこの場に居るという事に対する困惑だった。
「ど……どうして、ここに……?」
「どうしたもこうしたも無い。寛容な私が、仲睦まじい兄妹に別れの機会を設けてやったのだ。ありがたく思えよ」
ドリューシュの問いかけに応えたのはフラニィではなく、したり顔のイドゥンだった。
そんな彼に、ドリューシュは警戒と当惑をまぜこぜにした表情を向ける。
「それは……ありがとうございます――と申せば宜しいのでしょうか?」
「何だ? 不満なのか?」
「あ……いえ……」
不興を露わにするイドゥンに、ドリューシュは慌てて首を横に振る。
そして、改まった様子で、深々と頭を下げた。
「――お心遣い、ありがとうございます。陛下」
「フン……! 最初から素直に感謝すれば良いものを。どこまでも反抗的な愚弟めが……」
苛立ちが収まらぬ様子で言い捨てるイドゥンだったが、さすがに言い過ぎたと感じたのか、きまり悪そうに咳払いをすると、取り繕うようにあからさまな作り笑いを浮かべる。
「まあ良い。せっかく、この私が時間を設けてやったのだ。存分に別れを告げるが良いぞ」
そこまで言うと、イドゥンは口角を上げ、酷薄な薄笑みを浮かべてみせた。
「――長い別れになるだろうからな」
「……ッ!」
イドゥンの言葉を聞いた瞬間、ドリューシュは唐突に理解した。
先ほどから感じていた、イドゥンの態度や言葉から感じ取った違和感。
その正体を――。
――『存分に戦い、安心していけ』
先ほど、イドゥンが口にした言葉が脳裏に蘇る。
(そうか……。さっき聞いた時は、『安心して行け』と言ったのだと思ったが――)
ドリューシュは僅かに眉間に皺を寄せ、
(そうではなく――『安心して逝け』と言ったのか、兄上は……!)
イドゥンの真意を察して、ギリリと唇を噛んだ。
ドリューシュは、胸に鈍い痛みを感じながら、静かに目を閉じ、ゆっくりと開ける。
彼の視界に、不安そうなフラニィの顔が映った。
「……」
妹の顔を見たドリューシュは、一瞬胸が張り裂けそうな思いに囚われかけるが、無理矢理笑顔を拵えてみせる。
「……ありがとうございます、陛下」
そう言いながらも、彼はイドゥンの目も一瞥すらせず、その横をすり抜けるように通り過ぎた。
兄とすれ違う間際、その顔面に拳を食らわせてやろうとする衝動をようやくの事で押さえながら――。
「ドリューシュ兄様……」
「フラニィ……元気かい?」
まるで萎れた花の様な顔で、それでも必死で笑顔を作っているフラニィの様子に心を痛めながらも、ドリューシュは彼女と同じように微笑みを作りながら声をかけた。
一方のフラニィは、その金色の瞳を潤ませながらコクンと頷く。
「……うん」
「お前らしくもないな。もっと、いつものお前らしくしていてくれよ」
「……ごめんなさい。でも――」
そう、微かに声を震わせながら答えたフラニィだったが、キュッと唇を結んだ。そして、真っ直ぐに兄の優しい顔を見つめながら言葉を継ぐ。
「――ドリューシュ兄様、お気を付けて。どうかご武運を……」
「ありがとう。頑張るよ」
フラニィの激励の言葉に、嬉しそうに頷いたドリューシュは、フッと表情を改め、妹に強い視線を送りながら口を開く。
「フラニィも、息災でな」
「……はい」
「……希望は、捨てるなよ。どんな状況になっても、お前の事は絶対に守るから――」
そう言いながら、ドリューシュはフラニィの身体を固く抱きしめた。
そして、彼女の耳元でそっと囁く。
「……ハヤテ殿が、ね」
「――ッ! 兄さ――」
兄の囁きにハッと目を見開いたフラニィが、慌てて声を上げるが、ドリューシュは素早く彼女の身体を放し、くるりと踵を返した。
「じゃあな、フラニィ! いつまでも元気でな!」
そして、首だけで振り返って、満面の笑みをフラニィに向け、ひらひらと手を振ってみせる。
「に、兄様ぁ……どうか……生きて……!」
フラニィは、そう言うのが限界だった。遂に堪えていた涙が両目から溢れ出し、止められなくなった。
「……」
そんな彼女の姿を見たドリューシュもまた、瞳を潤ませるが、固く目を瞑ってこみ上げるものを呑み込むと、ゆっくりと歩を進める。
そして、相変わらずの薄ら笑いを浮かべながら、ふたりの様子を傍観していたイドゥンの許へと歩み寄ると、小さく会釈した。
「――陛下、フラニィとの別離のお時間を頂きまして、ありがとうございました」
「おう」
頭を下げたドリューシュに、イドゥンは鷹揚に頷いた。
「もう、思い残す事は無いか?」
「……はっ」
イドゥンの言葉に、小さく首を縦に振ったドリューシュは、頭を上げると、イドゥンの顔を底光りする瞳で見据える。
ドリューシュの鋭い眼光に射すくめられたイドゥンは、思わずたじろいだ。
「な……何だ、その目は――」
「陛下」
声を荒げかけるイドゥンを、威圧感に満ちた声で制し、ドリューシュは静かに言葉を継ぐ。
「フラニィの事、何とぞよろしくお願いいたします」
「お、おう……」
「――もし、妹の身に何かがあったら……」
そう言いながら、ドリューシュはイドゥンに一歩近づいた。
ドリューシュに詰め寄られたイドゥンは、顔に恐怖の表情を浮かべながら、長身の弟の顔を見上げる。
そんな兄を憤怒の光を宿した目で見下ろしながら、ドリューシュは低い声で告げた。
「僕は、フラニィの事を傷つけた者を決して赦さない。たとえ死霊に身をやつしていようと、必ずこの地に還り、妹の敵を討ち滅ぼします。――陛下、たとえ、貴方であってもだ」
「――ッ!」
ドリューシュの言葉に、イドゥンは目を剥き、何やら怒鳴りかけるが、爛々と光る弟の目から放たれる剥き出しの殺気に圧されて、口をパクパクと動かすのみ。
そんな兄を睨みつけながら、ドリューシュは静かに言葉を継いだ。
「その事、努々お忘れなきよう……宜しいな、兄上――いや、イドゥン・レゾ・ファスナフォリックよ……!」




