第二章其の壱 黄昏
『だぁかぁらぁ! 日本語を喋れる奴を出せっつってんだろうが、この野郎!』
深夜のコンビニ。流行りのアイドルのチープな歌が流れる店内に、酒灼けした胴間声が響き渡る。
「……?」
先ほど店長から解雇を言い渡され、バックヤードで消沈と憤怒でグチャグチャになった心と一緒にロッカーを片付けていた仁科勝悟は、脱いだ制服を丸めて自分のリュックに詰め込みながら、表の方から聞こえてきた怒鳴り声に顔を上げた。
――店内の怒声は、まだ続いている。
『だから、てめえ! ナナオ払いだっつってんだろが! 使えねえって、どういう事だ、アアッ?』
「……アホか」
勝悟は、思わず失笑を漏らした。この店で、ナナオ払いなんて出来るはずないだろうが……。
『……!』
『――うるせえよ! 訳の分からねえ事ばっか言ってんじゃねえぞ、このガイジンがっ! てめえ、舐めてんのかァ! このオレを誰だと思ってんだ、ボケェッ!』
「……知らねえよ、ボケ」
応対しているらしい声を乱暴に遮った中年男の怒声に、勝悟は吐き捨てるように毒づいた。
深夜のコンビニでは珍しくもない、頭とタチと悪い酔っぱらいだ。深夜シフトに入っていれば、一回は遭遇する類の輩である。
自分が抜けてしまったので、今レジに入っているのは、ベトナムからの留学生のグエンくんだけだ。
一応、店長もいるのだが、責任を放棄した“無”責任者であるあの禿親父は、煙草を吸いに行くフリでもして、いち早く逃亡したのだろう……。
(――まあ、いい。もう、俺には関係無いし)
自分は、ついさっきクビになった身だ。グエンくんが客という名の燃えないゴミに絡まれていようと、店長が知らんふりを決め込んでようと、この店がどうなろうと知った事じゃない……。
そう、自分に言い聞かせながら、勝悟は制服を詰め込んだリュックのチャックを閉め、肩に担いだ。
――と、
『四の五の言わずに、さっさと会計しろや! オレの時間を、これ以上無駄に費やしてんじゃねえぞ、このクソガイジン!』
『……だカラ、できまセン……。だっテ――』
『お客様に口答えすんじゃねえよ、ゴミ店員風情が!』
「……チッ!」
ますます苛立ちを募らせた様子の男の声を耳にした勝悟は、思わず舌打ちをした。
乱暴にリュックを床に置くと、そのチャックを開け、丸めた制服を引っ張り出す。
そして、もう一度制服に袖を通すと、
「……クソがっ!」
小さく毒づき、店内に続くドアを開けて、バックヤードを出ていった――。
◆ ◆ ◆ ◆
「……うぅ」
呻き声を上げながら、ハヤテは目を開けた。
「……また、あの夢か……」
彼はそう呟くと、頭を押さえながら起き上がる。
毛布代わりに身体にかけられていたらしい、肌触りの悪い粗末な布がハラリと落ちた。
「縛られてはいないのか……」
ハヤテは、囚われの身であるはずの自分の身体が拘束されずに寝かせられていた事を意外に感じながら、キョロキョロと周囲を見回す。
「……誰も……いない?」
彼は、驚きを覚えながら、ゆっくりと立ち上がった。
「……くっ」
微かに顔を顰めて、ハヤテは首を押さえる。牛島に絞められた時の痛みが、まだ残っているようだ。
彼はそのまま、覚束ない足取りで山小屋の外へ向かって歩を進めた。
山小屋の引き戸に手をかけ、一気に引き開けたハヤテの目に、オレンジ色の光が雪崩れ込んできた。
「……夕焼け――か」
彼が居た山小屋は、森の木々を切り拓いたらしい広場に建っていた。そこに生える低い草々が、ハヤテが居た日本と同じオレンジ色の陽の光に照らされて、風に靡いている。
――と、
「やあ、起きたのかい、疾風くん」
「――!」
突然気さくな声がかけられ、ハヤテは思わず身構えた。
慎重に振り返ると、枯れ枝を抱えた中年の男が、柔和な笑顔を湛えて彼の方へと歩み寄ってくるのが見えた。
「……牛島!」
「ああ、そんなに警戒しないで。君が暴れなければ、手荒な事はしないよ」
慌てて身構えようとするハヤテを、手を上げて制しながら、牛島は穏やかな声で言った。
だが、ハヤテは警戒を解かず、周囲の気配を探りながら、口を開く。
「……何で、さっきみたいに、俺の事を拘束していなかったんだ?」
「何でって……、そりゃ、拘束する必要が無いからさ」
「……必要が無い?」
「だって、そうだろ?」
ハヤテの問いに涼しい顔で答えながら、牛島は口の端を吊り上げた。
「今の君の手元には装甲アイテムが無いから、装甲戦士にはなれないし、だからといって生身でやり合ったとしても、君は私には敵わない。それは、さっき身に沁みただろう?」
「……」
「だからといって、逃げ出そうとしても、たったひとりで森に出たらどうなるかくらいの判断はつくだろうからね。君は、些か直情的なきらいはあるが、馬鹿ではない。であれば、そんな無謀な真似はしないだろう? だったら、拘束する必要など無い――そういう判断だよ」
「……ッ」
牛島の言葉に、ハヤテは無言のまま顔を顰める。
それを見た牛島は、顎をしゃくって彼に向かって手招きした。
「まあ、立ち話もなんだから、こちらにおいでよ、疾風くん。今、丁度みんなで夕食の支度をしているんだ」
「……チッ」
ハヤテは、牛島の提案に一瞬躊躇う様子を見せたが、小さく舌を打つと彼の方に向かって足を出――そうとして止めた。
「……牛島――さん」
「ん? 何だい?」
名を呼ばれた牛島は、柔和な笑顔は崩さず、小首を傾げながら答えた。
ハヤテは、鋭い視線を牛島に向けながら、静かに問いを投げる。
「――フラニィに会いたい。……どこに居る?」
「……会ってどうするんだい? 今更――」
「昼間にアンタが言っていた、『フラニィは無事だ』という言葉を確認したい。それだけだ」
そう答えると、ハヤテは表情を険しくさせる。
「それとも、会わせる事は出来ないのか? ……本当は――」
「……いいだろう」
ハヤテの詰問に、牛島は小さく頷いた。
そして、踵を返すと、口の端にニヒルな苦笑を貼り付けて言った。
「――ついてきたまえ。君のお望み通り、愛しのフラニィちゃんに会わせてあげるよ」




