第十三章其の壱拾伍 本音
「――そうですか。ハヤテ様は、向こうでお元気にしていらっしゃるのですね……」
ドリューシュから、手短にハヤテの近況を聞いたフラニィは、安堵の息を吐いた。
「攻め寄せてきた三人もの敵を退けるなんて……さすが、ハヤテ様です」
「……」
そう呟いて顔を綻ばせるフラニィを前に、ドリューシュは複雑な表情を浮かべた。
そして、まるで溶けた鉛を呑み込むような顔で、重い口を開く。
「――それでな。そのハヤテ殿の事なのだが……」
「……どうかなさったんですか?」
「実は……」
ともすれば固く閉じようとする顎を懸命に動かしながら、ドリューシュはぽつぽつと言葉を紡ぐ。
「僕は、数日中に、兄上の命で軍を率いて出陣する事になった。エフタトスの大森林の中にある、“森の悪魔”の本拠地のひとつを急襲し、王国の安寧を脅かす存在を根絶やしにする為に……!」
「え……?」
「そして……その軍に、ハヤテ殿ともうひとりの“オチビト”を帯同させる事も決まった。森の悪魔の強大な力に我らが対抗する為には、同じ能力を持つ彼らが不可欠だから、な」
「――ッ!」
ドリューシュの言葉に、フラニィが目を大きく見開き、息を呑んだ。
そして、大きく首を横に振り、必死に訴えかける。
「い……いけません! ハヤテ様に、同じニンゲンを殺させる様な事を強いては……!」
彼女の脳裏に、装甲戦士テラ・タイプ・マウンテンエレファントとなり、見事シーフを打ち破って無力化させた後、囚われの身となる事を怖れたシーフが自ら命を絶ってしまった後のハヤテの消沈した姿が浮かんだ。
ドリューシュの目を真っ直ぐ見ながら、フラニィは訴えかける。
「……ハヤテ様は、お優しい方です。あの方は、戦いによって、徒に命が失われてしまう事など望んではいらっしゃいません。――私たちだけでなく、森の悪魔……ニンゲンの命であってもです!」
「……」
「そんな方を戦いに赴かせ、命のやり取りを強いる様な真似をしてはいけません!」
「分かってるさ、そんな事は!」
ドリューシュは、必死に訴えるフラニィに向かって、思わず声を荒げた。
そして、ギリギリと歯噛みしながら、喉の奥から絞り出すように言った。
「僕だって、ハヤテ殿が自ら好んで戦っている訳ではない事は良く分かっている。あくまで彼は、自分の周りの者たちを護る為にのみ、その力を振るっている……。他のニンゲンとは違ってね」
「……」
「でも……しょうがないんだ。僕もハヤテ殿も、兄上の命に背く事は出来ない。だって……」
「――あたしが、いるから?」
「――ッ!」
ドリューシュは、思わず口から漏れてしまった己の言葉を遮ったフラニィの声が微かに震えを帯びている事に気付いて、ハッとして目を上げる。
呆然とした様子で目を大きく見開いていた彼女は、ドリューシュの服の袖を掴み、その金色の瞳を涙で潤ませながら尋ねる。
「ねえ、兄様? 兄様やハヤテ様が、自分の好きなように振る舞えないのは……あたしがいるせいなの――?」
「いや……それは……」
妹の問いかけに、しどろもどろになるドリューシュ。
そんな兄の顔を見たフラニィは、たちどころに悟った。――自分の推測が的を射ている事を。
「――ごめんなさい。あたしのせいで……」
「い、いやっ! 違う! そうじゃない! お前のせいなんかじゃ――」
と、慌てて妹を宥めようとするドリューシュだったが、その時、ある考えが閃いた。
「――フラニィ」
彼は、ある決意を胸に、妹の名を呼ぶ。
その声に応じて、涙をいっぱいに溜めた目で自分を見るフラニィの肩を掴み、ドリューシュは潜めた声で言った。
「――ここから逃げよう」
「え……?」
