ウソの飢え
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と、内容についての記録の一編。
あなたもともに、この場に居合わせて、耳を傾けているかのように読んでいただければ、幸いである。
こーちゃんはさ、本当の気持ちを知りたいと思ったこと、どれくらいある?
本当のことって、言い換えると自分にしか分からないことを指すのだと、僕は思い始めた。
他人のやることなすこと、本当だっていう証拠は、どこにもないじゃない。誰かに強要されて表に出てしまったのかもしれない。でも、その区別ができる機会は多くない。
結局、自分が信じたいように信じるだけじゃんか。その人の日頃の行いに、兆しや布石が見受けられれば、勝手に論理だてて納得する。
納得がいかないぶっとび具合だったら「魔が差した」とか、汎用性に富んだ言葉で、疑問を拭おうと試みるはず。
普段は接点を持たず、メディアを通して、その人に初めて触れる場合は、開示された情報がすべてだ。知らないことは、この世に存在しないことと同義だからね。
「本当」の世界っていうのは、自分が知っている範囲にしかないんだろう。ただひとり、「ウソ」であることさえ承知しているというレベルの、認識の範囲でもさ。
そんな「本当」と「ウソ」をめぐるお話、聞いてみないかい?
戦国時代のこと。
その女の子は、幼い時に戦で父親を亡くし、母親と二人で暮らしていた。それがある日突然、母親が倒れて、息を引き取ってしまったんだ。
葬式は、村の者たちが中心になって行われる。それが済んだ後も、彼女は泣き明かす日々を過ごした。
何日が経っただろうか。
ある日の明け方。早起きして仕事をしていた者たちは、彼女が家から出てくるのを見た。ふらふらとおぼつかない足取りであぜ道を歩む彼女は、はだしのまま。山の方角へと向かっていく。
何人かが彼女の前に立ちふさがり、その真意を問いただそうとした。けれど彼女は答えず、うつむいたまま彼らの間をすり抜けようとする。なおも止めようとした者は、急に駆け出した彼女の勢いに弾き飛ばされてしまった。
誰も差を詰めることができないまま、山のすそ野を覆う木立の中へ混じり、見えなくなってしまう。
――頼りにしている肉親を失ったんだ。世を儚み、自害を試みるのかもしれない。それを安易に「生きろ」と無理強いするわけには。
当時、己の命を絶つことは、相応の敬意さえ払われる行いでもあった。
彼女が選んだならばと、村人たちはあえて深く追及はしなかったらしい。
それでも空っぽになっている間の彼女の家は、近所の女房たちの手により、定期的に整えられていた。
彼女が山へ消えてから、ひと月あまりが過ぎる。
その間も一度、戦が起こって村の男たちが徴兵されていった。重軽傷を負った者はあれど、どうにか犠牲者は出ずに、家族の下へ戻ってこられたんだ。
その直後、彼女が山から戻って来た。
それはいなくなった時と同じ、夜が明けて間もない時間帯だった。
仕事をしていた者が、とぼとぼとあぜ道を歩く彼女の姿を見かける。長い髪には、何本もの木の枝が絡まり、身につけている服はボロボロ。裸の上から穴だらけの袈裟を一枚だけ身につけたような、あられもない姿だったという。
気づいた女たちは、あり合わせの布たちで彼女の体を包み、家へ連れていく。
けれども、女たちは彼女の手に、去る時には持っていなかったあるものが、握られているのを確認する。
一見、十字架かと思ったそうだ。
縦と横が等しい長さで十字に重ねられた、朽ちかけの木片の姿が見受けられたから。
けれども、十字架とは大きく違うのが、縦と横の交差点には、真新しい釘が打たれていると共に、新しく×字に木が組まれていた点。
十字が差す四方向に加えて、×字が差す斜めの四方向。それは時折、米屋が掲げる「米印」によく似た姿をしていたとか。
彼女はその「米十字」を固く握りしめ続けていたんだ。
家に戻ると、座った矢先に、自分の目の前へ「米十字」を掲げ、食い入るように見つめたまま動かず、口もきかなくなってしまう。
一日中、家に閉じこもり、米十字を掲げる彼女。心の痛みがまだ癒えていないのだろうと、村人たちはそっとしておくことに決めたそうだ。
だが翌日から、彼女はまた姿を消してしまう。今度は誰も目にしていなかった。
再び山に籠ってしまったかという危惧もあったが、数日後、彼女は戻ってくる。新しく着替えた服のところどころと、変わらずに握りしめている米十字を、黒ずんだシミに汚しながら。
見咎める人たちを無視し、彼女は自分の家へ戻ると、玄関の上がり口へ座り込んだ。
そしてあの米十字を目の前へ掲げながら、ぶつぶつとつぶやき始める。
「ご報告します。三日前は十里の道を歩み、その途上で八人殺しました。他、三匹の蚊、二匹の油虫を潰しました。二日前は八里の道を歩み、その途上で……」
彼女の口は、殺生した命の数を告げる。どれほどの道を歩み、何人を、何匹を屠ったのかを、淡々と述べていく。
細く青白い彼女の手足を知る人々は、とても誰かを殺められるとは思えなかったという。
ほとんどの人が、ウソと思った。
これは乱世を恨むと共に、現実に負けないために彼女自身が作り出した、偽りの申告。自己暗示だと。
虚偽をたしなめる者もいたけど、彼女は「ウソをつくなどもってのほか。本当のことを話しています」と答えて、ゆずらない。
以降も、たびたび彼女は、身体ひとつで村の外へと出ていった。そして何日かすると戻ってきて、あの殺しの申告をするんだ。
村人たちも薄気味悪く思い出し、彼女を気に掛ける者の数は減り始める。それでも彼女の家の様子をうかがう者たちは、ある変化に気がついた。
彼女が半月ほど、家を空けた時のことだ。
掃除をしようと、彼女の家に赴いた老婆が、彼女の家の引き戸を開けた時、上り口にこれまで見たことのない、赤く美しいラシャ布が広げられているのを見たんだ。
およそ農民の家には似つかわしくない品。
帰ってくる時の彼女は、このようなものを持ってはいなかった。何者かが家の中へ運び込んだに違いない。
けれども、誰が?
