第十三章其の拾 吐露
「――したの? ねえ、大丈夫? ハヤテさんッ?」
「……う、うん……?」
身体を激しく揺さぶられたハヤテは、微かな呻き声を上げながら、ようやく目を開けた。
そして、目を瞬かせながらキョロキョロと辺りを見回し、ようやく自分が薄暗い丸太小屋の中に居て、粗末な椅子に腰をかけながらテーブルに突っ伏していた事に気が付くと、当惑の表情を浮かべながら首を傾げる。
「あ、あれ……? こ、ここは一体……どこだ? お、俺は今……アマネの病室で――」
「もうっ! いつまでも寝惚けてないでよ!」
「――君は……」
彼の両肩を掴んで、ブンブンと揺さぶり続ける茶髪のボブカットの少女の顔をしげしげと見つめながら、ハヤテは言葉を継ぐ。
「あぁ。香月さんか……」
「……もしも、『あなたは誰ですか?』とか言ったりしたら、気つけに二・三発ビンタしてやるところだったわよ」
仏頂面で、大きく溜息を吐く碧。だが、その中には、微かな安堵の響きも籠っていた。
ぼんやりしていた意識がハッキリしてくると同時に、彼は自分の状況をだんだんと思い出す。
「そうか……。ここは異世界で、俺は猫獣人たちの砦で……」
「そうよ。――やっと目が覚めたかしら?」
頭を軽く押さえながらぶつぶつと呟くハヤテに、碧は安堵交じりの苦笑いを浮かべた。
――と、
ふと心配そうな表情を浮かべた彼女は、おずおずとハヤテに尋ねる。
「――何か、悪い夢でも見てたの?」
「あ……まあ……うん」
碧の問いかけに、ハヤテは一瞬躊躇するが、すぐに小さく頷いた。
「とはいっても、夢というよりは……記憶だな」
「記憶……?」
「ああ……日本に居た頃の記憶を、思い出してた」
「それって……」
力無く笑うハヤテに、碧は真剣な顔で尋ねる。
「――あまり思い出したくない、嫌な記憶?」
「嫌では……無い、けど――」
碧の問いかけに、ハヤテは静かに首を横に振り、
「思い出すのが痛くて……とても辛い、記憶だよ」
と呟き、ぐっと唇を噛んだ。
そんなハヤテの痛々しい横顔を見ながら、碧も沈痛な表情を浮かべる。
――と、
「でも……良かったよ。ハッキリと思い出せて」
「……え?」
ハヤテの口から紡がれた意外な言葉に、碧は戸惑いの声を上げた。
そんな彼女の様子に微笑みながら、ハヤテは言葉を継ぐ。
「確かに辛いけど……俺にとっては、いつまでも忘れてちゃいけない、とても大切な記憶だったから……」
「……“アマネ”さんって、ひょっとして、あなたの恋人――?」
「え……?」
碧の口から出た名に、ハヤテは驚き、目を丸くする。
「何で……その名を?」
「さっき……あなたがうなされてた時に、何度か口にしてたから……」
「ああ……そういう事か」
「あ……ごめん。何か気になって、思わず……。やっぱり、訊かれたくないよね?」
と、申し訳なさげな顔をして項垂れる碧。
珍しくしおらしい彼女の態度に虚を衝かれた様子のハヤテだったが、苦笑いを浮かべながら、静かに頭を振る。
「……アマネは、恋人なんかじゃないよ。ただの幼馴染の女の子だ」
「あ……そうなんだ」
ハヤテの答えに、碧は複雑な表情を浮かべた。
「なんか、事故がどうのって……」
「……そんな事まで寝言で言ってたのか、俺……」
「……ごめん」
「あ……いや。ダダ漏れで寝言言ってた俺の方が悪いから」
ますます身を縮こませる碧の様子に、ハヤテは慌ててフォローする。
そして、小さな窓から見える青い空を見上げながら、ぽつぽつと言葉を紡いだ。
「あいつ……アマネとは、物心つく頃からずっと一緒だった。まあ……腐れ縁ってやつだな」
「……」
「高校一年生の夏休み……、俺は遊園地のチケットを二枚手に入れて、あいつを誘ったんだ。でも――待ち合わせの場に、アマネは来なかった」
「それって……」
「――そう」
察して、表情を強張らせる碧に、ハヤテは表情を曇らせながら頷いた。
