第十章其の捌 限界
「……ん?」
草原の中に悠然と立ち、己が吹き飛ばして大岩に叩きつけたテラが彼我の力差に絶望する様を愉快そうに眺めていたジュエルは、ふと怪訝な声を上げた。
テラが、岩に身体をめり込ませたまま、じっと自分の手元を凝視している。
ジュエルは、彼が何を持っているのか確認しようと、じっと目を凝らし、「……あれは――!」と小さく叫んだ。
「――“光る板”だと? いつの間に……」
テラが何故“光る板”を持っているのか、顎に指をかけて考え込んだジュエルだったが、すぐに結論を導き出し、納得した様子で頷く。
「そうか……。あれは、健一くんが持っていたZバックルが“空”に戻ったものか」
そう呟いた彼は、肩を竦めながら小さく溜息を吐いた。
「やれやれ……。おとなしく死んでくれればいいものを、まだ足掻くつもりなのか」
そう独り言つと、彼は右腕をゆらりと横に伸ばす。そして、掌から溢れ出た血液を凝集させ、再び凝血細剣を創り出した。
「まあ、テラが空の“光る板”を自分の装甲アイテムに変えようが、どのみち殺してしまえば同じ事なのだがね。石橋は叩いて歩くに越した事は無い」
ジュエルはそう言うと、腰だめに凝血細剣を構え、ゆっくりと重心を下げる。
このままテラの元まで突進し、彼の身体を昆虫標本の様に大岩に縫い付けてやろうというのだ。
ジュエルは右足を後ろに下げ、一気に跳躍しようと力を溜める。
そして、テラに必殺の一撃を見舞う為、正に足を踏み出そうとしたその時、
――カン! カカン!
「――ん?」
背中の装甲とヘルメットに何かがぶつかった音と衝撃を感じたジュエルは、怪訝な声を上げながら背後を振り返った。
その目に映ったのは――、
「駄目ですヴァルトー中隊長! 全く効いていません!」
「くそっ! こちらの放つ矢では、突き立ちもしません! どうすれば……」
「ええい、第二射急げ! 今度は、装甲の間を狙うのだ! そこならば、装甲よりも強度は低いはずだ!」
いつの間にか八十メートルほどの距離にまで接近していた猫獣人たちが、一斉に矢を番え、ジュエルに狙いを定めようとしている光景だった。
猫獣人たちの一団の中心に居る、指揮官らしき黒猫が、周囲の兵たちに向けて叱咤の声を上げる。
「ええい、怯むな! それでも、栄えあるミアン王国の兵か? 敵わぬまでも、せめて一矢は報いるのだ!」
「……ふん」
隊長の黒猫獣人の声を聞いて、ジュエルは鼻で嗤った。
この、全装甲戦士の中でも最硬を誇る、ジュエル・ブラッディダイヤモンドエディションを相手に、たかだか鉄の鏃ごときで立ち向かおうなどとは――。
「まったく、愚かだね。言葉を喋り、文化を持つと言っても、所詮は猫か。彼我の戦闘力の圧倒的な差もロクに理解できんとはねぇ……」
この程度の攻撃、いくら食らおうが、自分の堅牢な装甲の前には文字通り蚊に刺されたほどにも効かない――そう判断したジュエルは、彼らを無視し、当面の最大の脅威であるテラに止めを刺す事に専念しようとする。
――が、
「――ハヤテ殿は、我ら猫獣人族の希望であり……友人なのだ! 我らの命に代えても、ハヤテ殿の命を護るのだ! それが……我らの為に戦ってくれたハヤテ殿に対する報恩というものぞ!」
「……!」
黒猫の隊長の声を耳にしたジュエルは、ゆっくりと猫獣人兵たちの方へと振り返った。
その深紅の仮面の下の目は、明確な殺気に満ちた光を放っている。
「……鬱陶しいな」
彼はそう呟くと、ゆらりと腕を上げ、猫獣人たちに向けて凝血細剣を突きつけた。
そして、仮面の下の口を嗜虐的に歪めた。
「……ならば、お望み通り、テラの前に君たちをあの世に送ってあげよう。――溶血」
彼の声がかかると同時に、手に持った凝血細剣がその形を喪い、無数の血液の滴へと変わり、ジュエルの周囲にフワフワと漂う。
そして、ゆったりと両手を広げ、己の血液の滴たちに向け、厳かに命じた。
「――赫血の雀蜂」
その一声で、彼の周囲を漂う無数の血液が瞬時に結晶化する。
ジュエルは両腕を大きく広げ、まるでタクトを操る指揮者の様に振った。
「蹂躙せよ」
その指示に応じる様に、彼の周囲で漂っていた無数の鮮血の結晶が群れを成し、不気味な音を立てながら猫獣人の方へと向かって一斉に飛ぶ。
「う……うわっ! 来た――っ」
「――ッ!」
「う、打ち払え!」
「弓を……」
赤く輝きながら、自分たちの方へと迫りくる結晶の群れを前に、猫獣人たちは浮足立った。
そして、結晶の群れが、猫獣人兵と接触する――寸前、
「……ぐっ――!」
苦悶の声を上げたのは、結晶を猫獣人にけしかけたジュエルの方だった。
彼は胸を押さえると、呻き声を上げながらその場で膝をつく。
それと同時に、今まさに猫獣人たちに襲いかかろうとしていた深紅の結晶が急にその形を崩して元の血液へと戻ると、ぼたぼたと音を立てながら地面に落ちた。
「く……! こ……これは、ブラッディダイヤモンドの……“副作用”か……」
ジュエルは、胸を掻き毟って悶え苦しみながら、左手のジュエルブレスから深紅の魔石を取り外し、咄嗟に取り出した南極魔石を、その代わりに嵌め込む。
ジュエルブレスから眩い光が溢れ、ジュエルの身体を包み込み、
『――魔装・装甲戦士ジュエル・ホワイトアンタ―クチサイトエディション』
その身体は、冷気を放つ純白の結晶装甲に覆われる。
「……ふぅ」
ジュエルは、大きく息を吐くと、胸に当てていた手を伸ばし、ゆっくりと立ち上がった。
そして、自嘲を含んだ笑いを漏らす。
「やれやれ……、私とした事が、ブラッディダイヤモンドエディションの“活動限界”を見極め損ねるとはね……。少しはしゃぎ過たようだ」
彼はコキコキと首を鳴らしながら、再び猫獣人たちを睥睨した。
そして、再び彼らに向けて手を伸ばす。
「やあ、待たせたね。今度こそ、君たちの命を奪――」
そう言いかけたジュエルだったが、後方から鋭い光が射したのに気付き、ゆっくりと振り返った。
「……ふふ」
そして、思わず嘲笑を漏らす。
「……ほう。Z2の“空”を使ったのかい。――しかし、それは」
そう、ヨロヨロと立ち上がるテラに言ったジュエルは、彼に向かって指を突きつける。
「それは、装甲アイテムは装甲アイテムでも、“媒体”ではなく、“ユニット”の方なんじゃないのかい?」
「……」
ジュエルに指を突きつけられたテラの手が持っていたのは、虹色に光るコンセプト・ディスクではなく――白いコンセプト・ディスク・ドライブだった。




