第八章其の壱拾壱 正悪
「そ……そんな……っ!」
牛島の話が終わり、愕然とした声を上げたのは、オリジンではなく――戸口に立つ天音だった。
彼女は、思わず両手で自分のブラウスの襟を固く握り締めると、その場にへたり込む。
「う……ウソでしょ? ガジェットにシーフに……健一くんまで……? あ……装甲戦士が三人も亡くなった……って言うの、あなたは……?」
「……ああ」
「嘘ッ!」
自分の問いかけに、沈痛な表情で応えた牛島に、天音は鋭い言葉をぶつけた。
「ほ……他の二人はともかく……健一くんは、まだ小学生だったのよ! あんな小さい子が、こんな……こんな世界で……死んじゃうなんて……嘘よ……!」
「ああ……嘘だったら、どんなにいい事か――」
両手で顔を覆って、嗚咽を漏らし始める天音に向けて、沈痛な表情を顔に貼りつけた牛島は頷き、そして言葉を継ぐ。
「……だが、これは厳然たる事実だ。残念だが、受け入れるしかない――」
「誰ッ? その……健一くんたちを殺したっていう装甲戦士は……!」
牛島の言葉を、激しい怒気を含んだ天音の声が遮った。
そんな彼女の問いかけに、僅かに憂いの表情を浮かべながら、牛島は淡々と答える。
「……全部が彼って訳じゃない。ガジェットは、この世界に住む猫獣人たちの兵に討ち取られた。運が悪い事に、膝の装甲の隙間に矢を受けてしまい、満足に動けなかったようだ。――いかに装甲戦士といえども、ああも多数の兵に一斉に斬りかかられては、さすがに分が悪いよ」
「ほう……、この世界の猫たちは、集団戦法も取れるのか」
牛島の説明に、感嘆混じりの声を上げたのは、板の間で胡坐をかいて座っているオリジンだった。
「……何となく、猫は群れずに一匹で狩りを行うというイメージで、今まで戦ってきた猫獣人たちもてんでバラバラに挑んでくる者ばかりだったのだがな。――この世界の彼らは、既に力を合わせて戦うという知性を獲得している訳か」
「オリジン……あの猫どもは、地球での愛玩動物のイメージよりは、むしろ狡猾な人類に近しい者として認識する必要があると思いますよ」
牛島は皮肉気な笑いを浮かべ、言葉を続ける。
「彼らは、剣や槍はもちろん、地球の馬によく似た動物を駆り、弓矢や弩をも獲得しています。……奇妙なほどに中世ヨーロッパの兵装備と兵制に酷似しているのは、単なる偶然なのか、進化の必然なのか……それとも、他の理由によるものなのかは、私も分かりませんがね」
「……そうなのか」
牛島の言葉に、オリジンは感心したように頷いた。
――と、その時、
「そ……そんな事なんか、どうでもいいわよ! 他の二人は……どうして……」
「……手を下したのは、装甲戦士テラ。装甲の所持者は、焔良疾風という二十代の若者……と呼ぶには、もうだいぶトウが立ってしまっているような、冴えない顔つきの男さ」
「……ホムラ……ハヤテ……ホムラハヤテ……ホムラ、ハヤテ……」
天音は、眼鏡の奥の目を狂的に光らせながら、その名を何度も呼ぶ。まるで、脳の中に深く深く刻み込むように。
彼女のそんな様子を一瞥した牛島は、ほんの少しだけ口角を上げるが、オリジンや天音自身の目に触れる前に表情を戻した。
そして、まるで歴史の授業で年表を読み上げるかのように、淡々と事実を述べていく。
「シーフは、猫獣人たちの王が住む宮殿への潜入には成功したものの、すぐに発見されてしまい、偶然その場に居合わせたテラと戦い……負けたようだ」
「そして、その後に……健一くんを――!」
「……ああ、そうだよ」
牛島は、いかにも心を痛めていますといった体の顔をして、小さく頷いた。
「――健一くんは、シーフが潜入に失敗してから数日後に、薫くんと共に王都への正面突破を試みたんだが、猫獣人たちの味方気取りのテラに妨害され、激しく戦った果てに……」
「な――何なの? その、テラとかいう装甲戦士! 何で、私たちと同じオチビトなのに、猫獣人たちの味方をするのよ? その上、自分と同じ装甲戦士を二人も殺すなんて……!」
天音は、激しい怒りを抑えられぬ様子で叫ぶ。
それに対して、牛島は静かに頭を振り、肩を竦めてみせた。
「さあね……。生憎と私にも、彼が何を考えて猫獣人たちに肩入れし、同じオチビトである我々と敵対しようとしているのかは分からない。……もっとも、私が彼の為人に接したのは、彼を森の中で捕らえて我々のアジトまで連れて来てから逃げられるまでの僅かな間だけだがね」
「……ふむ」
牛島の言葉を聞いて、興味深げに声を上げたのは、オリジンだった。
彼は、腕組みをしながら、ポツリと呟く。
「……その彼と、一度会って話してみたいものだな」
