第一章其の拾 名字
「な――ッ!」
装甲戦士に姿を変えた三人を目の当たりにして、ハヤテは言葉を失った。
そんな彼の様子を見ながら、装甲戦士ジュエルへと姿を変えた牛島は、今は覆面に覆われた顎を満足げに撫でる。
「なかなかいいリアクションだね。ツールズを知っているという事は、私と健一くんの装着態の紹介は省いていいかな?」
そうハヤテに言った牛島――ジュエルは、彼の返事を聞く前に話を続けた。
「さて、これで、私達が装甲戦士の装着者である事は理解して頂けたと思う。――より正確に言えば、“この異世界における”装着者――だがね」
「……“この異世界における”――?」
「そこから話した方が良さそうだね」
ジュエルは小さく頷くと、ジュエルブレスから魔石を外し、装甲を解除した。
それに倣う様に、ツールズとZ2も、元の薫と健一の姿に戻る。
「さて……立ちっぱなしはちょっと辛いから、おじさんは座らせてもらうよ」
牛島はそう言うと、「よっこいしょういち」と言いながら、その場に胡座をかいた。
それを白けた目で見ながら、健一がボソリと言う。
「……そのギャグ、ボクたちの時に流行ってたけど、君の頃にも残ってたのかい?」
「いや……、オレたちも普通に使ってたぜ。つか、オレたちの頃は『どっこいしょういち』だったけどよ」
「いや、『どっこいしょういち』じゃおかしいでしょ。だって、あのギャグって、元々……」
「あの……、これから肝心な事を話すって時に、私の口癖を巡って喧嘩し始めないでもらえるかな?」
言い争いを始めかけた二人を慌てて制して、牛島は咳払いをした。
「ごほん。ええと――そうそう。“この異世界における”というのは、“元の世界とは違う”という事だね。――まあ、『元の世界の装着者』っていうのは、テレビの中にだけ存在している虚構の登場人物なんだけど」
「…………は?」
牛島の言葉に、ハヤテは呆然とした表情を浮かべた。
……馬鹿な!
「そ――そんなはずはない! 装甲戦士は、虚構の存在なんかじゃない! 歴代の戦士達は実在し、幾度も世界を――人々を救ってきたんだ! ……それに!」
「……それに?」
難しい顔をした牛島に促され、ハヤテは更に声を張り上げる。
「そ……それに! もし、アンタらが言う様に装甲戦士がきょ……虚構の存在だったとするなら、この俺の存在はどう説明する? 装甲戦士テラの装着者である、この焔良疾風の存在はっ?」
「へえ、君の名前は、ホムラハヤテというのかい?」
牛島が興味深そうな声を上げ、その身を乗り出した。
「差し支えなければ……いや、差し支えるとしても、君の情報を教えてもらえるかな? あ、今の君に拒否権は無いので悪しからず」
「……」
「結構」
自分の、穏やかな中にも有無を言わさぬ威圧に圧されたハヤテが無言を貫くのを消極的な同意と取った牛島は、ニコリと微笑むと更に身を乗り出す。
「じゃあ……まずは、君の名前の漢字を伺おうか。――どういう字を書くのかい、ホムラハヤテとは?」
「……『火焔太鼓』の“焔”に、良い悪いの“良”。それに、疾風と書いてハヤテだ」
「ふむ……“焔良疾風”だね」
目の前で指を走らせ、空中に漢字で“焔良疾風”と書いて満足げに頷いた牛島だったが――すぐに頭を振る。
「良い名前だね。……でも、残念ながら、日本に『焔良』という名字は存在していない。……少なくとも、西暦2010年の段階では……ね」
「な――っ?」
「……私が小説家だという話はしたね? 職業柄、日本人の名字に知悉している必要があるんだ。――何せ、小説の登場人物に迂闊な名字を付けてしまうと、色々と問題が起きてしまうもんでね」
「旦那が書いてたのは、エロ小説だからなぁ……」
「……官能小説だ」
憮然とした顔で薫の呟きを訂正した牛島は、もう一度咳払いをして、先を続けた。
「だから……私の頭の中には、ほぼ全ての名字が入っている。――でも、『焔良』などという名字は聞いた事が無い」
「な……何……だと?」
牛島の言葉に、ハヤテは顔を青ざめさせながら、口元を戦慄かせる。
「じゃ……じゃあ、俺の名は……一体、何だという――」
「――結論、出てるじゃないか」
ハヤテの呟きに、冷静な声で応えたのは、健一少年だった。
彼は、マンガ雑誌のページを捲りながら、目を上げる事もなく言う。
