第八章其の壱拾参 決断
掘っ立て小屋の明り取りの窓から、眩い日光が薄暗い部屋に射し込み、寝ていた若い男の顔面を直射した。
「……う――」
ぼろ布を毛布代わりにし、板敷きの床の上に直に横たわっていた男は、目は固く閉じたまま不機嫌そうに眉を顰め、呻き声にも上げた寝言を漏らす。
そして、顔面を照らす陽射しから逃れようと、ごろりと寝返りを打った。
『――ほらぁ、カオル! いつまで寝てるのさぁ? もう、すっかりお昼だよ』
「……うるせえ」
彼にかけられた、聞き慣れた少年の声に、目を閉じたまま返事をする薫。
だが、からかう様な調子の明るい声は、更に続く。
『やれやれ。いい歳の男がこんな時間までゴロゴロしちゃって、だらしないねぇ。そんなにダラダラしてたら、あっという間にジジイになっちゃうよー』
「――うるっせえなぁ! オレはまだ眠いんだよ! 耳元でブツブツ小言を言うんじゃねえよ! 小姑かテメーは! このク――」
『クソガキが!』と吐き捨てようとした薫の声が唐突に途切れた。
代わりに、ひゅうと息を呑む。
「――健一ッ?」
そう叫んで、薫は飛び起きた。
そして、驚愕と歓喜で瞳を輝かせながら、キョロキョロと周りを見回す。
「お――おい、健一! お前、どこに……? どこだ、オイ!」
彼は、大声で叫びながら、かけていた毛布を撥ね除け、立ち上がる。
ここ数日は満足に食事もとっていなかったせいで足元がふらついたが、そんな事には構わず、薫は健一の姿を探して小屋の中を見回しながら歩き始める。
「おい、健一! 出て来いよ! 隠れてないでよ!」
――だが、どんなに探しても、見慣れた少年の姿は見えず、呼びかけに応える声も聴こえなかった。
「健一! ……おい、聞こえてるんだろ? 早く……面出せよ!」
次第に表情を強張らせながら、彼は声を荒げる。
「おいコラ! クソガキ、いい加減にしろよ! もう、かくれんぼは終わりだって言ってんだろ! ……もういいから、出て来てくれよ……!」
僅かに声を震わせながら、薫は裸足のままで外に飛び出した。
明るい日の光が彼の目を射し、眩しさに思わず目を覆うが、それでも薫はただひたすらに健一の姿を探し求める。
「健一……どこだよ? 早く、出て来てくれ……よ……」
――そして、彼は見つけた。
健一の――墓を。
「……」
草木を伐採して作った広場の端にぽつんと盛り上がった土饅頭を見下ろし、薫は言葉を失う。
土饅頭には、墓石代わりの杭が立てられ、その前には名も知らぬ一輪の花と水の溜まった土器、そして、健一が好きだった古いマンガ雑誌が、ひっそりと供えられていた。
「……う」
薫は、健一の墓を凝視しながら、喉の奥で声にならない声を上げる。
「う……うぅう……」
そして、呆然とした表情で、その場でがくんと膝をついた。
「うぅ……け、健一ぃ……」
――思い出した。
数日前、自分と健一が、猫獣人どもの住む大きな街に攻め込もうとした事を。
それを、あの忌々しい装甲戦士テラ――焔良疾風に阻止された事。
……その結果、健一が命を失った事。
…………抱き上げた時に感じた、健一の身体の冷たさ。
……………………血の気の引いた、健一の死に顔――。
「う……うぅううううう~っ! うあああああああああぁぁぁぁっ!」
薫は、握り締めた拳を草の生えた地面に激しく打ちつけながら、慟哭の叫びを上げた。
「ち……畜生……! 畜生! 畜生! 畜生ッ! な……何でだよっ! 何で……何で、こんな事になっちまったんだよッ! 畜生――ッ!」
彼は、両目から大粒の涙を流しながら、半狂乱で地面に両拳を叩き込み続ける。
――かれこれ、十分以上もそうしていただろうか。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
薫は、ようやく拳を振り上げるのを止めた。
「……痛え……」
生身の両拳は、酷い有様だった。
石混じりの地面に打ちつけ続けた拳の皮膚は、裂傷と擦り傷だらけで、その傷口には赤い血が滲んでいる。幸い、骨折までには到っていないようだが、指を動かそうとしただけで激しい痛みを感じた。
薫は、ギリリと歯噛みする。
「痛ェ、痛えぞクソがッ! ……全部、あのクソ野郎のせいだ! 畜生めッ!」
――分かってる。
これは、ただの八つ当たりだ。
薫の脳裏に浮かび上がる、蒼い狼の仮面をつけた装甲戦士と、今の彼の拳の痛みとは、何の関係もない。
(やっぱ、全てアイツのせい――)
そう考えて、この憤怒に理屈をつけようとする薫だったが――、
(……そうじゃ、ないだろう?)
