第十三章其の漆 盗聴
「……ふぅ、やれやれだぜ」
建築中だったアジトの別棟の仕上げが一段落し、建築作業の為に纏っていたツールズの装甲を解除した薫は、ぼろ布で顔に滲んだ汗を拭いながら、小屋の引き戸を開けた。
「……ン?」
そして、奇妙な光景を目の当たりにして、思わず首を傾げる。
真剣な顔をした天音が、奥の牛島の居室の扉に張り付いて、その耳を押し付けていたからだ。
彼は、訝しげな表情を浮かべながら、天音の背中に声をかける。
「おい、何やってんだ、おま――」
「しっ!」
不躾にかけられた薫の声を、唇の前に人差し指を立てるジェスチャーで遮った天音。
彼女は、顔を扉に押し付けていた為にズレてしまった眼鏡を戻す事も忘れた様子で薫の顔を睨みつけ、押し殺した声で彼に言った。
「静かにしてよ! 別に悪い事をしてる訳じゃないんだから! 盗み聞きしてる事が、中にバレちゃうじゃない!」
「……盗み聞きは、悪い事じゃねえのかよ?」
薫は、天音の言葉に呆れつつ、目の前の粗末な木の扉に目を遣る。
「……つか、何を盗み聞きしてんだよ? オッサンの部屋なんか――」
そこまで言いかけて、薫はハッと目を見開き、慌てて天音の腕を掴んで扉から引き剥がそうとした。
「い、痛っ! 何するのよバカ!」
「バカはテメエだっ!」
抑えた声で抗議の声を上げる天音を、もっと抑えた声で怒鳴りつけた薫は、仄かに頬を紅く染める。
「な……中に居るのは、オッサンと姐さんだろ? お前……少しは気遣えよ!」
「はぁ? 何言ってんのよアンタ?」
「お、男と女が、ふたりきりで同じ部屋に居るって事は、要するに、セ……そういうコトをしてるって事だろが! そんなモン、コソコソ盗み聞きしようとしてるんじゃねえよ! 趣味悪ぃな、ガキのクセに!」
「あ……あ、アンタの方こそ、ななな何考えてんのよ、このエロガキ!」
一瞬、キョトンとして薫の顔を見上げた天音だったが、すぐにその言葉の意味を理解して、みるみる顔を茹でダコの様に真っ赤にしながら小声で叫んだ。
「そ……そんなんじゃないわよ! 中に居るのは三人だって! 聡おじ……牛島と沙紀さんと――周防さん!」
「す――周防ッ?」
天音の答えに、薫は目を丸くする。
「周防って……帰ってきたのか、アイツ?」
「そうよ! アンタが別棟の工事をしている間にね」
驚く薫の顔に少しだけ優越感を抱きながら、天音は引き戸を指さした。
「それで……今ここで周防さんが、牛島と沙紀さんに報告をしているところなのよ。今回の任務の、ね」
「新しいオチビトを連れてくるってアレか」
天音の説明に、薫は大きく頷き、更に問いを重ねる。
「で……どんな奴なんだ、新しいオチビトっていうのは?」
「それが……」
薫の問いかけに、天音は表情を曇らせた。
「――連れてくる事は出来なかったんだって。何でも……あのテラっていう装甲戦士の方についちゃったみたいで……」
「て……テラ?」
「……うん」
思わず訊き返した薫に頷いた天音は、憎悪に満ちた表情を浮かべた。
「よりにもよって、あの――健一くんの命を奪った……テラの側に……ッ!」
「あ……それは――」
天音の剣幕に気圧されながらも、彼女の言葉を訂正しようとした薫だったが、ハッとした表情を浮かべて口を噤む。
薫は、健一を殺したのがハヤテではない事を知っている。
だが、その事を天音に伝えるという事は、彼女に本当の犯人を教える事にもなる。
もし、天音が健一殺しの真犯人を知ってしまったら……!