「さっき、サトルも言ってただろ? 『小説の登場人物に迂闊な名字を付けてしまうと、色々と問題が起きてしまう』――ってさ。……それってさ、テレビ番組のキャラにも言えるんじゃないかな?」
「――っ!」
「つまり……君が自分の名前だって思い込んでいるホムラハヤテという名前は、Z2の装着者である風祭真之介や――」
「オレの、ツールズの穴山螺旋――」
「そして、『装甲戦士ジュエル』の主人公・伊矢幕雅と同様に……」
そこで一旦言葉を切った牛島は、ハヤテの顔を見据えながら、静かな声で続けた。
「……テレビの特撮番組『装甲戦士テラ』の主人公の名前――なんじゃないのかな?」
「――なッ?」
ハヤテは、健一の言葉に目を見開く――が、すぐに頑なな態度で首を横に振る。
「い、いや、しかし! 珍しい名字だから、お前が知らないだけなのかも……」
「ふむ……、そう言われると、確かに論破までは出来ないね」
牛島は、どこか面白そうな感じで苦笑いを浮かべると、あっさりと頷く。
そして、顎に指を当てながら、静かに言葉を続けた。
「じゃあ、別の方向から、検証をしてみようか? では……“自称”焔良疾風君――君の年齢と職業を訊いていいかな?」
「……」
先ほどと同様、牛島に穏やかながらも威圧を含めた視線を向けられ、たじろぎながらもハヤテは質問に答えた。
「……年齢は二十三歳。職業は……イラストレーターだ」
「イラストレーター! 絵を描くんだね、君は!」
ハヤテの答えに、牛島は顔を輝かせる。
そして、おもむろに立ち上がると、部屋の角にある戸棚を開け、その中に入っていた物を取り出した。
「――この世界では、植物紙は貴重なんだ。だから、画材となりそうな物と言ったら、こんな物しか無いんだけど……」
そう言いながら、牛島がハヤテの前に並べてみせたのは、木の皮を削って作って紙の様に伸ばしたものと、木の枝を削って作ったペン、そして炭を溶かして作った様な、見るからに質の悪いインクの入った木筒だった。
それを見たハヤテは、当惑の表情を浮かべて、牛島の顔を見る。
「これは……?」
「君はイラストレーターなんだろう? 何か描いてみてくれないか? まあ、酷い道具で申し訳ないが、『弘法筆を選ばず』って言うしね。簡単な絵でいいよ」
「か……描く?」
「……ああ、失敬。さすがに縛りつけられたまんまじゃ描けないね。今解いてあげよう」
キョトンとした顔をするハヤテも意に介さず、牛島は彼を締め上げている太い縄の結び目を解き始めた。
「お、おい、オッサン! 大丈夫なのかよ、ソイツを放しちまっても?」
突然の牛島の行動に驚いたのは、薫も同じだった。
だが、牛島は、慌てた様子で腰を浮かしかける薫に掌を上げて制止した。
「なぁに、大丈夫さ。彼の換装アイテムは、こちらの手の中にあるんだし、たとえ生身で暴れたとしても、装甲戦士が三人もいれば、制圧は容易いだろう?」
「ま……まあ、そうだけどよ」
「……よし、解けたよ、疾風くん」
牛島の声と共に、ハヤテは自分の身体が締め付けられる感覚が緩んだのを感じた。
彼は恐る恐る腕を動かすと、自由に動かす事が出来た。
と――、
「さ、疾風くん、頼むよ」
「……」
牛島に促され、ハヤテは自分の目の前に広げられた、粗末な木の皮を見下ろした。
「……」
彼は、ゆっくりと腕を伸ばし、置かれた筆を手に取る。
筆先を木筒のインクに浸し、余分なインクを木筒の端で落とす。
そして、筆を木の皮の上に持ってきて、静かに筆先を皮に置いた。
「……」
だが――、
「…………」
彼の筆は、そこからピクリとも動かない。
「……どうしたんだい?」
「……」
牛島の問いかけにも、ハヤテは答えない――否、答えられなかった。
彼は、脂汗を額に浮かべながら、無言で自分の持つ筆の先を凝視し続けている。
それを見ていた牛島が、薄い笑みを浮かべて、どの肩を軽く叩いた。
「……分かっただろう?」
「……」
「実際の君は、絵を描いた事なんか無いんだ。だから、絵をどう描いていいのかも分からない」
「……ッ」
「つまり――」
そして、牛島は心底愉しそうな顔をして、決定的な一言を彼に向けて放った。
「……君は、イラストレーターを生業にしているという、“焔良疾風”なんていう人間じゃない。自分の事を、画面の向こうで活躍する『装甲戦士テラ』の主人公・焔良疾風だと思い込んでいる何処かの誰か……って事だ」