「お――オリジンッ?」
彼の呟きに驚き、声を荒げたのは、天音だった。
「な……何を言っているんですかっ! 会って話す価値なんて無いですよ! その、テラとかいう男は、あたし達の仲間を、もうふたりも殺しているんですよ? ……しかも、年端もいかない健一くんまで、容赦なく――!」
「事実としては、確かにそうだ。――だが」
オリジンは、天音の言葉に頷きつつも、一言を加えた。
「……我々には我々の正義があると同時に、彼にも彼の正義があるはずだ。僕は、彼の正義が何に基づいているのかを知りたい。――それが、我々と決して相容れないものだったとしても、な」
「そ……そんな……ダメですよ!」
オリジンの言葉に、天音は激しく反発する。
「か、“彼の正義”? そんなの、ある訳無いじゃない! そいつ……テラは、ただの人殺しよ! 人殺しに、正義なんてある訳が無い!」
「……それは違うな、天音君」
「え……?」
静かな口調で天音を窘めるオリジン。
「人殺しにも、人殺しの正義があるのだよ。何故なら……人間とは、自分の中の正義か、己が信奉する者の正義の為にしか、行動を起こせない生き物だからだ」
「――ッ! じゃ、じゃあ……オリジンは、人殺しにも正義があるって言うんですかッ?」
「ああ、もちろん。――もっとも、その前に『その者の心の中にある』という但し書きが付くがな」
愕然とする天音に、オリジンは力強く頷きかける。
「……そもそも、『絶対的な悪』なんてものは存在しないと、僕は考えている。何故なら、“悪”という概念自体が、絶対的なものではなく、彼我の“正義”というものの認識のずれによって生じる、相対的なものだと考えているからだ」
「そ……相対的……?」
「なるほどね……」
オリジンの言葉の意味が解らず、戸惑いの表情を浮かべる天音とは対照的に、牛島は顎を指で撫でながら小さく頷いた。
「……要するに、オリジン。貴方が言いたいのは、『自分から見て“悪”に見える物は、他者の抱く“自分とは相容れない正義”に過ぎない』――だという事ですね」
「ああ」
牛島の言葉に同意の声を上げたオリジンは、まだ納得できない様子の天音の方を見て、諭すように言う。
「天音君――我々人間が戦い争う状況を、“正義対悪”だと見なす考えは正しく、そして危険なのだ」
「え……? ど、どういう……事……ですか?」
「――軽々しく相手を“悪”と断じてしまうのは、楽な事なのだ。それ以上、相手の考えや事情を理解する必要が無くなるし、己の行いに正当性を付与する事が出来る」
「……」
「――だが、それは楽だが、同時に危険でもある。何故なら、相手を理解する努力を怠る事で、自分が認識している相手の印象や主張が、本来のものと異なってしまうリスクが生じるからだ」
「それで……対話が……」
「その通り」
天音の呟きに、オリジンは大きく頷いた。
「彼を“悪”と断じるのは、まだ早い。僕は、そう考える。彼と直接対面し、その為人を可能な限り理解し、彼との妥協点を見つけられるのであれば、共に道を進んでいきたい――そう思う」
「……で、でも!」
オリジンの言い分に心を揺らがされるのを感じながらも、天音は首を激しく横に振った。
「でも! 彼が、シーフと健一くんを殺したのは変わらないじゃない! あたしは……ふたりを殺した奴と一緒の道を歩くなんて、絶対に嫌です!」
「そう考える、君の中の“正義”もまた、正しい。……だが、それは、彼――装甲戦士テラの行った“正義”にも当てはまり得るかもしれない――僕が言いたいのは、そういう事だ」
「――ッ!」
オリジンの言葉に、返す言葉を失う天音。
――と、その時、
「……ちょっといいですか、オリジン?」
軽く手を上げて、牛島が会話に割り込んできた。
オリジンが小さく頷くのを見て、彼は静かに言葉を継ぐ。
「では、もし――そこまで彼を観察し、議論を交わし、為人を見極めた結果、彼が我々と相容れない正義をもつ者だと解ったら……貴方は、どうするのですか?」
「――そんな事、言うまでもない!」
牛島の問いかけに、オリジンは声の調子を上げ、固く握った右拳を、左掌に叩きつけた。
手甲の間で生じた蒼い火花が薄暗い小屋の中を一瞬だけ明るく照らし出し、硬い金属がぶつかり合った甲高い音が狭い小屋の空気を激しく震わせる。
オリジンは、その鬼面の赤い眼をギラリと光らせながら、断固として言い切った。
「もし、テラの中の“正義”が、僕の“正義”と相容れぬものだったならば――僕の全力を以て、彼の命を潰し切る。――彼の中にある“正義”という名の“悪”ごと、な」




