第十三章其の壱拾参 潜入
イドゥンの前から辞去したドリューシュは、ひとりで黙々と長い回廊を歩いていく。
その顔は疲れ切っており、沈鬱に沈んでいた。
彼は、無意識のうちに主殿を通り抜け、離れたところにポツンと建つ別館の方へと向かう。
キヤフェ王城の北郭にある別館は、その四囲を浅い水堀に囲われており、周囲から隔絶されていた。それは、外敵を防ぐというよりも――むしろ、そこに住む者の自由を奪う為に設けられたものの様に見える。
そんな水堀の中にある建物は、絢爛豪奢な主殿とは打って変わり、下町の一般家屋に毛が生えた程度の外観と大きさしか無い、粗末な佇まいをしている。
「……っ」
水堀にかかる木橋を通り、門前に立って別館を見上げたドリューシュは、湧き上がる怒りを抑えるようにギリリと歯を食いしばる。
そして、無理矢理柔和な微笑みを拵えると、門の両脇に立つ衛兵に頷きかけながら言った。
「やあ――中に入れさせてほしいのだが」
「はっ! こ、これは、ドリューシュ様!」
突然現れたドリューシュの顔を見たふたりの衛兵は、慌てて背筋を伸ばし、敬礼する。
だが、彼らはお互いに顔を見合わせると、申し訳なさそうな表情を浮かべて首を横に振った。
「ど……ドリューシュ様……。大変申し訳ないのですが、陛下から『誰も入れるな』という勅令でございまして……。事前の許可の無い者は、何人たりともお通しできないのです……」
「王弟であり、第一王太子でもある僕であってもか?」
「……畏れながら、ドリューシュ様には特に厳しく……との事でして」
ドリューシュの問いかけに対し、衛兵は更に身を縮こませながら、消えるような声で答える。
そんな衛兵をギロリと睨み据えながら、ドリューシュは低い声で言った。
「――そこを何とか、無理を承知で頼みたいのだが……?」
「も……申し訳ございませぬ」
「この僕が頭を下げているのだぞ? なあ、いいだろう、……サンフェイ、それにコーザよ」
「「――ッ!」」
まさか、第一王太子の口から自分たちの名が出て来ようとは想像もしていなかった二人の衛兵は、驚きで目を大きく見開き、背の高いドリューシュの顔を見上げる。
そして、再び顔を見合わせ、激しく葛藤するような表情を浮かべた後、
「「――も、申し訳ございませぬ!」」
ふたりで一緒に、深々と頭を下げた。
「も……もちろん我らも、ドリューシュ様のご意向にお応えしたいのはやまやまですが……それでも、陛下の御命に逆らう事は出来ませぬ! 大変心苦しいのですが……何とぞご寛恕を……!」
「お怒りになるかもしれませぬが、この門を護るのが、我らに与えられた使命……。誠に申し訳御座いませぬが、ここはお堪え頂きたく……」
「……そうか」
言葉通り、辛そうに顔を引き攣らせながら自分の頼みを断るふたりの衛兵の顔を、険しい顔で見回したドリューシュだったが――すぐにニヤリと笑ってみせた。
「……なんてな」
「は……?」
「赦せ。王族として、お前たちの仕事ぶりを試してみただけだよ。ちゃんと陛下から許可は頂いている」
そう言うと、ドリューシュは懐に手を入れ、一枚の書状を取り出した。
「ほら、この許可状が証拠だ。ほら、ここに」
そう言いながら、彼は広げた書状の一点を指さした。
ふたりの衛兵は、無意識にドリューシュに近付き、彼が広げた書状を覗き込もうとする。
――次の瞬間、
「ガッ!」
「ぐっ!」
ふたりの衛兵がくぐもった呻き声を上げると、その場にばたりと頽れた。
「……悪いな」
ひとり立ったままのドリューシュは、白目を剥いて気絶したふたりを見下ろしながら、片目を瞑って詫び言を述べる。
「サンフェイ、コーザ……お前たちの王への忠誠は立派で正しい。王族の一員として、とても嬉しく思うよ」
彼はそう呟きながら、ぐったりとしたふたりの身体を門柱に凭れかけさせた。
そして、先ほど“許可状”に見せかけた白紙を懐にしまうと、他の者の目を憚る様に素早く門を潜り抜ける。
そして、背中越しに振り返ると、小さく頭を下げた。
「……ごめんな。でも、これで『僕が勝手に押し入った』って事になるから、お前たちに責は及ぶ事は無いし、僕が絶対にそうさせないからさ。――許してくれよ」
そう、意識の無いふたりに言い残すと、彼は別館の扉を開け、大股で中に入っていった。
◆ ◆ ◆ ◆
別館の中に入ってからは、スムーズだった。
中にも何名かの衛兵が詰めていたが、門番の立つ正門を抜けて入ってきたドリューシュに対し、疑いを持つ者は誰もいなかった。
彼は、大きな足音を響かせながら別館の廊下を歩き、目的の部屋の前に辿り着いた。
そして、粗末なドアの前に立つ衛兵に向け、手短に告げる。
「第一王太子ドリューシュである。扉を開けてくれ」
「はっ! ドリューシュ様!」
ドリューシュの言葉に、背筋を伸ばしながら返事をした衛兵だったが、ふと訝しげな表情になると、声を潜めて尋ねかける。
「……ところで、陛下からのお赦しは……?」
「……うむ」
衛兵の問いかけに、ドリューシュは言葉を濁らせる。
(……やはり、そこまですんなりとはいかないか。――ここはやはり、力ずくで……)
ドリューシュは平静な顔を装いながら、こっそりと拳を握り締める。
そんな彼の顔をじっと見上げていた衛兵だったが、ふと目を伏せると、
「……畏まりました」
そう答え、腰につけていた鍵束を中から一本の鍵を取り上げ、背後の扉の鍵穴に差し込んだ。
「お……おお、頼む……」
何故か急に物分かりが良くなった衛兵の態度に戸惑いながら、ドリューシュは頷く。
――と、
「……私にも――」
背中を向けたまま、衛兵が顰めた声でドリューシュに言った。
「え……?」
「……私にも妹が居ります故、ドリューシュ様のお気持ちは良く分かります」
「あ……」
衛兵の言葉に、ドリューシュは目を見開いた。
そんな彼の様子にも気付かぬふりをして、衛兵は鍵を回し、ドアの施錠を外す。
そして、用心深げに辺りを見回してから、ドリューシュに向かって囁きかけた。
「――あまり猶予は無いかと。どうか、手短に……」
「……すまぬ」
ドリューシュは、キッと口を結ぶと、衛兵に向かって頷く。
そして、扉のノブを握り、静かに回した。
――ギィ……イ……
微かに軋む音を立てながら、扉はゆっくりと開き、部屋の中の様子がドリューシュの目に飛び込んでくる。
粗末な調度類。床に打ちつけられた小さなベッド。丸形の木製のテーブル。
そして――、
「……ど、ドリューシュ兄様?」
突然の訪問に驚き、その黄金の目を大きく見開いている、一点の汚れも無い純白の無垢毛をした彼の大切なたったひとりの妹――!
「フラニィ……!」




