第十章其の壱拾参 終戦
テラの放った臥龍天醒の斬撃は、硬度10を誇る堅牢な卵殻、そして、その中に身を潜めたジュエルの胸を斬り裂いた。
臥龍天醒の持つ凄まじい衝撃で粉々に砕け散った堅牢な卵殻が、無数の紅いダイヤモンドの欠片となって、澄んだ音を立てながら地に落ちる。
「ぐ……ぅうっ!」
降り注ぐ赤いダイヤモンドの驟雨の中、胸部を手で押さえたジュエルは、呻き声を上げながら堪らず膝をつく。
胸を押さえた手指の間から、ぽたりぽたりと音を立てて、血が滴り落ちる。
――と、
「ぐぅッ……! うぅぅうう……っ!」
ジュエルの苦しみ方が変わった。
「が……ああああぅあ……ッ!」
彼は、突然身体を仰け反らせると、頭を両手で抱えながらのたうち回る。
「あ……ああああぅぐううあああっ!」
今度は、小刻みに痙攣する指で喉元を掻き毟り始めた。
「あぐううああああぅううっ!」
ジュエルは悶絶しながら、やっとの思いで右手を左手首に伸ばすと、ジュエルブレスに嵌っていたブラッディダイヤモンドの紅い魔石を強引に外す。
間もなく、彼の纏うブラッディダイヤモンドエディションの装甲が淡い光を放ち、溶ける様に消えた。
「……はあ! はぁっ! ……はあ! はぁ……っ」
そして、血と涎に塗れた口を大きく開いて、荒い呼吸を繰り返している牛島聡が、草原で大の字になって倒れていた。
「はぁ……はぁ……どうやら、“活動限界”後に、もう一度ブラッディダイヤモンドの力を使ったせいで、ついに私の身体が耐えられなくなったようだね……」
牛島は、激しく震える自分の指先を見つめながら、かすれ声で言葉を継ぐ。
「少し……血を使い過ぎた。これ以上の継戦は、無理だな……」
そう呟く牛島だったが、ふと影が差したのに気付いて頭を廻らせる。
そして、口元に僅かに笑みを浮かべながら、影の主を見上げ、まるで友人にするような気安さで声をかけた。
「……やあ、テラ」
「……」
牛島の声に対し、無言のまま彼の傍らに立ったテラは、龍の顔を模った漆黒のマスクの目を紅く光らせる。
右手に持った龍尾ノ長剣は、刃がボロボロに毀れていた。硬度10の堅牢な卵殻を力づくで両断したのだ。いかに龍尾ノ長剣といえど、無事では済まなかったようだ。
「……」
だが、そんな事は意に介さぬかのように、彼は右手を高々と上げた。まっすぐ天を差した龍尾ノ長剣が、陽の光を受けてギラリと輝く。
その刃が狙うのは――牛島の首元。
それが意味するところを察した牛島は、一瞬息を呑むが……フッと表情を緩めた。
「……そうだね。君の決断は正しい」
彼は、相変わらず沈黙を貫くテラに、にこやかな微笑みを浮かべながら頷く。
そして、大の字に寝転んだまま顎を上げて、テラの事を促した。
「確かに、私を生かしたままでは危険だよ。可能ならば、この場で息の根を止める事が最善だ」
「……」
依然として、観念した様子の牛島を無言のまま見下ろし続けるテラだったが――、
「――!」
決心したかのように、龍尾ノ長剣の柄を握る手に力を込める。
――が、
「……グ……グウゥ……」
不意にくぐもった呻き声を上げたテラは、左手を柄から離すと、自分の顔面を押さえた。
「ウ……ウウゥゥゥ……メロ……止め……!」
左手で顔を覆った彼は、苦しそうな声を上げながら、ヨロヨロと後ずさりする。
だらりと垂らした右手で握っていた龍尾ノ長剣が、地面に滑り落ちた。
と、
「ヤメ……や……止め……止めろ――ッ!」
突然、血を吐く様な声で絶叫したテラは、両手で胸部にあるふたつのコンセプト・ディスク・ドライブを鷲掴みにし、力任せに毟り取った。
『『――エラー! エラー!』』
ふたつのコンセプト・ディスク・ドライブから、無機質な合成音声と警告音が鳴った。
