第十三章其の壱拾弐 御命
「か、仇を取る……父上の?」
「そうだ」
「し――しかし!」
ドリューシュは、自分の問いかけに満面の笑みを浮かべながら頷くイドゥンに向けて、慌てて声を上げた。
「た、確かに……おっしゃる通り、“森の悪魔”のうちの三人が手負いとなっている状況は、奴らを叩く絶好の好機ではありますが……」
躊躇いがちにそう言ったドリューシュは、その青灰色の毛皮に覆われた精悍な顔を曇らせ、言葉を継ぐ。
「こちら側も、最大の戦力であるハヤテど――ホムラハヤテが、充分に回復しておりませぬ……。これでは、敵に攻めかかるに万全な状況とはとても言えませぬ。ここは、彼の傷が完全に癒えるのを待つべきかと――」
「フンッ、うつけが! それでは、悪魔どもの方の傷も癒えてしまうであろうが!」
ドリューシュの異議を聞いたイドゥンは、皮肉げに口の端を歪め、吐き捨てるように言った。
「別に、ホムラハヤテだけで戦わせる訳ではない。もうひとりの“ニンゲン”も同道させるし、オシス砦に詰めておる守備兵はもちろん、近衛騎士団からも兵を出す」
「で……ですが……」
「やれやれ、まだ足りぬのか?」
イドゥンは、未だに躊躇する様子を見せるドリューシュにあからさまな侮蔑の視線を向けると、わざとらしく肩を竦めてみせる。
「“ミアンの餓龍”と畏れ称えられた、ドリューシュ・セカ・ファスナフォリックともあろう者が、随分と気弱ではないか?」
「まったく……情けない弟ねぇ。姉として恥ずかしいわ」
「ファスナフォリック王家に塗られた恥辱の泥を雪ごうとは思わないの? お父様の息子のクセに!」
ドリューシュに厳しい言葉を投げつけるイドゥンと、その尻馬に乗って弟の事を散々に嘲るファアラとカテリナ。
それに対し、ドリューシュは憤然とした表情を露わにして、声を荒げた。
「――見くびられるな! このドリューシュ・セカ・ファスナフォリック、“森の悪魔”共を残らず討ち倒し、その首を父の墓前に手向けようという気持ちには、一片の陰りも偽りも御座いませぬ!」
と、目を剥きながら雄々しく叫ぶ。
それを聞いたイドゥンは、得たりとばかりに手を叩いてみせた。
「おお、良う申した! さすが、我がミアン王国きっての勇将よ! その意気や良し!」
「「……え?」」
ついさっきまでとは打って変わって、弟の事を褒めそやすイドゥンの態度に驚いたのは、彼の横に座るファアラとカテリナ。
彼女たちは、当惑したように顔を見合わせると、慌てて兄に倣って手を叩き始める。
「え……あ、そ、そうね! す、素晴らしい覚悟ですわ、ドリューシュ!」
「そ、それでこそ、ファスナフォリック王家の男子よ! オホホホ……」
「……?」
いつも自分に対して、皮肉と嫌味と嘲笑しかかけてこなかった三人からの突然の賛辞に、ドリューシュは戸惑いの表情を浮かべる。
奇妙だとか訝しいとか以前に、『気持ち悪い』――直感的に、そう感じた。
だが、そんなドリューシュの表情の変化にも気付かぬ様子で、イドゥンは満面の笑みを浮かべながら彼に言葉をかける。
「ならば、決まりだな! では、貴様はこれから近衛隊のグスターブと協議し、明日までに“森の悪魔”征伐軍の兵員と指揮官を選抜せよ。そして、本日から四日以内に選抜した軍兵をオシスの砦に向かわせ、砦の守備兵を征伐軍に組み込んだ上で、ホムラハヤテともうひとりのニンゲンを連れ、悪魔どもの巣へ攻め込ませるのだ!」
「しゅ、出陣まで、たったの四日で?」
ドリューシュは、イドゥンの告げたあまりにも短い期限設定に、思わず声を上ずらせた。
思わず足を一歩前に出し、慌てて兄に抗弁する。
「あ……兄上! お待ち下さい! そ、それはさすがに性急が過ぎるのでは――」
「ええい! まだ言うかドリューシュ! やはり、貴様、臆病風に吹かれておるのではないのか?」
「い、いえ、そんな事は……! ですが――」
慌てて首を横に振りながらも、なお兄の命に抗おうとするドリューシュだったが、
「……一日でも早く、父の恥を雪ぎたいとは思わんのか? この……不孝者め!」
「――ッ!」
兄の一言を聞いた瞬間、ドリューシュの目がカッと見開かれた。
それと同時に、彼の全身を覆う青灰色の毛が逆立つ。
「ひ、ひ――ッ!」
「あ、あわわ……」
ドリューシュの激しい怒気を目の当たりにし、ファアラとカテリナは思わず耳を伏せ、椅子に座ったまま腰を抜かした。
その横に座るイドゥンは、さすがに妹たちの様に取り乱しはしなかったものの、僅かに引き攣った頬に生えたヒゲはすっかり後ろに向いている。
と、
「……兄上」
その目を爛々と輝かせたドリューシュが、圧し殺した声で言った。
一方のイドゥンも、ありったけの威厳と勇気を掻き集め、精一杯の虚勢を張って頷く。
「な……何だ!」
「僕は、決して臆病者でも親不孝者でも御座いませぬ」
「お、おう、もちろんだ! さ、先ほどの言葉は、その――言葉の綾とい――」
と、腰が引けた格好で、慌てて先ほどの発言の撤回を告げようとするイドゥンだったが、その言葉をドリューシュの声が遮る。
「畏まりました」
その憤怒を露わにした表情とは裏腹に、ドリューシュは絨毯の上に膝をつき、王に向かって恭しく頭を垂れた。
そして、真っ直ぐにイドゥンの顔を睨みながら、言葉を継ぐ。
「……このドリューシュ・セカ・ファスナフォリック、陛下の御命、謹んでお受けいたします」
「お……おう」
弟の背後から陽炎の如く揺らめき上がる怒気に気圧されながら、イドゥンは頷く。
「は……初めから、素直にそう言えば良いのだ! うだうだと――」
「で、その御命を請けるにあたり」
再び兄の言葉を遮り、ドリューシュは言った。
「――ただ一点だけ、僕の希望を通させて頂きたいのですが、宜しいでしょうか?」
「……希望だと?」
ドリューシュの言葉を聞いたイドゥンは、胡乱げな表情で眉間に皺を寄せたが、「ふむ……」と小さく唸ってテーブルの上に頬杖をつくと、ドリューシュに向かって小さく頷く。
「――まあ良い。何だ、貴様の“希望”とやらは? 申してみよ」
「はっ……」
イドゥンに促されたドリューシュは、兄の顔を睨むように見据えながら、低い声で言葉を紡いだ。
「畏れながら……“森の悪魔”征伐の陣頭指揮は、この僕自身に執らせて頂きたいのです。――宜しいですね?」




