第八章其の捌 再訪
鬱蒼と生い茂った木々が密集し、猫獣人たちが“エフタトスの大森林”と呼ぶ巨大な樹海の中に、その集落はあった。
木々を切り開いて作った広いスペースに、掘っ立て小屋に毛の生えたような十数棟の小屋が立ち並んでいる。
小屋と小屋との間には、青い葉を広げた植物が綺麗に並んで生えている、小さな畑があった。
畑の中の一つ――その畝の間に屈んで何やら作業をしているのは、粗末な野良着に身を包んだひとりの中年――それも、人間の男。
彼は、腰をくの字に折って丹念に土をほじくったり、不格好な形の桶に溜めた水を手製の柄杓で掬って植物にかけたり、植物の葉を手に取って、その表面をしげしげと観察したりしていたが、やがて立ち上がって腰を伸ばすと、その日焼けした顔を曇らせる。
「ふう……ダメだな。この生育じゃ……」
フルフルと首を横に振って独り言ちた彼は、足元に置いていた桶を持ち上げ、引き上げようと踵を返した。
と――その時、
「やあ、青木くん。相変わらず、畑仕事に精が出るね」
「……ッ!」
唐突に声をかけられた男は、ギョッとした様子で顔を上げる。
そして、音もなく目の前に立っていた男の姿を見るや、その顔を激しく引き攣らせた。
「う……牛島……さん……!」
狼狽え気味に声を上げた男は、咄嗟に腰へ手を回す。
一方、
「はは、久しぶりだね、青木くん」
と、彼――青木修太に向けてにこやかに微笑みかけた牛島聡は、腰に提げた装甲アイテムをまさぐる彼の手を指さした。
「――ああ、装甲アイテムは必要ないだろう?」
「……!」
「いやだなぁ。そんなに殺気立たなくてもいいだろうに。まるで、敵に出くわしたかのような警戒っぷりじゃないか。――私たちがここを出て行ったのは確かだけど、だからといって、別に君たちと袂を分かった訳ではないよ」
「……フン! どうだかな」
青木は、穏やかな笑みを浮かべている牛島を油断なく見据えながら、吐き捨てるように答える。腰のに伸ばした手はそのままで、いつでも装甲アイテムを使って臨戦態勢に移行できるように備えていた。
「牛島さん……アンタ、どの面下げて、ここに戻って来た? あんな抜け方をしておきながら、おれ達がアンタらの事を簡単に許すとでも思っているんか?」
「ふ……。許す? 何をだい?」
「何……?」
自分の言葉を鼻で嗤い飛ばされた青木の表情が、一層険しくなる。
牛島は、敵意を剥き出しにする青木を前にしながらも一向に気にせぬ様子だ。
それどころか、まるで挑発するように肩を竦めてみせ、口の端を歪めながら答えた。
「私たちは別に、君たちに対して許しを請わなければならない事をした覚えは無いよ。私たちの行動は、我々オチビトの発展の為には必要な事だった。それは、紛れもない事実だ」
「ッ! 牛島ァ!」
牛島の白々しい言葉に、青木は激昂し、声を荒げる。
「……なら! ここを脱走した時に、お前らを追っていた秀人と貴之――ウォッチとシュールはどうしたって言うんだ! ふたりは、あれっきり消息が途絶えてしまってるんだぞ! 絶対に、追われている事に気付いたお前が――」
「私たちが、ふたりを返り討ちにしたとでも言うのかい?」
牛島は、青木の怒声に嘲笑を以て返した。青木はその冷たい薄笑みに背筋を寒くさせたが、それでも大きく頷きながら、更に声を張り上げる。
「そ……そうだ! そうに決まっている!」
「生憎だが、あの時、私たちは彼らとは接触していないよ。――そうか、行方不明なのか。……それは、残念な事だね」
「て……てめえ! 白々しいウソを――!」
「じゃあ、証拠はあるのかい? 私が、追ってきた彼らを殺したという証拠が」
「う――!」
牛島の問いかけに、青木は思わず口ごもった。
そんな彼に冷たい笑みを向けながら、牛島は淡々と言葉を続ける。
「――無いだろう? 第一、今の君の口ぶりから察するに、ふたりの生死すら不明のようじゃないか? それなのに、私が彼らを殺したと決めつけるのは、些か暴論に過ぎるのではないかな?」
「ぐ、ぐう……」
「……確かに、これだけの時間が経過したのに、ふたりが全く姿を現さないという事であれば、もう既に死んでいると考えるのが妥当だよ。――だからといって、その原因として考えられるものは、他に幾らでもあるじゃないか」
そう言うと、牛島はフンと鼻を鳴らした。
「ここに籠もって、畑仕事のおままごとをしている君には分からないかもしれないが、この森には、様々な生物が生息しているんだよ。――まるで物語の中のドラゴンのような姿をした狂暴な奴もいるし、人類と同程度の知能を持ち、こちらに対して強い敵対心を抱いている猫獣人たちもいる。ふたりが、そんな凶悪な生物に襲われたと考える方が、私が殺したと考えるよりもずっと現実的だとは思わないかい?」
「う……うるさいっ!」
青木は、牛島の言葉に激しく頭を振ると、腰の装甲アイテムを引き抜く。
「も……もう、あの時の様には騙されねえぞ! もう二度と、おめえの言う事は信じねえ!」
「……抜いたね?」
装甲アイテムを構える青木に、牛島は低い声で言った。そして、左手をゆっくりと上げて上衣の袖を捲り、手首に嵌めたジュエルブレスを露わにする。
そして、冷たい光を湛えた瞳で青木を見据えながら、手品のような手つきで右手の指を伸ばす。――するといつの間にか、指の間に蒼い魔石が挟み込まれていた。
「――君から仕掛けてきたという事は、私にとって、これは正当防衛だ。遠慮なくやらせてもらうよ」
「……ッ!」
牛島の放つの圧に圧倒される青木。だが、彼は歯を食いしばると、無言のままで手にした棒状の装甲アイテムを固く握りしめる。
「……」
「……」
対峙するふたりの間の空気が、湖面に張った薄氷の様に張り詰めた。
「ウェアラブ――」
「魔そ――」
「――そこまでよ、ふたりとも!」
ふたりが、正に装甲を纏おうとした刹那、凛とした高い声が辺りに響き渡った。
強い制止の声に、ふたりの動きがピタリと止まる。
「――ッ!」
「……!」
そして、同時に声のした方に首を廻らせた。
――いつの間にか、そこには十数人の人間たちが立っている。その手には、各々の装甲アイテムが握られ、すぐにでも装甲戦士へ姿を変えられるよう身構えていた。
その先頭に立つ小柄な人影が一歩前に出て、牛島を睨みつける。
「今すぐ、その腕を下ろしなさい、牛島聡! さもないと、この村のオチビト全員を敵に回す事になるわよ?」
「……やれやれ。最初に喧嘩を吹っ掛けられたのは、私の方なんだけどね」
牛島は、居丈高に命じる人影に苦笑いを向けると、大人しく左腕を下ろす。
そして、黒縁眼鏡の奥の目を敵意でぎらつかせている、長い黒髪をおさげにした小柄な少女に声をかけた。
「やあ、久しぶりだね。元気だったかい? 天音ちゃん」




