第十一章其の参 懊悩
「……ごちそうさまでした」
ハヤテは、青白い顔で、殆ど手をつけていない昼食の皿の前で、力無く手を合わせた。
「……お口に合いませんでしたかな?」
そんな彼に、テーブルの向かいに座ったヴァルトーが心配そうに尋ねる。
「あ……いや……」
ヴァルトーに気を遣わせてしまった事に気付いたハヤテは、慌てて首を横に振った。
「そういう訳では無いのですが……少し、食欲が無くて……」
「左様ですか……」
ハヤテの答えにヴァルトーは小さく頷くが、その表情から見るに、納得はしていないようだった。
「そうは仰られましても、あなたの傷はまだ癒えていないのです。たくさん栄養を取らないと、回復も遅くなりますぞ」
「……そうですよね。でも……すみません」
ヴァルトーの言葉に、申し訳なさそうな表情を浮かべながらも、ハヤテは重ねて頭を振った。
「やっぱり、今日は食欲が湧かないので……」
「“今日も”――でしょう」
「……」
間髪を入れず投げられたヴァルトーの指摘に、返す言葉も無いハヤテ。
そんな彼の様子を見て、ヴァルトーは微かに溜息を漏らすと、部屋の隅に控える部下に目配せをして、半分ほど料理が残ったままの食器を片付けさせる。
そして、その黄色い瞳でじっとハヤテの顔を見つめながら、静かに問いかけた。
「……やはり、何か気にかかる事がおありのようですな」
「……はい」
ヴァルトーの言葉に、躊躇いつつも小さく頷くハヤテ。
すると、ヴァルトーはヒゲを撫でつつ、穏やかな声調で言葉を継ぐ。
「差し支えなければで構いませぬが……お聞かせ頂けますか? ハヤテ殿のお悩みを。ひとりで抱え込むよりは、気も晴れましょう」
「……実は――」
ヴァルトーに促され、口を開きかけたハヤテだったが、
「……いえ。やっぱり、いいです」
と、表情を曇らせて、小さく頭を振った。
ハヤテは、自分の胸に秘めた憂い事を他の者に向けて話す事に、どうしても抵抗を覚えたのだ。
『元の世界で、自分が人間を二人も殺したのかもしれない』
――という事を。……いや、“かもしれない”では無い。
ハヤテは、確信していた。
(多分……あの光景は、夢ではなく――現実に起こった……いや、俺自身が起こした事だ)
――と。
そして、その事を知った時、ヴァルトーは、オシスの砦に詰める猫獣人兵たちは、ドリューシュ王子は、そして――
フラニィは、どう思うだろうか?
(……怖い)
ハヤテは、ぶるりと身震いをした。
同族を殺めた事がある事が知られたら、彼らが自分へ向ける目が変わってしまうのではないか――ハヤテは、それを怖れたのだ。
……もちろん、ただの杞憂に終わるかもしれない。
だが……、
「……お気遣いはありがたいのですが、本当に大丈夫なので」
結局……ハヤテは、悩みを己の腹の内に止め続ける事を選んだ。
何もかも打ち明けて、気を楽にしたいという気持ちも確かにあったが、今まで積み上げてきた猫獣人たちの信頼を一気に失う可能性が少しでもある以上、リスクを負うような事はしたくなかった。
「……」
言葉とは裏腹に、沈痛な表情を浮かべているハヤテを、ヴァルトーはジッと見つめていたが、やがて小さく嘆息すると、「……分かりました」と小さく頷いた。
「ハヤテ殿がそこまで頑なに仰るのであれば、私もこれ以上は訊きますまい」
「……すみません」
椅子を引いて立ち上がったヴァルトーに向けて、ハヤテは深々と頭を下げた。種族すら違う自分の事をここまで気をかけてくれるヴァルトーに対し、申し訳ないという気持ちと自責の念が沸く。
そんなハヤテに対し、ヴァルトーもゆっくりと頭を下げた。
「……では、私はこれで失礼いたします。夕食は、少しでもハヤテ殿の味覚に添えるよう、あなたの分の料理にはタリツを多めに使えと料理番に申し付けておきますよ」
「お気遣い、ありがとうございます……本当に」
そう答えて、ハヤテは様々な思いを胸に抱きながら、もう一度頭を下げる。
タリツのくだりは軽い冗談のつもりだったヴァルトーは、生真面目なハヤテの礼に対して困り笑いを浮かべながら会釈すると、ヒゲを撫でつけながら出口へと向かい――
「中隊長! お、お知らせがございます!」
彼がドアノブに手をかける前に、粗末な木の扉が勢いよく開け放たれた。
「ッ――! な、何だ、騒々しい!」
鼻先で突然開いたドアに驚きながら、ヴァルトーは、ドアを開けた兵に向かって怒鳴りつける。
「ここはハヤテ殿の部屋だぞ! もう少し静かに入ってこんか! ハヤテ殿の傷に障ったらどうするのだ!」
「は、はっ! 失礼いたしました! ――ですが、火急の報せでございまして……」
ヴァルトーの叱責に、顔を引き攣らせながら背筋を伸ばした猫獣人兵だったが、おずおずと言葉を継いだ。
『火急の報せ』――その言葉を聞いた途端、ヴァルトーとハヤテの顔に緊張が走る。
よもや、ここ数日間、全く動きを見せなかったオチビトたちが、再び動き出したという報せだろうか……?
ふたりは思わず顔を見合わせ、それから猫獣人兵の顔に視線を移した。
「……それはまた、穏やかでは無いな。よし、申せ! お前が持って来た“報せ”とやらを」
と、ヴァルトーが促すと、猫獣人兵が「はっ!」と声を上げ、ヴァルトーとハヤテの顔を順番に見ながら答えた。
「先ほど、哨戒部隊から伝令が参りました! ――ヒュージィ川の岸で、“森の悪魔”のひとりと思しき者が倒れているのを発見したとの事にございます!」
「「――ッ!」」
兵の報告に、ヴァルトーとハヤテは思わず息を呑むのだった。




