第一章其の漆 正義
――深夜のコンビニのバックヤード。
「だからさぁ」
火を点けた煙草を吹かしながら、髪の薄い店長は、自分の目の前で俯いて立っている若い男に向け、うんざり顔で言った。
「お前の言う事は分かるよ。常連でもないお客さんに『いつもの』って言われても、おれ達には分からないっていうのも。煙草吸わないお前らに言わせりゃ、ワイルドセブンが、ソフトやらライトやらエクストラライトやらと種類が多すぎて、パッケージを見てもてんで区別がつかないっていうのも。それで間違ったモンを出して、怒鳴りつけられたのが理不尽で納得いかないっていうのも、な」
「……だったら」
「だが、な」
意想外に理解のある言葉をかけられ、男は顔を輝かせるが、その表情は店長の険しい言葉によってすぐに打ち消される。
「だからって、それをド直球にお客さんに言って、わざわざコトを荒立てる事ぁねえだろうが。……しかも、やらかしたのはお前じゃないんだろう?」
「……まあ、はい」
店長の言葉に、男は憮然とした表情で頷いた。
「確かに、直接あの客に対応してたのは、俺じゃなくてグエンくんですけど……。だからって、あそこまで酷い事を言われている彼を放っとく訳にもいかないですし――」
「だからって、客が吹っ掛けてきたクレームを代わりに買って、更に炎上させても構わねえって言うのか、お前は!」
「――『炎上させた』って……そんなつもりはありませんでしたが……でも!」
「でももヘチマも無えよ!」
店長は、顔を紅潮させて言い返そうとした男の言葉を怒声で抑え込んだ。怒号を浴びせられた男は、思わず身を縮こまらせる。
威嚇するかのように眼と歯を剥き出した店長は、口角泡を飛ばしながら、怯む男をなおも怒鳴りつけた。
「いいか! あんなクソ客なんか、まともに相手なんかしなくて良いんだよ! あいつらは、単なる憂さ晴らしでおれ達に絡んできてるだけなんだから。適当に頭下げてご機嫌取っとけば、その内飽きて帰っちまうんだからよ!」
「――っ」
「それを、いちいち向こうの神経逆撫でする様な事を言って、本格的にブチ切れさせてどうするんだよ!」
「で――ですが!」
男は顔を上げて、上ずった声を上げる。
「あの客……お客様が言ってた事は明らかに常識から外れてて、タダの我が儘にしか聞こえませんでしたし……。難癖をつけられたグエンくんが今にも泣きそうになっているのに、全然容赦しないで酷い言葉を浴びせ続けてたから、自分が代わりに――」
「だから、言わせときゃ良いんだよ、そんなモンは!」
男の言葉を再び怒声で遮り、店長は忌々しげに煙草を吹かした。そして、溜息と一緒に紫煙を吐きながら、呆れ声で言う。
「――あんまり手に負えないようだったら、さっさと警察でも呼んでお持ち帰りしてもらえば良いだけの話だろうが。それを、わざわざ正面から受けて立って、事態を悪化させるだけさせて! ケツ拭かされるおれの身にもなれってんだよ! ……全く、お前は正義の味方か何かかよ!」
「……せ」
「――あ?」
顔を俯かせた男の口から、ボソリと声が漏れたのを、店長の耳は聞き逃さず、彼は訝しげな表情で聞き返すと、男は潤んだ目を吊り上げながら叫んだ。
「せ――正義の味方で、何が悪いんですかッ! 俺は……あんな理不尽を見て見ぬフリをする事なんて絶対に出来ない! だから――!」
「……はぁ~」
毅然とした態度で言い放った男を心底呆れたというような眼で一瞥すると、店長は大きな息を吐く。
そして、手の甲を男に向けて、犬でも追い払うかのように振ってみせた。
「……もういいわ。仁科さん、今日は上がって……いや、もう来なくていいや」