「待ち合わせ場所だった駅に向かう途中、アマネはトラック同士の事故に巻き込まれて……病院に運ばれた」
「……ッ!」
「幸い……というか何というか、アマネの命は助かった。でも……意識は戻らないまま……病院のベッドで眠り続けている。……十二年経っても――いや、多分、今でも!」
そこまで言うと、遂に耐え切れなくなったハヤテは、顔を歪ませると机に突っ伏した。
そして、肩を激しく上下させながら、胸に溜まった想いを吐き出す。
「俺が……俺のせいなんだ! 俺が、アマネを遊園地に誘わなければ、あの日、待ち合わせ場所を駅にせずに、俺があいつの家まで迎えに行っていれば! いや、待ち合わせの時間を、もっと早い時間にしていれば……! いや……そもそも、俺があいつを遊園地なんかに誘わなければ――!」
「ハヤテさん……それは――」
「俺が! 全部俺が悪いんだ! 俺のせいで、アマネの一生は台無しになってしまった……! 俺の……俺のせいで……ッ!」
「――それは、違うわよッ!」
「……ッ!」
碧が上げた絶叫に、ハヤテは思わず顔を上げた。
驚きで目を見開き、呆然とした様子で彼女の顔を凝視する。
碧は、今にも零れ落ちそうなほどに涙を溜めた目でハヤテの顔を真っ直ぐ見つめ、ゆっくりと――そして、ハッキリと言葉を紡ぐ。
「それは……あなたのせいなんかじゃないわ。あなたが悪い事なんて、ひとつも無い!」
「で……でも、俺がアマネを遊園地に誘ったりしなければ――」
「それとトラックの事故に、何の関係も無いでしょうッ?」
「……ッ!」
碧の毅然とした声に気圧され、ハヤテは言葉を詰まらせた。
そんな彼に向けて、碧は更に言葉をかける。
「アマネさんが事故に遭ったのは、確かに不運だったわ。ちょっとしたタイミングのズレで、彼女は事故に遭わず、元気に生きていけたのかもしれない。……でも、そうはならなかった」
「……ああ、そうだ。だから、俺が――」
「だからって、それがあなたのせいになる訳が無いじゃない!」
「……!」
「……いい?」
碧は、ハヤテの肩を掴む手に力を込めながら、更に言葉を継いだ。
「すべては、ただの偶然が重なった不運――それだけの話よ」
「……」
「だから……あなたが責任を感じる必要なんて無いのよ。元々、未来を予知できないあなたには、どうしようも出来ない事なんだから。……あなたも、不運を被った被害者のひとりなのよ。アマネさんと同じ……ね」
「お……俺が……被害者……?」
碧の言葉に、ハヤテは口元を戦慄かせながら呟いた。碧は、そんな彼にはっきりと頷いてみせた。
「そうでしょ? 事故が起こったせいで、大切な幼馴染……いえ、好きな娘と言葉を交わす機会すら奪われてしまったのだから。被害者以外の何者だって言うのよ」
「う……うぅ……」
「……だから、ね」
碧はそう言うと、ハヤテの頭を両腕で抱え込み、優しく抱きしめる。
「――!」
「あなたにも、ちゃんと泣いていい権利があるのよ」
「……な、泣く……権利――」
「……あなた、ずっと我慢してきたんでしょう? 本当は、思い切り泣きたかったのに」
「……ッ!」
「いいよ……今までの分も全部合わせて、ここで泣いちゃいなさい。私が受け止めていてあげるから……」
「う……うぅ……」
碧の言葉を聞きながら、ハヤテは自分の視界がゆらゆらと揺らめき始めるのに気が付いた。
ずっと、胸の中に押し込めていた想いが、まるで噴火直前の火山のマグマの様に噴き出そうとするのを感じる。
咄嗟に抑えようとしたが――無理だった。
「うぅ……うぐ……うぅ……」
彼は、碧に頭を抱えられたまま、その身体を抱き締め返す。
「うぅう――っ! うわあああああああああ――っ!」
「よしよし……」
碧は、自分の胸に顔を埋めながら、まるで子供の様に泣きじゃくるハヤテの頭を、まるで慈母のような表情を浮かべながら優しく撫でるのだった……。




