第一章其の壱拾肆 弱者
「実はね……猫獣人たちの王都のキヤフェには、特殊な結界が張られているようなんだ」
牛島は、呆然とするハヤテの様子も意に介さず、口の端に薄笑みすら湛えながら、淡々と言葉を継ぐ。
「正しいプロセスを踏まずに結界を通ろうとした瞬間、望まれざる侵入者は問答無用で強制的に排除される――そんな、我々にとっては忌々しい事この上ない結界でね。そいつの存在の為に、私達はキヤフェに手を出す事が出来なかった。その結界のプロセスというのが――」
そこで一旦言葉を止め、牛島は口を半月の形に歪めた。
「あのフラニィとかいう王女だ。――まあ、正確に言えば、彼女の体内を流れる“王家の血”なんだが。あの結界は、王家の血を引く者……或いは王家の血そのものでしか、その扉を開けないんだ」
「王家の血――それで、アンタ達はフラニィを……!」
「その通り。……でも、それだけじゃない」
「それだけじゃない……?」
訝しげな表情を浮かべるハヤテに、牛島は大きく頷き、右手を上げた。
「そう。あの少女は、結界の鍵だ。彼女にご協力頂いて、私達を結界の中――即ち、王都キヤフェに通してもらうのが、第一の目的」
そう言うと、彼は右手の人差し指を伸ばし、
「……そして、王女を穏便にお父上にお返しする事と引き換えに、『我々が王都中心部の石棺を破壊する事に対して干渉しない』という条件を呑んでもらう。――これが、第二の目的だ」
そう言葉を継ぐと、中指を伸ばした。
それを聞いたハヤテの眉間に皺が寄る。
「……それではまるで、人質を取って自分の要求を通そうとする強盗犯のように聞こえるんだが――」
「ははは、なかなか率直に言ってくれるね、疾風くん」
牛島は、ハヤテの言葉に愉快そうな笑い声を上げ――大きく頷いた。
「――その通り。何か問題でも?」
「問題だらけだ!」
自分の問いかけをあっさりと認めた牛島に向かって、ハヤテは思わず声を荒げる。
「お前は――お前達“オチビト”は、装甲戦士でもあるのだろう! 正義を護り、悪を滅ぼす装甲戦士が、まるで強盗犯か悪の組織のような行いをするなんて――」
「疾風くん、勘違いしてもらっては困るな」
激昂するハヤテの言葉を、牛島の冷静な言葉が遮った。
彼は、その瞳に冷たい光を湛えて、対面するハヤテの顔を見据え、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「確かに、私達は装甲戦士だ。……でもね、“正義の味方”なんて高尚な者ではない」
「……ッ!」
「私達はね――あくまで、“装甲戦士になれるだけの、異世界に堕とされた普通の民間人”なのだよ」
そう言うと、牛島は一歩膝を進めて、ハヤテに顔を近付けた。
「……私は、私達は皆、元の世界に戻りたい。……いや、戻らなければならないんだ。そして、その方法は“石棺を破壊する事”だけ。……ならば、その目的を達成する為には、手段を選んでいる余裕も必要も無い」
「……それに、な」
牛島に続いて口を開いたのは、薫だった。
「あっちの世界のテレビで観てたのは、人間の味方をする装甲戦士たちばっかりだったじゃねえかよ。……あんな猫の化物の味方をするような奴はいなかった筈だぜ?」
「……何が、言いたい?」
薫の言葉に、ハヤテの目がぎらつく。
「……んだよ、その態度はよ……」
その鋭い眼光に、薫は思わずたじろいだ。が、すぐに気を取り直すと、ハヤテにガンを飛ばしながら凄んだ。
「何が言いたいもクソもねえよ! じゃあ、テメエがアッチに置いてきて足りなくなった脳味噌でも解るように、ハッキリ言ってやるぜ!」
そう叫ぶと、彼は中指を立てながら一気に捲し立てる。
「あんな化け猫どもが何を言おうが知ったこっちゃねえ。四の五の言わずに、あのクソ猫女を使って、クソ猫どもの街に殴り込んで皆殺しにした上で、ゆっくりと石棺をブッ殺しちまえばい――ガッ!」
「巫山戯るなァッ!」
嘲笑する薫の頬に、ハヤテの放った拳がめり込んだ。
油断していた薫の身体が、不意の一撃によって大きく揺らぎ、大きな音を立てて板敷きの床に転がった。
仰向けに倒れた薫を、険しい目で見据えながら、ハヤテは叫んだ。
「フラニィは……化け猫でも、結界を開く鍵でもない! ドラゴンを斃した後に気絶した俺の事を介抱してくれて、お前に殺されかけた俺の前に立ち塞がって守ろうとしてくれた、ただの猫獣人の優しい女の子だ!」
「く……この、サイコ野郎ォ――」
「そんな優しい子と、その血族を……よりにもよって、装甲戦士の力で殺す? ふざけるな!」
ハヤテは絶叫すると、再び拳を振り上げて、薫の左頬に狙いを定める。
「――装甲戦士の力は、人間の為や、ましてや自分の為に振るうモノじゃない! この力は……弱き者の為にのみ振るわれるべき――!」
「――まだ、解らないのかい、疾風くん」
「がッ――!」
不意に背後からかけられた牛島の声に、ハヤテは慌てて振り返ろうとするが、それよりも強烈な延髄蹴りが彼の首にヒットする方が早かった。
ハヤテの身体は宙を舞い、ゴロゴロと転がりながら、山小屋の壁に叩きつけられる。
山小屋の壁に背中と後頭部を強打したハヤテは、強烈な嘔吐きで、身体をくの字に折り曲げて苦しむ。
そんな彼の前に、ユラリと立ったのは牛島だった。
「……『装甲戦士の力は、弱き者のために』――ああ、そうだね。君の言う通りだよ、自称・焔良疾風くん」
「……ぐッ!」
牛島に、爪先で顎を強かに蹴り上げられたハヤテは、血反吐を吐きながら仰向けに倒れる。
遠ざかる意識の向こう側で、牛島の諭すような声がぼんやりと聞こえた。
「……でも、考えてもみたまえ。突然、奇妙な世界に放り出されて僅かな仲間しかいない、この異世界での我々は、紛う事なき弱者だろう? ならば、私達が自分の為に、この装甲戦士の力を使う事に、何の矛盾も出ないのではないかな?」
「……だ、だ……が……」
「……君は、もう少し眠って、その頭を冷やした方が良さそうだね」
牛島は溜息を吐くと、ハヤテの背中に素早く回り込んで、その首に両腕を絡める。
「……か……は……」
森の中と同じ――裸絞めにかけられ、ハヤテの視界はますます昏くなっていき――
「――お休み、疾風くん」
牛島の囁き声とともに、完全な暗黒に覆われた。