同時に、テラの体を覆う漆黒の装甲に、バリバリと音を立てて亀裂が入る。
そして、爆発したかのように弾け散った。
「はぁッ! はあっ! はぁっ! はぁっ……」
テラから生身へと戻ったハヤテは、その場に蹲って、荒い息を吐いていた。
「……無理矢理、装甲ユニットを外して、自力で暴走状態から回復したのか……疾風くん」
その様子を見ていた牛島は、地面に横たわったまま呟く。
「……おかげで、私は命拾いをしたようだね。あのままだったら、今頃私の首と胴体は場所を異にしていただろうから。――だが」
彼はそう言うと、頬を歪めて皮肉気な笑みを浮かべた。
「正直、今の君の行動は理解に苦しむね。あと一太刀で、私の命を奪えたというのに」
「お……俺は……」
横たわったままで自分を嘲笑する牛島を睨みながら、ハヤテは途切れ途切れの声で答えた。
「俺は……人を……殺すつもりは……無い……」
「フン……まだ、そんな甘い事を言っているのかい、君は」
牛島はムクリと身を起こすと、ヨロヨロとふらつきながら、ハヤテの傍らへと近付く。
そして、蒼い魔石を取り出すと、ジュエルブレスに嵌め込んだ。
そして、三度ジュエル・アクアブルーエディションの装甲を身に纏うと、
「――まあ、いいさ。そこまで言うのなら、お望み通り、二度と人を殺さなくて済むようにしてあげよう。ここで君の人生を終わらせて、ね」
そう言いながら、右手を手刀に擬し、高々と振り上げる。
「……ッ」
ストームドラゴン時の暴走による疲労、そして、それまでの戦いで蓄積されたダメージによって、ハヤテは身動きする事も出来ない。
ただただ、唇を噛みながらジュエルを見上げるしか術が無かった。
それを冷ややかに見下ろしながら、ジュエルは手刀に力を込める……。
「――と、言いたいところだが」
しかし、ジュエルはそう言葉を続けると、振り上げていた手刀を下ろした。
そして、わざとらしく肩を竦めてみせる。
「……残念ながら、私の方も限界が近いようだ。よしんば残る力で君に止めを刺したとしても、その後無事に彼らの手から逃げおおせる事は難しそうだ」
そう言って、彼は後方を指さす。
その指の先には、剣や槍を振り上げて、こちらへ迫りくる猫獣人兵たちの一団が見えた。
ジュエルは、再びハヤテを見下ろすと、静かに言葉をかける。
「という事で、ここは尻尾を巻いて逃げさせてもらうよ。また会おう、疾風くん。今回は、痛み分けって事にしておいてあげるよ」
そう言うと同時に、彼の身体が白く輝き、まるで水面に広がる波紋の様に揺らめいた。
その姿を見たハヤテが呟く。
「液状化……!」
「――ああ、そうそう」
完全にその身体を液状に変える寸前、ジュエルは首を巡らせてハヤテに声をかけた。
「もし、機会があったら、一度“通路”を見てみるといい」
「……“通路”?」
突然の言葉に戸惑いながらも、ハヤテは戦闘前に牛島と交わした会話を思い出す。
「……王宮の――“霊廟”に続くという通路の事か?」
「そうだ」
ハヤテの問い返しに、ジュエルはゆっくりと頷いた。
「アレを見たら、或いは君の考えも変わるかもしれないね。そうなってくれれば、私としても嬉しい」
「……一体、何があるというんだ? その、通路とやらに――」
「それは――」
ジュエルは、一瞬考え込み――すぐに言葉を継ぐ。
「それはね……“この世界の正体”――その片鱗さ。……多分ね」
「こ……この世界の……正体?」
ジュエルの答えに戸惑いの声を上げるハヤテ。
だが、彼の当惑に応える事もなく、完全に液体化したジュエルはその形を崩しながら、地面へと沁み込んでいく。
そして、
「ふふ……じゃあね、また会おう。疾風くん……装甲戦士テラ。――出来れば、今度は同志として、ね」
最後にそう言い残し、ジュエルは完全に姿を消したのだった。