突然の兄の提案に、フラニィは驚きの声を上げる。
戸惑う妹にも構わず、ドリューシュは言葉を継ぐ。
「今からふたりでここを抜けて、オシス砦にいるハヤテ殿と合流するんだ。そして、ハヤテ殿と一緒に姿をくらまして、どこか離れた所に小屋でも立てて、静かに暮らす――そうしよう」
「兄様……?」
「そうだ、それが一番いい。なに、大丈夫だ。お前の事は、この僕が全力で守るし、ハヤテ殿もいる。兄上の追手がどれだけ来ようとも、怖るるに足らず――!」
「兄様ッ!」
「――!」
熱に浮かされた様に捲し立てるドリューシュを、フラニィの強い声が制した。
彼女は、ハッと目を見開く兄の目を鋭い目で見返し――キッパリと首を横に振った。
「それはダメよ。今、この国からドリューシュ兄様が居なくなってしまったら、残された国のみんなは、どうするの?」
「く、国のみんな……?」
「……こんな所に居ても、耳に入ってくるの」
フラニィは、唖然とした様子のドリューシュに優しく微笑みかけると、穏やかな声で言葉を続ける。
「今や、兄様はこの国の希望なのよ。みんな、ドリューシュ兄様に期待してる。……なのに、兄様がみんなを放り出して逃げちゃったら、国中の不満が一気に爆発しちゃって、大変なことになるわ」
「それは……」
「あたしは大丈夫……ここに押し込められてても我慢できるし、――もしも、それ以上の事になったとしても、兄様やハヤテ様を縛る枷になるよりはマシ」
「そ、そんな事言うなッ!」
「だから……ドリューシュ兄様とハヤテ様は、あたしの事なんかに構わずに、自分のしたいように行動して。それが……あたしの望み」
「フラニィ――!」
妹の言葉に、思わず声を荒げるドリューシュだったが――やにわに扉の外が騒がしくなった。
思わず扉の方に目を遣ったドリューシュは、焦燥に駆られ、咄嗟にフラニィの手首を掴む。
「ほら、フラニィ、行くぞ! 衛兵が集まってくる前に、ここから――!」
「……だから、ダメよ。兄様」
だが、フラニィは頭を振りながらそう言うと、ドリューシュの腕を振り払った。
そして、泣き笑いの様な表情を浮かべながら言った。
「ほら……イドゥン兄様にバレたら大変よ。今の内に――」
「……」
「ほら、早く! 早く行きなさい、ドリューシュ・セカ・ファスナフォリック!」
「――ッ!」
表情を一変させて、眉を吊り上げたフラニィに一喝されたドリューシュは、彼女の放った威厳と威圧に驚いた。
(い、今のは、まるで――!)
一瞬、彼は雷に打たれたような表情を浮かべて、妹の立ち姿を見つめた。が、いよいよ大きくなってきた外の物音で、残された時間がいよいよ逼迫している事を悟ると、口惜しげに唇を噛み、その身を翻す。
――と、扉のノブに手をかけたところで、彼はおもむろに振り返り、強張った笑顔を浮かべながら佇むフラニィの顔をじっと見た。
「……フラニィ」
「……うん」
呼びかけに小さく頷いたフラニィに、ドリューシュは確固たる決意を以て告げる。
「きっと迎えに来るからな。――ハヤテ殿と一緒に……!」
「……」
ドリューシュの言葉に、フラニィは曖昧な笑みを浮かべただけだった。
そんな、今にも泣きだしそうな妹の顔を目の当たりにして、また胸が締め付けられるような気分を抱きながら、ドリューシュは未練を断ち切る様に扉を開け、静かに出て行った。
「……」
フラニィは佇んだまま、閉まった扉をじっと見つめていたが、静かに目を閉じ、ゆっくりと俯いた。
そして、吐息と共に、胸の奥に押し込んでいた本音を吐き出す。
「うん……。待ってるよ、兄様」
と、透明な滴が、白毛に覆われた彼女の頬を滑り落ち――、
「――助けて、ハヤテ様……」
想いが、床の上に弾けた。




