第一章其の捌 当惑
戸口に立っていたのは、ガッシリとした体躯の影だった。
逆光で顔はハッキリと分からないが、そのオールバックに固めた頭髪は茶色に染めているようで、陽の光を反射してキラキラと光っていた。
当然だが、今の彼はツールズの装甲を、その身に纏ってはいない。その代わりに、ルーズにシャツを着こなし、ズボンを腰骨の下の位置まで下げて穿いている。――いわゆる、腰パンという穿き方だ。
いわば、典型的な“チーマー”や“マイルドヤンキー”などと呼ばれる若者の格好をした男は、大股でズカズカと小屋の中に上がると、大黒柱に縛りつけられたハヤテの前に立ち、柱に縛りつけられているハヤテを見下ろした。
自然、ハヤテは上を向き、男を仰ぎ見る形になる。
少しの間、ふたりの男は無言で睨み合った。
男は、厳つい表情を浮かべているが、まだ若い。二十歳前後……いや、下手をしたら高校生くらいの年ではないだろうか?
――と、ハヤテを見下ろしていた男は、ニヤリと薄笑みを浮かべた。
「よぉ、いいザマだな、兄ちゃん。オレが、昨日てめえをボコってやった装甲戦士ツールズの装着者――」
「……違う」
「――あ?」
自分の言葉を遮ったハヤテの呟きが耳に届き、男は不快そうに眉根に皺を寄せる。
「何が違うってんだよ、コラ」
「……違う。――お前じゃない」
腰を屈めながらハヤテの顔に自分の顔を近づけ、メンチを切ってくる男を前にして、ハヤテは大きく頭を振った。
「お前は、ツールズじゃない。ツールズの装着者は、ラセン――穴山螺旋という建築士の青年だ。お前のような、ヤンキーのなり損ないなんかじゃ――グッ!」
「誰が、なんちゃってヤンキーだ、ゴラァッ!」
激昂した男が、ハヤテの頬を拳で殴り飛ばした。
鉄臭い匂いが込み上がると同時に、粘りけのある温かい液体が項垂れたハヤテの鼻の穴からボタボタと音を立てて滴り落ちる。
男は、夥しい量の鼻血を流すハヤテの顔に唾を吐きかけると、背後を振り返り、戸口に向かって声を張り上げた。
「ほら! だからオレが言った通りだろ、オッサン! イカレてんだよ、コイツは!」
「だからと言って、乱暴はいけないよ、薫くん」
戸口からの落ち着いた渋い声が、男の荒げた声に応える。
「……!」
その声に、ハヤテも顔を上げ、戸口の方を見た。
聞き覚えがある声だ……。
――『ふたりとも、止めたまえ』
――『いかんな。すぐに頭に血が上って冷静さを喪うのは、君の悪い癖だぞ』
それは確かに――ツールズと戦っていた時、突然背後に現れ、彼を裸絞めで絞め落とした者のそれだった。
「……ジュエル」
――ツールズは、確かに彼をそう読んでいた。恐らく彼は、“魔石”の力を操り戦う、装甲戦士ジュエルで間違いない。
……だが、やはり――違う。
「――やあ、起きたかい? 初めまして。……まあ、厳密に言うと違うんだけど、面と向かい合うのは初めてだから、『初めまして』でいいね」
そう、穏やかな声で言いながら小屋の中に入ってきたのは、白髪交じりの豊かな頭髪を油で固め、薄く顎髭を生やした、どことなく気品を感じる中年の男だった。
彼は、ジャケットの胸ポケットから真っ白なハンカチを取り出し、ハヤテの鼻に当てた。
「……っ! 何を……」
「何って、鼻血を止めるんだよ。生憎と、この世界には“ティッシュペーパー”のような便利な物は無いのでね。ハンカチにて失礼するよ」
当惑するハヤテをよそに、中年男性は涼しい顔で彼の鼻にハンカチを押しつける。
そして、首だけ振り返ると、仏頂面で立つ若い男に言う。
「……だから、すぐにカッとして手を上げるのは、君の短所だと言っているじゃないか、薫くん。何せ彼は、この世界に堕ちてまだ間もないのだから、混乱していても無理はない――」
「……うるせぇ! いちいち説教すんな、クソオヤジが!」
「はいはい」
ふて腐れたように吐き捨てる若者に、オッサンと呼ばれた中年男性は苦笑いで応えた。
――と、
「――でも、本当に混乱しているだけなのかな、彼?」
第三の声が、唐突に山小屋の中に響いた。
いつの間に入ってきたのだろう? 小学校高学年くらいの少年が、囲炉裏の前に寝そべって、ボロボロになったマンガ雑誌のページを捲っている。
「……それは、どういう意味かな、健一くん?」
興味を抱いた様子で、中年男性は少年に尋ねたが、健一と呼ばれた少年は、マンガ雑誌のコマを追っていた目を上げて中年男性を睨みつけた。
「年上には敬語を使えって言ったよね? サトル……」
「あ……ああ、そうだったね――いや、そうでしたね。大変申し訳ございません、健一さん」
健一の冷たい視線を受けた中年男性は、肩を竦めてそう答えると、ニヒルな笑みを浮かべながら、大袈裟に頭を下げる。
それを見た健一は、不機嫌な顔をして「フン!」と鼻を鳴らすと、読んでいたマンガ雑誌を閉じ、ムクリと起き上がった。
と、
「な……?」
大黒柱から声が上がり、三人は声の源に顔を向ける。
鼻から流れた血の跡も痛々しいハヤテが、事情を呑み込めないといった顔で三人の事を順番に見回していた。
呆然とした顔をした彼は、喘ぐように呟く。
「な……何なんだ、一体? こ……ここはどこなんだ? それに――アンタ達もよく分からない! いや、それよりも……何で違うんだ、あんた達は――?」
ハヤテの激しく戸惑う様子に、三人は互いに目を合わせる。
そして、健一少年に“サトル”と呼ばれていた中年男性が、一歩前に出て、静かに言った。
「……無理もない。君は本当に、まだ堕ちてきたばかりのようだね。それに、記憶関係に深刻な障害を抱えてもいるようだ。……恐らく、“転移”される際に、心身の間にズレが発生してしまったのかもしれないな」
そして、手を伸ばしてハヤテの肩をポンと叩くと、優しい声で告げる。
「よろしい。ではこれから、話してあげよう。この世界についてと、我々について。――そして、我々に課せられた責務について――ね」




