第九章其の壱拾壱 形見
「ああ……」
薫の言葉を聞いたハヤテは、小さく頷き、ホッと安堵の息を吐いた。
そして、仰向けに横たわったままの薫に向けて右手を差し出す。
「……立てるか?」
「お、おう……」
無警戒に伸ばされた右手に少し戸惑いながら、薫は自分の手をおずおずと伸ばす。
ハヤテは、その手を当然のように掴み、引っ張り上げようとする。
「よっ……と」
――だが、立ち上がろうとして、再び尻餅をついてしまった薫は、僅かに顔を顰めながら首を横に振った。
「……ダメだ。まだ、さっきの技のダメージが抜けてないみてえだ。脚が痺れて、上手く立てない……」
「そうか……。なら、落ち着くまで、しばらく座ったままの方が良いな」
薫の言葉に、ハヤテは頷く。
と、彼は顔を顰めて歯を食いしばると、右手を左肩に当てた。
左肩に当てた右掌が、大きく裂けた傷口から流れる血で朱く染まる。
「痛つつ……」
「……そっちこそ、大丈夫かよ? その傷――」
さっきとは逆に、ハヤテの事を気遣う薫。
その問いかけに、ハヤテは微笑を浮かべて頷く。
「ああ、多分な……。以前に牛島が言ってた通り、今の身体は、前よりもずっと頑丈で傷の治りが早いからな。そのうち傷も塞がるさ。――お前の方もな」
「……そうか」
ハヤテの言葉に、薫は自分の身体を見回し、頷いた。
――と、
「あー……ところで」
ハヤテは、少し戸惑いながら、薫に問いかける。
「薫……お前、さっき、誰と話していたんだ?」
「……さっき?」
薫は、ハヤテの問いかけに一瞬キョトンとした表情を浮かべるが、すぐに意味を理解し、照れ笑いを浮かべた。
「ああ……アレか」
そう呟くと、彼は真っ青に晴れ渡った空を見上げ、静かに答える。
「……健一と、だよ」
「え……っ?」
「あー、分かってる分かってる。別に、頭がおかしくなった訳じゃねえよ」
顔を曇らせるハヤテに向かって苦笑を向けながら、薫は手を軽く振った。
「別に、俺は幽霊なんてモンは信じちゃいねえからよ。さっきの声が、健一の幽霊だったとか思っちゃいねえよ。あれは多分――」
そう言うと、彼は自分の頭を指さす。
「――オレが頭の奥の方に押し込んでた本音が、健一の声を借りて出てきた――そんな感じのモンなんじゃねえかな。……さっきは、マジで健一が化けて出てきてくれたのかと思ったけどな」
「……いや、違うよ」
「……あぁ?」
自分の言葉を否定したハヤテに、怪訝な表情を浮かべた顔を向ける薫。
「違うって何だよ?」
「……お前に聞こえた声。それは多分、健一本人だよ」
「はぁ?」
ハヤテの真剣な響きの籠もった言葉に、薫は大きく首を傾げる。
「お前、実は幽霊とか信じてるクチかよ?」
「……」
てっきり、薫が自分の言葉を嘲笑い飛ばすのだろうと思ったハヤテだったが、
「……まあ」
予測に反して、薫は神妙な顔になって俯いた。
そして、小さな言葉で呟く。
「あれが本当に健一の幽霊だったら、オレも嬉しいけどよ……」
「だったら、そういう事だと思って――信じておけばいいさ」
「……そうだな」
ハヤテのかけた言葉に、薫は微かに目を潤ませながら、小さく頷いた。
そんな薫の姿を見ながら、ハヤテは寂しげな微笑みを浮かべる。
そして、懐に手を入れると、何かを取り出し、薫に差し出した。
「――これ、返すよ」
「ッ! おい――これは……!」
差し出されたものを見た薫は、驚愕で目を見開く。
ハヤテの掌に乗せられていたのは、
「ひ……“光る板”じゃねえか!」
「ああ……」
薫の言葉にコクンと頷いたハヤテは、仄かに輝く“光る板”に目を落とした。
「これは……二度とZ2になれないように、俺が健一から取り上げたZ2バックル――だった“光る板”だ」
「健一の……」
薫は呆然として、ハヤテの掌の上の“光る板”を凝視する。
それから目を上げ、ハヤテを怪訝な目で見ながら尋ねた。
「でも……何で……?」
「これはいわば、健一の形見だろ? だったら、お前が持っているべきだ」
「……」
「親友を失ったお前の気持ち……俺には良く分かるんだ」
戸惑いの表情を浮かべる薫に優しい眼差しを向けながら、ハヤテは静かに言葉を継ぐ。
「……俺にも、元の世界で親友が居てな。幼馴染だった」
ハヤテは、懐かしそうに目を細める。
「半分身内みたいな感じで、バカ言い合いながら、ずっと一緒だった。……でも、十二年前の夏の日に、そいつが事故に遭ったんだ」
「……死んだのか?」
「……いや」
恐る恐る訊く薫に、ハヤテは小さく首を横に振った。だが、その表情は暗い。
「すぐに病院に搬送されて、なんとか命は取りとめたけど、意識は戻らなかった。それから十二年間ずっと、昏睡状態のままで病院のベッドに横たわってる……」
「……そうか。……その、すまねえ」
「いいさ。俺にとっちゃ、死んだのとあまり変わらないからな……」
そう答えて、寂しげな微笑を浮かべながら首を横に振ったハヤテは、もう一度“光る板”を薫に向けて差し出した。
「だから……、俺は今のお前の気持ちが良く理解できる――と思う。……だから、これはお前が持つ方が相応しい。そう考えただけだよ」
「……」
しばらくの間、薫は無言で“光る板”を凝視していたが――小さく頭を振ると、伸ばされたハヤテの手を押し戻した。
「……薫?」
「いや……要らない。ソイツは、お前が持ってろ」
薫は、じっとハヤテの目を見据えながら、静かに言った。
「オレは、一枚持ってるからな。もう充分だ。……もう一枚の健一の形見は、お前が持ってろ……いや、持っていてほしい。――多分、健一もそれを望んでる。そんな気がする」
「……そうか」
薫の言葉に、ハヤテは小さく頷き、“光る板”を胸のポケットに仕舞う。
そして、再び薫の方に手を伸ばした。
「――そろそろ回復したか? 立てそうか?」
「ああ……」
ハヤテの声に頷き、薫も手を伸ばし――、
カッと目を見開いた。
「おいっ! お前、避け――!」
「ッ?」
彼の叫び声に、ハヤテが驚きの表情を浮かべた瞬間、
「――水牢」
彼の身体が、足元の地面から突如として噴き出した水柱によって包まれた――!