彼女に身よりはもういない。ましてや、このような珍しい品など、村どころか町に行っても、どれだけの者が持っているか。
大きな金を動かせる殿様、もしくはそのような立場を持つ者から、褒美として賜らないことには、とても……。
老婆は、はっとした。もしも、これが彼女に対する褒美なのだとしたら。
ふさわしい功はどこから出てきたか。それは、自分たちも知る、あの告白なのではないかと。
いまや大半の村人が鼻で笑い、妄想だと影で罵っている申告。
あれが本当に本当であり、それにふさわしい報酬として、このラシャ布が届けられた。そうは考えられないだろうか。
老婆の推測を裏付けるように、彼女が帰り、再び家を空ける時、家の中には南蛮渡来のものが増えていく。
ラシャ布は上り口にとどまらず、やがて彼女の家の床全体を覆うようになり、丸まった絨毯が、柱のように何本も立ち並ぶ。
明り採りの窓にはガラスが。そして室内には西洋で扱う、両手持ちの諸刃の剣まで抜き身で置かれるように。
それらに囲まれ、淡々と殺しの数を告げていく彼女は、ますます浮いた存在となっていた。そして、良からぬ考えを企む輩も現れるのも、また道理。
また彼女が家を留守にして、三日目。
彼女を快く思わない、二人組の男が家の中へ忍び込む。山ほどに増えた褒美から、「分け前」をいただき、ひそかに売り払うために。
ひとりは丸まった絨毯の一本。ひとりは両手持ちの西洋剣の一振りをそれぞれ持ち出そうとした。
剣を握った男は、その重さによろける。
「おい、大丈夫か。危なっかしいぞ」
絨毯を肩に乗せた男が、声をかける。
「へへっ、済まねえ。思った以上に重くてな。心配すんなよ、これでも俺は刀で5人斬ったことがあるんだぜ。南蛮の刀だって扱えるさ」
いつもの自慢話に、絨毯の男は「そりゃまた」と相槌を打ちかけたが、でかかった言葉を引っ込めざるを得なくなる。
鞘に入ったままの両手剣が、彼の手から滑り落ち、布の上に転がる。途端、彼の両ひじからダラダラと血が流れ出し、彼自身も痛みに膝を折ってしまう。
「――ウソだよね、それ」
はっと絨毯の男が顔を上げると、いつ帰って来たのか、玄関に彼女が立っていた。
「本当は戦うのが怖くて、逃げ続けていたくせに。それを良く見られたいからって、やってもいないことを、いけしゃあしゃあと。ウソはね、ついちゃいけないんだよ」
彼女はあの米十字を掲げて告げる。
「私の『本当』を食べ続けて、『ウソ』の味に飢えた者たちよ。お待ちかねのウソつきよ。存分に喰らいなさい」
その声と共に、床に広げたラシャ布たちは、ひとりでにたたまれ始めて彼を包み出す。もうひとりが持つ絨毯も、勝手に両腕の拘束から抜け出し、彼の包装に手を貸してしまう。
完全に包み込まれてもがく彼に、おのずから割れた窓のガラスと、残りの刀剣類が一斉に殺到する。
瞬く間に全身からとがったものを生やし、彼は動かなくなってしまった。そのふくらみkら、赤いラシャ布を更に濃く濡らすものが染み出してくる。
それを見届けると、彼女は部屋の隅で震える、絨毯を持ち出そうとした彼を一瞥。
「今やったこと、村のみんなに間違いなく伝えてね。ウソをついちゃダメだよ。お願いね」
彼女の家を飛び出た彼は、見たことすべてを村の人へ吹聴して回ったが、およそ信じてもらえなかった。むしろ、盗みに入ったことも包み隠さず話したため、たちまち非難の的に。
追放か村八分かという私刑を受け、彼は村から追い出される羽目になってしまった。
「あいつらだって、いつも妬ましく思っていたくせに、このような時だけ、よってたかって……」
荷物をまとめた彼は、村を去り、あてどなくさまよって、ある領内に流民として受け入れられたという。
彼は自分の来歴を尋ねられると、決まってこの話をした。ほとんどの者が作り話と笑ったが、そのたびに彼は「ウソはつけない」と締める。
しかし、彼の話を聞いた者が村の場所を訪ねても、そこには彼女はおろか、彼を知る人の一人もいなかった、という話だよ。