(コイツは後先考えずに、仇を討とうとするだろう……。たとえ、相手が装甲戦士最強格の男だったとしても……)
もしも、そうなったら……その結果は火を見るよりも明らかだ。いかに相手が天音であったとしても、あの男は一切の容赦をせずに斬り捨てるに違いない――。
そうなるのが解っているから、薫は今まで彼女に真実を告げる事を避けてきたのだ。
「……だから、周防の報告を聞いて、仇であるテラの事を知ろうと――」
「……」
薫の言葉に、天音は唇を噛んで俯く。
その沈痛な表情を見た薫は、胸が締め付けられるような何と言えない気分に陥ったが、それと同時に、これ以上彼女に斗真の報告を盗み聞きさせる事への危険も感じていた。
彼は、小さく息を吐くと、俯いたままの天音の肩に手を置き、彼にしては優しい声をかける。
「なぁ、アマネ……。お前の気持ちは解る。――けど、盗み聞きは良くねえよ」
「……でも」
「オッサンへの報告が終わった後で、周防に訊いてみりゃいいじゃねえかよ。別に隠し事をするような事でもねえだろうしよ」
「……そう、だね」
薫の説得に、天音は意外と素直に頷いた。
秘かに胸を撫で下ろしながら、薫は彼女を連れて行こうとする。
「じゃ……いつまでもそんな所にへばりついてねえで――」
『……殺人犯?』
「「――ッ?」」
引き戸から離れようとしていた薫と天音だったが、戸の向こうから聞こえてきた剣呑な単語に、思わず顔を見合わせた。
そして、再び木扉に耳を押しつける――薫も一緒に。
息を詰めて、扉の向こうで交わされる会話に全神経を集中させるふたり。
ふたりの耳に、くぐもった声が聴こえてくる。
『ほう……それは意外だね。日本で、彼は人を殺していたというのかい?』
『ああ……どうも、そうらしい』
どこか愉快気な牛島の声と、それを肯定する斗真の声。
『とはいえ……それを知っていたのは、焔良疾風ではなく、新しいオチビト――コウヅキアオイの方だったんだけどな。焔良疾風本人は、詳しい事を知らない風だった』
『ああ、そうだろうね。なにせ、彼は記憶喪失だからね。自分が日本で何をしていたかはもちろん、本当の名前すら覚えていないらしいから――』
『あ、それは、もう思い出してたようだぜ』
牛島の言葉を、斗真が遮った。
それに対し、牛島は『へぇ……そうなんだ』と、興味深げな声を上げる。
『それは、少し興味があるね。で……何て言うんだい、彼の本名は?』
『ああ……確か――』
牛島の問いかけに、斗真はもったいぶる様に一拍置いてから答えた。
『ニシナ。ニシナショウゴと言うらしい――』
「えっ……!」
斗真の口から出たハヤテの本名に対し驚愕の声を上げたのは、牛島ではなく――引き戸越しに会話を聞いていた天音だった。
彼女は、眼鏡の奥の目を大きく見開いたまま、微かに戦慄く口元を両手で押さえる。
「――どうしたアマネ? 大丈夫か……?」
その様子を見た薫が訝しげに声をかけるが、天音は呆然としていて、全く耳に入らない様子だった。
ただならぬ様子にいよいよ心配になった薫は、彼女の肩を鷲掴みにすると、大きく前後に揺すりながら呼びかける。
「おいアマネ! どうした? しっかりしろ!」
「……んな……う、ウソ……」
激しく身体を揺さぶられながら、天音は焦点の合わない瞳を中空に彷徨わせ、うわ言の様に呟いた。
彼女の呟きを聞いた薫は、怪訝な顔をして訊き返す。
「ウソ……? 何だ? 何の事だ?」
「ウソでしょ……? 何で、ここでその名前が……」
「名前……? それって……テラ――焔良疾風の本名の事か?」
何故、天音がそこまで取り乱しているのかが全く分からないまま、薫は言葉を続けた。
「――ニシナショウゴ……それが――」
「何で? 何で、その――“仁科勝悟”の名前が、ここで出て来るのよ!」
「な……何でって言われても……」
当惑する薫を尻目に、天音は頭を抱えてしまう。
そして、震える声で呟いた。
「仁科……勝悟……。どうして……こんな所で、しょうちゃんの名前が……?」
混乱する彼女の脳裏には――あどけない笑顔で笑いかける、初恋の相手でもある幼馴染の顔が浮かんでいた……。




