第十三章其の壱 陽炎
テラの“秘剣・火雷大神”に斬り裂かれたニンジャの壁火護陣の炎は、苦しみ藻掻きのたうち回る様に揺らめくと、夥しい黒煙を残して消え去った。
それと同時に、テラが振り下ろした巨大な火雷の剣身も、次第に発光が弱まり、やがて元のフレイムソードの刀身に戻る。
「やった……?」
噴き上がる炎が完全に消え、その代わりにに夥しい黒煙が辺りに立ち込めるのを見たルナが、いつでも鈎爪を繰り出せるように構えながら、ニンジャの方へと慎重に近付いていく。
そして――、
「――ッ!」
濛々と巻き上る黒煙が次第に晴れていき、壁火護陣が噴き出していた円状の痕跡の中央に、力無く首を垂れた赤い装甲が両膝を地につけて蹲っているのが見えた。
「こ……殺しちゃった……の?」
五メートルほどの距離を保ったまま、恐る恐るニンジャの姿を凝視するルナの言葉に、テラは肩で大きく息を吐きながら首を横に振った。
「い……いや、火雷大神の刃がニンジャに当たる寸前で力を緩めたから、致命傷には到っていない……はずだ……」
彼の言葉の通り、ニンジャの肩部装甲には、巨大な刃が食い込んだのがハッキリと解る凹みと亀裂が生じていた。テラが力を加減してインパクトの寸前で剣閃を鈍らせたとはいえ、これだけの巨大質量をまともに食らっては、身体が無事なはずはない。
テラの言葉にルナは一旦は頷いたものの、しばらくの間ニンジャの様子を窺っていた。
そして、再び不安そうな声を上げる。
「で……でも……。さっきから、ピクリとも動かないよ、コイツ……」
彼女の言う通り、ニンジャは膝をついた姿勢のまま、まるで石像にでもなってしまったかのように微動だにしなかった。
「そ……そんなはずは……」
ルナの言葉を聞いて、さすがに不安を覚えたテラが、フレイムブレードを擬しながら、ゆっくりとニンジャの方へと近付こうとする。
――が、二・三歩ほど足を踏み出したところで、彼は苦しそうな声を上げ、右肩を押さえて蹲った。
「ッ! だ、大丈夫、テラっ!」
それを見たルナが、慌てて彼の元に駆け寄る。
「だ……大丈夫。さっきの一撃で、また肩の傷が開いてしまっただけだから……」
「そ、それ、全然大丈夫じゃないじゃん!」
テラの答えに、ルナは怒ったような声を上げて、彼の身体を支えた。
と――その時、
「――おやおや、ケガしてるのに、あんな大技を繰り出したりなんかしちゃダメだよ、お兄さん」
「「――ッ!」」
突然聞こえてきた、人を小馬鹿にしたような声に、テラとルナの身体に緊張が走る。
ふたりは、慌てて武器を構え直して、声の主と思われる者に警戒の視線を向けた。
「ま、まさか……今の火雷大神が効いていなかったのか? ――ニンジャ?」
テラは、信じられないといった声で、依然として膝をついたままのニンジャに向かって叫んだ。
一方、
「……ま、まったく! どんだけしぶといのよ、アンタ! 今日から、“装甲戦士ゴキブリ”にでも、名前を変えたら?」
そう言って嘲笑するルナだったが、その声には、隠し切れない焦燥の響きが含まれていた。
――が、
「え……?」
その声はすぐに、驚きの絶句へと変わった。
突然、ふたりの目の前で、ニンジャの身体が崩れ落ちたのだ。――比喩ではなく、正に字面の通りに。
ニンジャの紅い装甲が、その鮮やかな色を失い、白い灰となってサラサラと崩れていく。
その身体は、吹き上がる風に煽られ散らされ――じきに消えてしまった。
「これは――」
その光景を見たテラが、呆然としながら呟く。
「……『火遁術・陽炎』――」
「ご名答……さすがだね、お兄さん」
テラの言葉に、聞き間違えようのない軽薄な声が応えた。
「「――!」」
テラとルナはハッとして、声の聞こえてきた方向へと頭を廻らす。
ふたりの視界に、幹の太い樹に凭れかかる一人の男の姿が映った。
「やあ、おふたりさん」
後頭部で一本に束ねた長髪が特徴的な、二枚目と言えなくもないルックスの若い男は、どことなく人を食ったような薄笑みを浮かべながら、テラとルナに向かってヒラヒラと手を振っている。
と、急に右肩を押さえた彼は、僅かに顔を顰めながら苦笑いを浮かべた。
「……いやぁ、さっきの合体技、凄い威力だったねぇ。まさか、この己自慢の“壁火護陣”が、バターみたいに容易く斬り割られるとは思わなかったよ。“陽炎”を発動するタイミングが、もうコンマ一秒ズレてたら、己のダメージもこの程度じゃ済まなかっただろうな」
「に……ニンジャ! あ、アンタ、どうやって……」
木にもたれてニヒルな笑いを浮かべているこの男が、装甲戦士ニンジャの装着者だと悟ったルナが、上ずった声で尋ねた。
その声を聞いた男は、得意満面で口を開こうとする――。
「ははっ、それはね――」
「――『火遁術・陽炎』。ニンジャの持つ逃散技のひとつだ。技を食らう直前で印を組み、装甲だけを残して、その場から回避する……分かりやすく言えば、“空蝉の術”ってヤツだよ」
「ちょっとちょっと! お兄さん、ひどいなぁ! せっかく、己がドヤ顔でお嬢さんに解説してあげようとしたのにさ!」
せっかくの機会をテラに潰されて、男は頬を膨らませる。
――と、彼の鼻先に、鋭い鈎爪が突きつけられる。
「……カゲロウだかセミだか知らないけど、そんな事はどうでもいいわ。アンタがニンジャの中身だというのなら――」
「……トドメでも指すつもりかい、お嬢さん? 生身の己に、装甲戦士の力を以て――」
「……ッ!」
鈎爪を前にしても、全く物怖じしない男の言葉に、ルナは思わず怯んだ。
「そ……それ……は……」
男に突きつけた鈎爪が細かく震えて、カチカチと鳴る。
すると、
「……ふふふ」
突然、男は愉快そうに笑い始めた。
「ゴメンね。キミをそんなに困らせるつもりは無かったんだ。――ほら、降参だよ、降参」
「は――?」
彼はそう言うと、おどけた様子で両手を挙げてみせ、ルナは思わず声を裏返した。
「こ……降参?」
「そ、降参。まあ……どっちみち、『火遁・陽炎』を使った時点で、己に戦える余力は残ってないからさ。だから、己はもうアンタ達と戦えないし、戦うつもりも無いよ」
「……」
相変わらず真意が掴み辛い男の言葉に、テラとルナは当惑した様子で互いの顔を見合わせるのであった。




