第十一章其の壱拾壱 信用
「2022年の時点で、仁科勝悟が何をしていたか……?」
碧は、ハヤテの言葉を反芻するように呟き、少しの間考え込むそぶりを見せた後、ふるふると頭を振った。
「さあ……? 私も、テレビのニュースとかワイドショーで流れてた報道でしか知らないから、そんなに詳しくは……」
そう答えながら困った顔をする碧だったが、すぐにポンと手を叩く。
「あ……でも、仁科勝悟がどこに居たかは知ってるわ」
「それは……? それは、どこだ?」
「刑務所――いや、拘置所なのかな?」
「こ……拘置所……」
碧の答えに驚きの表情を浮かべるハヤテだったが、すぐに納得した。
「そうか……。2020年の“警官殺し”の裁判が、まだ続いているからか……。でも、二年も経って、まだ争ってるなんて……随分と長引いているような――」
「それは、もう一件の殺人もあったからでしょうね」
「……あのクレーマーの分か……」
ハヤテの脳裏に、いかにもチンピラ風な格好をした男の顔が浮かぶ。
あの日……無理難題を強いる彼に絡まれていたグエンを助けようと、わざわざ制服を着直してまで出張ったのが、あの惨劇と受難のそもそもの始まりだった……。
ハヤテは僅かに顔を顰め、それから訝しげに首を傾げた。
「で、でも……、あれは先に向こうが手を出してきたからで……。俺は、あいつに背中を刺されて――」
「ええ、確かに裁判でも、ずっとそう主張してたみたいね、あなたは」
ハヤテの言葉に、碧は頷きながら言った。
「で、実際に、背中に刺し傷があったから、最初の……一般人に対する件は、過剰防衛の末にって感じになってるっぽかったよ。……それでも検察は、あなたが故意に殺したって主張してたみたいだけど」
「……そうか」
ハヤテは、複雑な表情を浮かべながら頷いた。
過剰防衛だろうが何だろうが、自分があのクレーマーを手にかけた事は揺るぎのない事実――だが、その一件が偶発的なものだったと思えば、ほんの少しだけ心が軽くなる。
――が、
「むしろ……裁判で激しく争ってたのは、その後の事件についてよ」
「……!」
続いて紡がれた碧の言葉に、ハヤテの顔が強張った。
「け……“警官殺し”の――?」
「……そう」
気まずげに頷いた碧は、テーブルの上に乗っていたコップの水を一口啜ってから話を続ける。
「あなた――仁科勝悟側は、コンビニの中で警官の首を切って殺害した件だけじゃなくて、店から飛び出して逃走してる間にふたりの警官に重傷を負わせた事に関しても、パニックになったせいで起こってしまった偶然の事故だって主張してたみたいね」
「……」
「でも――検察の方は、その主張に『待った!』をかけたみたい。『現場の状況から考えて、被告が逃走を図る為、故意に警官を殺した!』……ってね」
「……違う!」
激しい声を上げながら勢いよく立ち上がったハヤテは、途方に暮れた様子で両手で頭を抱えた。
「故意に……そんなはずがないじゃないか! 本当にあれは、たまたまなんだ……! わざとじゃ……ない……!」
「……!」
「思い出した限りでは――あの警官が、俺に向けて拳銃を撃ってきて……それに驚いてパニックになってしまったせいで、ナイフを握っていた事をすっかり忘れたまま腕を振り回してしまって……それで――」
「……偶然、ナイフの刃が警察官の首に――って事?」
「……ああ」
碧の口から漏れた声にぎこちなく頷いたハヤテだったが、がくりと肩を落とすと、くずおれるように椅子に腰を落とす。
そして、自嘲気味に呟いた。
「でも――確かに、俺がそう主張しても、なかなか信じられないだろうな……。“たまたま”とか“偶然”とか、検察や裁判官や……マスコミには、都合がよすぎる話だと思われてもしょうがないのかもな……」
「……そうね」
「でも……本当の事なんだよ」
そう呻くように呟くと、ハヤテは再び頭を抱える。
「俺は……殺すつもりなんか無かった……。警官はもちろん、あのクレーマーの男も……」
「うん……そう、なのかもね」
彼の事をじっと見つめながら、碧は静かに囁く。
その声を聞いたハヤテは、思わず顔を上げ、大きく見開いた眼で、碧の顔を見つめ返す。
そんな彼に対し、碧は微かに首を傾げながら言葉を継いだ。
「ニュースやワイドショーの報道を通して知っていた仁科勝悟と、今、私が目の当たりにしているあなたとでは、全然イメージが違うわ。実際の仁科勝悟は、そんなひどい事が出来るような人には見えないもの……」
「……香月さん……」
ハヤテは、微かに声を震わせながら、おずおずと彼女に尋ねかける。
「君は……信じてくれるのか、俺の言う事を?」
「まぁ……」
ハヤテの問いかけに対して、碧は僅かに照れるような素振りを見せながら答えた。
「私は裁判官でもないし、事件の当事者って訳でもないからね。二年前の事件を抜きにして、今のあなたを見た上での率直な印象だけど……悪い人じゃないんだろうなぁとは思う、うん」
碧はそう答えると、ニコリとハヤテに微笑みかけ、ハッキリと言葉を紡ぐ。
「だから……私は信じるよ。あなたの言葉」
そう言う彼女を、ハヤテは僅かに潤んだ瞳で見つめる。
そして、ぎこちなく微笑み返し、
「……信じてくれて、ありがとう、香月さん」
そう言って、深々と頭を下げたのだった。




