第十一章其の壱拾参 選択
「――それで」
ハヤテは、ごほんと咳払いをすると、テーブルの対面に座る碧へと向き直り、静かに言った。
「改めて訊くよ。――これから、君はこの世界でどうしたいと考えている?」
「――それは……」
ハヤテの真剣な目に見つめられた碧は、戸惑いの表情を浮かべて言い淀む。
彼女の様子を見たハヤテは、やや表情を緩め、穏やかな口調で言った。
「もちろん――俺としては、今伝えた考えに賛同してくれると嬉しいんだけど。でも、その考えを押し付けるつもりは無い」
「え……?」
ハヤテの言葉に、碧は驚きの声を上げる。
「それって……?」
「多分……君は、今の俺の考えに共感する事は出来ないと思ったんじゃないか? 君は、俺と違って……そして、他のオチビト達と同じように、この世界に堕とされる前の記憶や、石棺破壊の衝動を持っているようだからね」
「それは……」
碧は、ハヤテの言葉を聞いて、複雑な表情を浮かべた。
そんな彼女にハヤテは小さく頷きかけ、更に言葉を継ぐ。
「さすがに、『猫獣人がどうなっても構わないから、石棺を破壊したい』という衝動を持つ者を、同じ考えを持っているオチビト達に合流させるような事は出来ないから、当面の間は、このオシスの砦に居てもらう事になるけど」
そう言うと、ハヤテはヴァルトーの顔をチラリと見た。
ハヤテの目配せに、ヴァルトーはやや表情を強張らせながらも、小さく頷く。
それを見たハヤテは、微笑みを浮かべて頷き返すと、再び碧に視線を戻した。
「砦の中で大人しくしていてくれるのならば、俺とピシィナの民が、君に危害を与えるような事は無いと約束するよ」
「……」
ハヤテの言葉を聞いて、おもむろに顔を伏せた碧は、頬に手を当てながら考え込む。
そんな彼女を、無言で見守るハヤテとヴァルトー。
西日の射す室内に、静寂が満ちる――。
「……実は、ね」
碧が、ようやく沈黙を破った。
顔を上げた彼女は、真剣な目でハヤテの事を見据えながら、ゆっくりと言葉を舌に乗せる。
「ホントは私……そんなに、日本に戻りたくないんだ……」
「え……?」
碧の口から紡がれた意外な言葉に、思わずハヤテは訝しげな表情を浮かべた。
呆気にとられた様子のハヤテの顔を見た碧は、どこか憂いを帯びた瞳を窓の外に向けながら、静かに言葉を継ぐ。
「……実は私、あっちの世界じゃボッチでさ。クラスの女子とは話も合わないし、そんなに積極的な性格でも無いから、進んで話の輪に加わったりする事も出来なくて……孤立しちゃってたんだよね」
「……」
「……家もさ。お父さんは、仕事が忙しくて全然家に帰ってこないし。お母さんはお母さんで、娘の私の事なんかほっぽって、お稽古事だかセミナーだかで出掛けてばっかりで……。家に居てもボッチだったんだよねぇ」
「そ……そうなの、か」
「あはは、ドン引きしちゃった? ゴメンね。暗い話しちゃって」
沈鬱な表情を浮かべたハヤテに、明るい空笑いを向けた碧は、更に話を続けた。
「――そんな感じだから、別にそんなに無理して元の世界に戻ろうとは思わないというか――むしろ、戻りたくないっていうか……。だから、確かに強迫観念みたいのは感じるんだけど、ぶっちゃけ、石棺がどうこうとか……どうでもいいんだよね、私」
「え、そ……そうなのか?」
碧の言葉に、ハヤテは目を丸くする。
驚くハヤテの顔を見た碧は、噴き出すのを堪えながら、大きく頷いた。
「まあ、だからといって、あなたの考えに賛成したって訳でもないから、協力する気は無いけどね。――でも、あなたの邪魔をしたりする気も無いわ」
そう言うと、碧はテーブルの上のコップを手に取り、こくんと喉を鳴らして飲んでから、更に言葉を続ける。
「だから――あなたの言う通り、ここで大人しくしておいてあげる。……あの、化け物だらけの森の中よりは安全そうだしね。何より、ここには同じ人間のあなたもいる事だし」
「……そうか」
呆然としていたハヤテだったが、碧の言葉に、ぎこちない笑みを浮かべた。
「そうしてくれると、俺も助かるよ、香月さん。――ヴァルトーさんも、それでいいかな?」
「……はっ」
ハヤテに呼びかけられ、ヴァルトーは固い表情を浮かべながらも、小さく頷く。
「他ならぬハヤテ殿が、そう仰られるのであれば……」
そう言うと、ヴァルトーは碧の顔を見据え、慇懃に頭を下げた。
「――ようこそ、ニンゲンのお嬢さん。我ら、ミアン王国オシス砦守備隊一同は、貴女を歓迎いたします」
「え、ええ……よろしく……」
ヴァルトーの挨拶に、碧は目を大きく見開きながら、ぎこちなく頭を下げ返す。
そして、僅かに上ずった声で、ポツリと呟いた。
「何だか……夢みたい。猫が喋ってるとか……」
「は……?」
「あ、あの!」
怪訝そうな顔で、自分の顔を覗き込むヴァルトーに向かって、碧は目を輝かせながら声を上げる。
急に呼びかけられたヴァルトーは、たじろぎながら返事をした。
「あ……は、はい! 何でありましょうか?」
「あの……黒猫さんに、お願いがあるんだけど?」
「く……クロネコさん?」
「あ……ご、ゴメン! ヴァル……ヴァルトーさんだっけ、あなた?」
キョトンとした表情を浮かべるヴァルトーに、興奮した様子で詰め寄りながら、碧は言葉を継ぐ。
「あのさ! ちょ、ちょっとだけでいいから、その……あた――」
『――やれやれ。せっかく、可愛い女の子を新しく仲間にできると思ったのに』
「「「――ッ!」」」
碧の言葉を遮るように、部屋の中に響いた聞き慣れない声に、ハヤテたちは驚愕の表情を浮かべた。
「だ、誰だ――!」
『しかも、そっち側につかれちゃうと、己たち的には困ってしまうんだよねぇ』
どこから聞こえてきているのか分からない、若い男の声は、まるで世間話のような軽い響きだった。
――が、
『――だから』
突然、声の調子が変わった。――昏く、低いトーンへと。
「――ッ!」
その謎の声に、夥しい殺意を感じたハヤテは、咄嗟にテーブルの上に置いたコンセプト・ディスク・ドライブに手を伸ばす。
――そして、
『――裏切り者と猫人間たちと一緒に、燃え尽きろ!』
謎の声が禍々しい響きを伴った瞬間、ハヤテ達がいる部屋が、夥しい炎に包まれた――!