不意に心に浮かんできた疑いの声に、その目論見は砕かれる。
(……もう、お前も解っているはずだろう? 何で、そこから目を背けるんだよ?)
その声は、薫自身の声色で、薫の心の中から呼びかけてくる。
薫は、心の中から沸いてくる声に対して、小さく頭を振った。
「……解ってるって何だよ? お……オレは、何にも分かんねえよ」
(嘘をつくんじゃねえ。察しはついているはずだ)
「……知らねえよ」
(――そうやって、知らないフリをし続けて、本当の事から目を背けるのか?)
「知らねえっつってんだよ!」
(そして、アイツを……テラを仇に仕立て上げて、アイツの命を絶つ事で健一の復讐を果たせると思ってんのか? ――本当は、全部解っているクセによ)
「うるせえっつってんだよ! ……そ、それが一番いいじゃねえかよ! アイツがオレ達の邪魔をした事は確かだし、お……オッサンも、アイツが健一を殺したって言ってたし!」
(……そうか)
空を振り仰いで叫んだ薫に、心の中の薫の声は、静かに答える。
『……じゃあ』
――そして、別の声が、薫の耳を確かに打った。……目の前の土饅頭の中から聴こえてきた声が。
「――ッ!」
『じゃあ……それでいいよ。カオルが、それでいいって言うなら、ボクは――』
「け――」
その声を聴いた瞬間、薫は大きく目を剥いて、血を吐く様な声で絶叫する。
「健一ィ――ッ!」
…………。
……だが、彼の呼びかけに、もう誰も答えてくれなかった。
「ぁ……」
呆然とする薫のこけた頬を、一陣の風が撫でていく。
「……」
彼は、無意識にズボンのポケットに手を突っ込んでいた。
そして取り出したのは――一枚の“光る板”だった。
「……健一」
薫は、擦れた声で呟くと、健一の形見である“光る板”の滑らかな表面を、指先でそっと撫でた。
そして、不思議と冷めた頭の中で、思索を巡らせる。
(……オッサンは、今、オリジンのところに行っている。帰ってくるのは……早くても三日後くらいか。――それまで、オレはここでひとり留守番……)
(……ひとり)
(ひとりだから……今のオレは、誰にも行動を縛られない……オッサンにも……)
「――よし」
薫は、やにわに表情を引き締めると、小さく頷いた。
そして、目の前の土饅頭を見ると、優しい声色で話しかける。
「……決めたぜ、健一。――オレ、ちょっと出かけてくるわ。……真実を知る為に」
そして、力無い微笑みを浮かべ、手に持った“光る板”を、墓の下の健一に見せるように掲げた。
「――こいつは借りていくぜ。……もし気が向いたら、こいつでオレの事を守ってくれや」
――そう呟く薫の頬を、一筋の涙が滴り落ちる。
「――頼むぜ……相棒」




