第十三章其の陸 報告
それから数日後――、
「ふむ……なるほどね……」
猫獣人の砦から戻ってきた周防斗真からの報告を、布団の上で上半身だけ起こした姿勢で聞き終えた牛島は、まばらに生えた顎の無精髭を指で撫でながら、小さく頷く。
「……」
その傍らで胡坐をかいて座っている斗真は、心なしか緊張の面持ちで牛島の挙措をじっと見ていた。
小さく息を吐いた彼は、おもむろに頭を下げる。
「――すまない、牛島さん。そういう事で、アオイちゃん……新しいオチビトの勧誘は果たせず、かといって、彼女と焔良疾風を斃した上での“光る板”の奪取も叶わなかった。――“無能”という誹りを受ける覚悟はできているよ」
「ふふ……。無能? そんな事、君に向かって言う筈が無いだろう?」
牛島は、神妙な顔の斗真を一瞥すると、口を拳で隠しながら、微かな笑い声を立てた。
「いや、逆に良くやったと思うよ。ひとりは手負い、ひとりは戦闘経験が無かったとはいえ、装甲戦士ふたりを相手にしながら生きて帰って来られたというだけでも大したものだ」
「……珍しいな。アンタが、任務に失敗した者に対して、そこまで優しい言葉をかけてくれるとは」
僅かな嫌味を仄めかした斗真の言葉に苦笑を浮かべながら、牛島は胸元を覆う血の滲んだ包帯を指さす。
「まあ……疾風くんと戦って、トドメを刺せずにおめおめと帰ってきたのは、私も同じだからね。君を責めたりなんかしたら、その言葉がブーメランとなって、自分自身にも刺さってしまうからね」
「ははは……」
冗談めいた牛島の言葉に対し、斗真は乾いた笑い声を上げた。
だが、その目は笑ってはいない。
――と、その時、
「……痛たたた」
牛島が顔を顰め、胸を押さえた。
「――鳴瀬先生!」
牛島の部屋の戸の前に控えたまま、黙ってふたりの会話を聞いていた沙紀が、胸を押さえる牛島の姿を見て、声を上ずらせる。
血相を変えた彼女は、斗真を押しのけるようにして牛島の傍に寄ると、その身体を支えた。
「だ、大丈夫ですか、鳴瀬先生! お水を!」
「うん……」
沙紀が差し出した木製のコップを受け取った牛島は、中に満たされた水を一口飲むと、ほうと息を吐き、心配顔の彼女に微笑みかける。
「ふぅ、ありがとう、槙田さん。おかげで少し落ち着いたよ」
「先生……まだ傷が癒えてないんですから、あまり無理をしてはいけませんわ……」
「うん、そうだね。……でも、大丈夫だよ」
そう、牛島は沙紀に頷きかけると、再び斗真に目を向けた。
斗真の顔に再び緊張が走る。
彼の表情の僅かな変化に気づき、僅かに目を鋭くする牛島だったが、その事に対しては何も言わなかった。
ただ、斗真の目をじっと見つめ、彼に声をかける。
「斗真くん……」
「……何すか?」
何かを探り取ろうとするかのように光る牛島の目に見据えられ、背筋を冷たいものが伝うのを感じながらも、斗真は殊更に平静を装いつつ、素知らぬ顔で返事をする。
「……」
「……」
一瞬、二人の視線がぶつかり絡み、眩い火花が散ったように感じた。
……が、その衝突はすぐに終わる。
牛島がその表情を和らげ、薄い笑みを浮かべたからだ。
「……いや。疾風くん――装甲戦士テラと、彼の仲間になった新入りの装甲戦士は強かったかい?」
「――まあ、そうですね」
牛島の問いかけに、その裏に含んだものの有無を探りつつ、斗真は小さく頷いた。
「……正直、一対一で戦う分には、そこまで強いとは思いませんでしたね。もっとも、アオイちゃんの方はともかく、焔良疾風の方はケガが重かったようで、とても万全とは言えない状態だったようですから、彼の実力がどれ程のものなのか、今の己からは何とも言えませんね」
「そうか」
「――とはいえ」
と、斗真は言葉を継ぐ。
「あの二人が、協力してかかってこられると厄介でしたね。さすがに、同じ作品の装甲戦士の主人公戦士とライバル戦士なだけあって、攻撃の咬み合わせが良いようです」
そう言うと、彼は微かに眉を顰めながら着ていた服をずらし、右肩を露わにした。
「――!」
牛島の横でそれを見た沙紀は、思わず息を呑む。
斗真の右肩には、見るも無残なケロイドの痕と、まるで木の根の様に枝分かれしたどす黒い傷痕が、深々と刻まれていた。
そんな、深い傷が刻み込まれた右肩を擦りながら、斗真は静かに言う。
「ふたりが力を合わせて放った最後の技――『秘剣・ナントカノオオカミ』……。あれはヤバいですよ。ギリギリのところで『火遁術・陽炎』を発動できたから良かったものの、もしも間に合わなかったら、意識どころじゃない色々なものを根こそぎ持っていかれるところでした」
「ふむ……」
斗真の言葉に、牛島は小さく息を吐くと――おもむろにその傷ついた右肩を鷲掴みにした。
「ッ! ――ぐッ……!」
牛島による突然の加虐によって、肩に焼け付く様な激しい痛みを覚えた斗真は、苦しげに呻き声を上げる。
突然の牛島の行いに、彼の横でその身体を支えていた沙紀も驚いた。
「な……鳴瀬先生! 突然、何を……?」
「――ははは」
沙紀が思わず声を上ずらせるが、牛島はそれが聴こえない様な様子で、乾いた笑い声を立てる。
そして、強い力を込めて鷲掴みにしていた斗真の右肩から手を放すと、その掌を覗き込みながら大きく頷いた。
「ふむ……どうやら、本物の火傷のようだね」
「お……己の事を疑っているのか、牛島さんよ……」
涼しい顔で言う牛島に、斗真は荒い息を吐きながら、抗議の声を上げる。
それを見た牛島は、苦笑いを浮かべながら、「まあ、ね」と、大きく頷いた。
「何と言っても、君は忍びの者だし、ついこの間までオリジンの元に居た者だからね。そもそも今回は、私が昏睡している間に君が勝手に出かけていって起こした一件だ。多少の疑念は持たざるを得ない事は理解できるだろう?」
「……ドライだなぁ、牛島さんは」
牛島の言葉に、額に脂汗を浮かべつつ、引き攣り笑いを浮かべてみせる斗真。彼は、左胸の奥の心臓が拍動を早めるのを感じながら、殊更にゆっくりと言葉を継ぐ。
「己とアンタたちは、“元の世界に帰る”という共通の目的を持った仲間じゃないか。――せっかく、同じ屋根の下で暮らそうっていうのに、そんな風に疑われちゃ、正直気分は良くないぜ?」
「……」
――と、その時、
おもむろに牛島がずいっと顔を寄せてきた。
そして、金縛りに遭ったかのように身体を強張らせている斗真の顔を、その暗く昏い瞳で覗き込みながら、
「――で」
と、まるで冬の湖畔の空気を思わせるような冷たさを感じさせる声を以て問いかける。
「君が私に報告する事は、本当にそれだけなのかな?」
「……ッ」
自分の背中から額に浮かんでいる脂汗とは違う汗が噴き出すのを感じながら、斗真は牛島の問いかけに対してどう応えるのが最善なのかを懸命に考えるのだった……。




