霧の中
四
陽一は、書斎で酒の酔いを醒ましていた。夕食
を食べながら切り出した二人の大事な話と言うの
はやはり結婚の事であった。夫婦共だいたい察し
はついては居た。と、言うものの具体的に結婚の
二文字が出てくると少しだけ気遅れする感じは否
めなかった。二人の、今後を考えると正直素直に
喜べない自分達がいた。これが、一年前のまだ商
社に勤めている頃なら諸手を上げて万歳三唱した
いくらいだったが・・・
しかし、まあ二人とも親が反対して止められる
様な歳はとっくに過ぎている。が、やはり心配が
次から次にさざ波のように陽一の胸に押し寄せて
くるのだ。
「和彦、一人なら別にどうとでもなるが」
しかし、事はそんなに簡単ではないと思われる
のだ。何より、さやかさんが居るこれに子供が出
来たとかそう言う事態になればどうなるか結婚式
までに仕事が見つからなければ俺はどんな挨拶を
するんだ。
「えー、息子の和彦はただいま無職で実家に居候し
ていまして・・・」
だめだ、そんな事言える訳ない。それに、こん
な状況だとまず相手の親が反対するだろうし親ど
ころか親戚一同大反対だろう。
「まあ、反対されても結婚は出来るだろうが問題
はその後だ。結婚生活には、金がかかる」
最初は、良い二人とも熱に浮かされている様な
ものだから問題はその熱が冷めた時だ。結婚式、
新婚旅行もそうだ二人が住む家はどうするんだ。
結構、金が掛かるぞ二人ともいい歳の大人なのだ
から貯金はあると思うけど、それもいつかは底を
つく金の切れ目が縁の切れ目そこで二人は決定的
な破局を迎える。などと、エンドロールの様に、
らちも開かないことを考えていたら彼女を送って
行った和彦が戻ってきた。そして、書斎のドアを
ノックする音が聞えた。
「親父、入るよ」
そう言って、和彦が入って来た。その手に、缶
ビールを二缶持ってそれから約一時間くらい和彦
は話をしたがそれはにわかには信じがたい話だっ
た。なぜ、和彦が缶ビールを持って来たのかそこ
で初めて解った。酒でも、呑みながらじゃないと
とても聞けない話だったからだ。和彦の、話は商
社にいた頃の海外出張から始まった。その時は、
牛だか馬だかの飼料用のトウモロコシの買い付け
でアメリカ中を飛び回っていたらしいのだ。
当然、顧客である農家だとか買い付けに関係する
業者だとかをもてなすパーティも結構な数を開い
て居たがその中の一人と懇意になり友人になった
アメリカ人がいてその友人が本業とは別にその当
時はやり始めていたネットビジネスとかをしてい
たらしい。その時に、その友人から強く勧められ
てある物を買ったらしいのだが・・・
「それがさ、仮想通貨」
和彦が、缶ビールを一口飲んでにやりとして言
った。
「仮想通貨?何だそれ」
「仮想通貨、正式には暗号通貨というんだけど簡
単に言うと、ネット上だけで取引される通貨の事
だよ」
「???」
陽一は、それこそ狐に化かされたような顔をし
て和彦を見ていた。
「それは、つまり株とか投資みたいなその類の話
なのか」
「うーん、ちょっと違う感じだね。まあ、似て非
なるものって事かな」
和彦は、陽一にどう説明したら解ってもらえる
か少し困った顔をしてビールをもう一口飲んだ。
「おいおい、それは違うだろ困った顔をするのは
こっちだよ!」
陽一は、心の中でそう叫んでいた。息子が訳の
解らない事を言いだして、ついに頭がおかしくな
ったかみたいな気持ちになって居るのにどうした
ら良いんだよてな感じで困り果てた顔をするのは
こっちだろう。
「いいや回りくどい説明より簡単に言うと、実は
ね大金持ち何だよ俺は普通に億万長者」
陽一は、呆気に取られるを通り越して茫然とし
ていた。書斎の、窓からおぼろにかすんだ月が見
えていた。陽一の心はもやのような霧の中に包ま
れて失望と絶望感に覆われてしまった。
「和彦・・・」