「え……?」
店長の言葉に、男――仁科は呆然として目を見開いた。
一方、彼に解雇を言い渡した店長は、灰皿に煙草を押しつけると、薄い頭をボリボリ掻きながらバックヤードから出ていこうとする。
仁科は、思わず店長の背に手を伸ばした。
「ちょ……ちょっと待って下さいよ、店長! な……何で俺がクビなんですか! 俺は、間違った事はしていな――」
「ああ、そうだな」
振り向いた店長は、自分に向かって伸ばされた仁科の手を忌々しげに振り払い、冷たい目を彼に向ける。
そして、冷たい響きの籠もった声で言った。
「お前さんがやった事は間違っちゃいないわな、確かに。――だが、それが正しいとは限らないんだよ、この社会ではな」
「そ……そんな」
「……確か、お前さん、もう二十七・八くらいだろ? いい加減、割り切って生きる事を覚えないと、この先の人生、辛いだけだぞ」
「……」
「じゃあな。……あ、制服はクリーニングして、後日返しにきてくれ」
そう冷たく言い捨てると、店長は彼に背を向け、片手を挙げてヒラヒラさせた。
「――お疲れさん、仁科勝悟さん。ここじゃないところで、せいぜい頑張れよ」
◆ ◆ ◆ ◆
――それは、何処かで見たような夢だった。
(いや……夢なのか?)
半覚醒の曖昧な意識の中で、ハヤテは妙な気分を抱えたまま、自問自答する。
今見ていた“夢”は、夢と言うにはやけにハッキリとしていた。……そう、脳内で作り上げられたものでは無く、実際に体験した“記憶”のような……。
(あの店長の顔……確かに見覚えがある――気がする)
――だが、あのバックヤードでクビを宣告されていた男は、焔良疾風ではなく、仁科勝悟という名で呼ばれていた。
それに、年齢も違う。
……第一、自分はイラストレーターだ。あんなコンビニで働いていた事なんて――。
「――ぐっ……!」
不意に鈍い頭痛を覚えたハヤテは、呻き声を上げながら、重たい瞼を開けた。――そしてすぐに、全身の至る所から沸き起こった激痛に顔を顰める。
そして、自分の身体が荒縄で太い柱に縛りつけられている事にも気が付いた。
「な……何だ、これは? それに――ここは一体……?」
全身に開いた傷口からの灼けつくような痛みに耐えながら、彼は荒縄から抜け出ようと必死で身を捩るが、ハヤテの身体をきつく締め上げる荒縄は全く緩まない。
彼は、暫くの間苦闘していたが、それが無駄だと悟ると諦めて、大きく息を吐いた。
そして、首をグルリと廻らし、周囲を見回す。
「……山小屋……か?」
どうやらここは、木造の建物の中らしい。
薄暗い部屋の中には何も無く、一角には小さな囲炉裏が掘られていた。囲炉裏の薪に火は点けられていない。
ハヤテは部屋の中央に立つ一番太い柱――いわゆる大黒柱に、胡座をかいた状態で縛りつけられているようだ。
念の為にもう一度身体を捩らせてみるが、無駄だった。
「……ちっ」
彼は舌打ちすると、観念して天井を見上げる。
――と、その時、
「――お! ようやくお目覚めかよ、このクソ野郎!」
聞き覚えのある声が、ハヤテの耳朶を打った。
彼は表情を強張らせると、激痛に顔を顰めながら、首を声のした方に向ける。
すると、先程まで閉まっていたはずの扉が大きく開け放たれ、その前にひとりの人影が立っているのが見えた。
その顔は、扉の向こうから入ってくる陽の光が逆光になっているせいで、よく見えない。
――だが、その人を小馬鹿にしたような響きの声は、忘れようも無い。
ハヤテは、痛みと焦燥と恐怖で歯を食いしばりながら呟いた。
「お前……、装甲戦士ツールズか――!」




