第十四章其の壱 出陣
――第一王太子ドリューシュが、ミアン王国国王イドゥン一世より直々に勅命を受けてから四日後。
王都キヤフェの玄関口である“凱旋ノ門”の前に、騎馬に跨った百名の猫獣人兵が整然と並び、出立の命令を静かに待っていた。
凱旋ノ門は、先日“森の悪魔”のひとり・装甲戦士ツールズによって見るも無惨に破壊されたままの状態で、彼らを見下ろしている。
本来、城郭都市の正門は真っ先に修繕を行なわなければならない場所のはずだが、人手を王宮の主殿に集中させた結果、凱旋ノ門は未だ手付かずのまま放置された状態なのだ。
「……」
白銀色の甲冑に身を包んだドリューシュは、半ば崩壊した王都の正門を見上げ、憂い顔で首をフルフルと振る。
――その時、
「――ドリューシュ殿下、ご武運を!」
「……貴様か――」
背中から不躾に声をかけられたドリューシュは、僅かに顔を顰めながら振り返った。
――予想通りの忌々しい満面の笑顔が、彼の視界に入る。
「グスターブ……」
「はっはっはっ! いかがされましたかな、殿下? 出陣の日だというのに、斯様に浮かぬ顔で」
イドゥン王の信頼を得て、今や近衛騎兵団の団長から総軍司令にまで上り詰めたグスターブは、肥えた身体を揺らしながら、下品な薄笑みをドリューシュに向けてくる。
ドリューシュは、グスターブの顔から不快そうに目を背けつつ、首を横に振った。
「……いや、出陣の前だから、少し緊張しているだけさ。……しかも、此度はピシィナの歴史始まって以来の大戦になりそうだからね……」
「おやおや、“ミアンの餓龍”と讃えられた殿下らしからぬお言葉ですな。少々、怖気づかれていらっしゃるようにも聞こえてしまいますぞ」
「……」
「……あ、し……失礼仕りました……」
無言でドリューシュに睨みつけられたグスターブは、口ヒゲを下に垂らすと、慌てて謝罪の言葉を口にした。
ドリューシュは、そんな総軍司令を冷たい目で一瞥すると、再び“凱旋ノ門”を見上げ、静かに口を開く。
「まあ……正直、怖気づきもするさ。何しろ、これから僕たちが戦おうとしている相手は、我が王都の石造りの正門をただの一撃でこんな風にしてしまう悪魔だ」
「は……はあ……」
「それに……」
呟くように言葉を継いだドリューシュは、自分の左肩を押さえ、苦々しげに顔を顰めた。
「あの時、僕自ら悪魔と戦ったが、まるで歯が立たなかった。……もちろん、あれから僕は、更なる鍛錬を重ねて腕を磨いてきたつもりだけど、それで奴らに敵うかと言われれば――」
「ハッ! 第一王太子にも拘らず、かくも気弱な言葉を吐くとは……情けないな、ドリューシュよ!」
「ッ!」
横から自分の言葉を遮った声を耳にした瞬間、ドリューシュはサッと顔を強張らせる。
そして、慌てて声のした方向に顔を向け、目を丸くした。
「あ……兄上――!」
「フンッ、無礼者! 私の事は“陛下”と呼べ!」
「し……失礼いたしました――陛下」
突然のイドゥンの出現に驚きながら、ドリューシュはその場で膝をつき、深々と頭を下げる。
それに倣い、彼の配下の兵たちも一斉に乗騎から降り、王に向かって深々と頭を垂れて蹲った。
平伏する騎兵たちを見下ろしながら、イドゥンは口元を綻ばせ、満足げに頷きながら、「うむ。苦しゅうない。皆の者、楽にせよ」と言葉をかける。
そんなイドゥンに向け、片膝をついて頭を下げているドリューシュは、訝しげに問いかけた。
「と、ところで陛下……、今日はどのような風の吹き回しで――」
「我が国の為に戦いに赴こうという戦士たちに、激励の言葉をかけてやるのも、王たる者の務めであろう。違うか?」
「あ……おっしゃる通りに、ございます……」
尊大で、下々の者に対する思いやりなど皆無だと思っていた兄らしからぬ言葉に、ドリューシュは感服する以前に、どこか薄気味の悪さを感じる。
違和感を覚え戸惑うドリューシュに向け、イドゥンは上機嫌で言った。
「貴様らの武運を祈るぞ」
「……有難きお言葉を賜り、恐悦至極に存じます、陛下」
「後の事は心配せずとも大丈夫だ。存分に戦い、安心していけ」
「は……は?」
再び頷こうとしたドリューシュだったが、何故だか兄の言葉尻に引っかかりを感じ、思わず声を上ずらせる。
「――陛下」
ドリューシュは、何とも言えぬ嫌な予感を胸に抱きながら、おずおずと顔を上げた。
そして、微かに震える声で尋ねる。
「畏れながら……今のお言葉は、いった――」
『一体、どのような意味で?』と続けようとした彼だったが、その声は途中で途切れた。
どこか酷薄さを感じさせる薄笑みを浮かべている兄の背後に控える白い影に気が付いたからだ。
「な……」
ドリューシュは、その影が何者なのかをすぐに理解し、理解したからこそ、驚愕で思わず言葉を喪った。
一方の白い影は、ドリューシュが自分に気が付いた事を知ると、その白毛で覆われたあどけない顔に強張った笑みを浮かべた。
そして、四日ぶりに顔を合わせた兄に向け、ペコリと頭を下げる。
「……行ってらっしゃいませ、ドリューシュ兄様。どうか、ご武運を――」
「ふ……」
まったく予想外の場所で最愛の者の声を聞いたドリューシュは、その事実に唖然としながら、うわ言の様な声でその名を呼んだ。
「ふ、フラニィ……!」




