第十一章其の漆 思慕
「あなた達は、本当に仲が良いわよねぇ」
「は――はいぃっ?」
ぐつぐつと煮えている芋と野草のスープを木製のおたまでかき混ぜていた天音は、唐突にかけられた穏やかな言葉に、思わず目を丸くした。
「な……仲が良いって……だ、誰と誰の事を言ってるんですか、沙紀さん?」
「そりゃあ……天音ちゃんと来島君よ」
枯れ枝を折って焚火へとくべながら、いたずらっぽく微笑む沙紀。
「来島君が鳴瀬先生と一緒に出てっちゃった時には、とっても落ち込んでたものね。良かったね、また一緒に暮らせるようになって」
「は……はぁあ~? あ……あたしが、落ち込んでたぁ? あ……あのバカの事で――ですか?」
沙紀の言葉に、天音は飛び出さんばかりに目を見開き、慌てて首を千切れんばかりにブンブンと振ってみせた。
そして、今の会話が、先ほど小屋の方へと去っていった薫の耳に入っていないかを確認しようと、恐る恐る振り返る。
――幸いにも、既に小屋の中に入ったのか、薫の後ろ姿は、もう見えなくなっていた。
天音は安堵の息を吐くと、眉を吊り上げて沙紀に抗議する。
「ちょ、ちょっと、沙紀さんッ? な……何を人聞きの悪い事を言ってるんですか! 私は、あのバカの事なんて、全然全く爪の先ほども心配なんかしてませんよッ!」
「あら、そうなの?」
沙紀は、天音の必死な様子にクスクスと笑いながら、大袈裟に首を傾げてみせる。
「ちょっと残念。結構、あなたと来島君はお似合いだと思うんだけどね」
「ちょ、ちょっと! 質の悪い冗談を言うのは止めて下さいよ!」
「だって……あなたたちは年も近いし、ふたりのじゃれ合いは何だか夫婦漫才みたいで、見てると和むのよね~」
「め……夫婦漫才とか、無い! 全ッ然無いですから!」
からかい半分の沙紀の言葉にブルリと身を震わせながら、天音は強い拒絶を示す。
「だ……第一、あたしとあのバカは、この世界ではたまたま年が近いだけで……。だってアイツは、2017年の日本から堕ちてきたんですよ! あたしは2008年に15歳でここに来たんだから……ええと、7歳くらいあたしがお姉さんなんです! だ、誰があんなクソガキ――」
「まあ、確かにそうだけど。ホラ、良く言うじゃない? 『愛に年の差は関係ない』って……」
「あ? ああああ愛ぃぃっ?」
沙紀の口走ったとんでもない単語に、天音は声を裏返し、さらに激しく首を横に振った。
「あ、愛だなんてとんでもない! そもそも……あんな乱暴で粗野でぞんざいでだらしないダメ男なんて、たとえ同い年だったとしても、アウトオブ眼中もいいところですっ!」
「そこはそれ……『嫌よ嫌よも好きの内』って――」
「沙紀さんッ!」
更にニヤニヤ笑いを増す沙紀に向けて、天音は目を吊り上げる。
そして、つと表情を曇らせ、唇を噛んだ。
「……だって、あたしは、元の世界に好きな人が……」
「あ……そうだったわね、ごめんなさい」
落ち込む天音の顔を見た沙紀は、(さすがにからかい過ぎた……)と反省しながら、彼女に謝った。
「天音ちゃんは、もう一度その人と会いたいから、この異世界で頑張ってるのよね……」
「……」
沙紀の言葉に、天音は目に涙を溜めながら小さく頷く。
そんな彼女に、沙紀は優しく声をかけた。
「たしか……幼馴染だっけ? 天音ちゃんの――想い人って」
「……うん。幼稚園の頃からのご近所さんで、それからずっと一緒に育って……」
「そっか……」
ぽつぽつと話し始める天音に、沙紀はうんうんと頷きながら問いを重ねる。
「じゃあ、告白は――?」
「……ううん」
沙紀の問いかけに、力無く首を横に振る天音。
「告白は、まだ……。中三のバレンタインデーに、本命のチョコをあげようと思ってたんだけど、その前に――」
「この異世界に堕とされちゃったって訳か……」
「……」
天音は、もう一度頷き、その肩を小刻みに震わせ始める。
「うぅ……ううぅ……うぅ~……っ」
「よしよし……」
泣き崩れる天音の身体を、その豊満な胸で受け止めた沙紀は、彼女の頭をそっと撫でながら優しく声をかける。
「……絶対に帰ろうね。それぞれが暮らしていた……日本へ」
「……うん」
ぽたぽたと涙の滴を零しながら、天音は小さく、そして力強く頷いた。
――彼女の脳裏に、愛しい幼馴染の顔が浮かぶ。
決して整った顔立ちとは言えない……でも、とても優しい面立ちをした彼の顔を。
「会いたい……」
彼女の口から、擦れた声が漏れる。
「会いたいよぉ……しょうちゃん……」
◆ ◆ ◆ ◆
「……」
建付けの悪い小屋の引き戸を開けた薫は、ぞんざいに靴を脱ぎ捨てると、オールバックに固めた髪の毛に指を突っ込んで、わしゃわしゃと掻いた。
「……ふぅ」
そして、小さく息を吐くと、ズボンのポケットからツールサムターンとツールズグローブを取り出す。
そして、無造作に床に放ろうとしたが、
「……」
ふと、その動作を途中で止めた。
暫しの間、彼は無言で手に乗ったツールサムターンとツールズグローブを見つめていたが、おもむろにグローブを左手に嵌め直す。
そして、緊張した面持ちで、小屋の奥のドアへと近づいた。
「……」
薫は無言のまま、ドアの取っ手に手をかけ、音を立てぬよう慎重に引く。
部屋の中には、動物の毛皮で作られた粗末な寝具が敷かれており、その中で、頭に血の滲んだ包帯を巻いた一人の男が静かに寝息を立てていた。
伸びた無精髭が目立つ男の顔を見た薫は、青ざめた顔でそっと囁きかける。
「――オッサン。起きてるか……?」
――だが、横臥している牛島聡の目は固く閉じられたまま、薫の呼びかけにもピクリとも動かなかった。
それを確認した薫の息が、浅く、短くなる。
彼は、足音を忍ばせながら、牛島の枕元に立つと、無言のままで左手を胸元まで上げた。
「ふぅ……ふぅ……」
呼吸を更に荒くさせながら、薫は右手をゆっくりと上げる。その指に抓まれたツールサムターンが、銀色の鈍い光を放った。
「オッサン……いや、牛島……聡」
薫は、震える唇を苦労しながら動かし、血を吐く様な低い声を漏らす。
「――お前が、健一の……仇……!」




