義手戦譚 Ⅰ
「……安くない?」
えも言われぬほど、神秘的に揺蕩う金の髪を持つ女が、唇を尖らせている。
凛とした眼つきに長い睫毛、高く筋の通った鼻、薄い唇、そして彫りの深い美貌を持つ彼女は、その利き腕を失くしていた。
その代わり、鉄や木材、鉱石、砂などの原料が複雑に絡み合った構成の義手が、右手の位置に収まっている。服は一般的な旅人とあまり変わりがない。ただ、腰に剣を携えているほか、胸当てや膝当ても装着している。
彼女の名はミラ。ごろつき共を打ち倒した報酬を、保安当局から受け取りにやって来た旅人兼賞金稼ぎである。
しかしどうやら、彼女は当局が提示する報酬の額に満足がいっていないようである。
ミラの目の前には、保安当局の局員が座っていた。白髪交じりの初老の男で、感情そのものを欠いたような顔つきをしていた。名をダンプといった。
「安くはない、けして高くもないがな。しかしそれが今の相場だ。気に入らないなら……」
ダンプはつまらなそうにそう言い、ミラの持つ袋に手をかけた。
「ちょっと!」
「受け取ってもらわなくても構わない」
「……」
ダンプを見据える。どうにもこいつは、ミラの気には食わない。
ノエン金貨35枚。ミラが報酬として手にした額の合計である。
ノエンとは、世界的に広く流通する通貨単位のことである。ノエン金貨は1枚あたりでおよそ50ノエンに相当し、生涯において人が必要とするのは15万から20万ノエンといわれている。一般的な職業……例えば、比較的治安の良い王宮城下町の守衛兵。槍と小型の盾こそ装備しているが、いざ戦闘になることは珍しい地域の「閑職」。その月給はノエン金貨20枚前後だ。3人から5人の家族を養うにはそれで充分。下着や普段着を除けば衣服や帷子、槍も盾も国から支給されるうえ、自身の食事に関しても所属する城から配給される。積立年金もある。彼らのような職種の人間は、その辺りの金回りを考える必要があまりなく、万が一職務中に負傷しても、ある程度までならば保険はおりる。それを考えれば、諸々のリスクの多いミラのような冒険者は、金貨35枚程度ではやや足りない、ということになる。
「……分かったわ。もし今後この地域一帯の治安が乱れたら、保安当局の所為ってことね」
捨て台詞と共に金貨袋を掴み取り、長椅子から立つ。
「……私はこの町を出て行く」
最後に忠告を残すことにした。しかしダンプは答えない。
「今のあなたたちは渋っているように見えるけど。でも、平和はタダじゃ買えないの。外部に兵力を頼る今の体制なら尚更、お金が必要になる。私みたいな人間を雇うときにはね。それが嫌なら、要員の拡充は怠るべきじゃない。どのみちお金が必要よ。誰かを守るっていうのはそういうことなの。お金で解決できるなら……まずは最優先でそうすべき。守るべき命に値段はつけられないのよ!」
ダンプは顔色ひとつ変えなかった。
「……よく考えておきな」
町の関所を出る。あの町は広い。人口も多く、有り体に言えば「栄えている」。あの町を訪れんとする者は多い。だから、交通の便は悪くなかった。ハブ状に交差する舗装畳路にはそれなりに身なりのいい人間のほか、数台の幌馬車も行き交っていた。
町に来たときとは違い、今のミラに贅沢はできない。
まず武器だ。剣の斬れ味を保つためにはこまめな手入れが欠かせない。それなりに大きな町であれば、ほぼ必ずといっていいほど金物屋や武器屋があるが、そこにいるのが真面目な鍛治職人とは限らない。場合によっては人づてに、腕の良い職人を探す必要がある。趣味半分でやっている人間のなかには、看板を掲げていない場合もあるからだ。ちなみに義手のほうのメンテナンスは人目につかないところで行う。野盗対策だ。
食糧は自力で採取・調理を行うのも手だが、やはり相応の時間がかかり、それに伴うリスクもまた看過できない。やはり面倒な手間暇は他人に任せ、自分でやることは経口摂取のみに留めたい。
武器をメンテナンスするのも食糧を補給するのも、全てにおいて金がモノを言うのだ。どんな場合にせよ、ミラはこの金貨35枚をどうにか当座の資金にせねばならない。心許ないのは確かだ。出来れば町にいる間に長距離移動を予定している貴族でも見つけて、その護衛で路銀を稼いでおきたかったところだが、生憎とこのあたりの治安は悪いわけではない。それでも強盗・魔獣・敵対勢力と、貴族サマの移動を邪魔する要因はごまんとあるが、だからといって貴族もそれらに対し無抵抗であるわけはないだろう。
早い話、今のミラは無職である。もともと旅人はそういうものだが、あらためて自覚してみるとあまり気のいいものではない。
街道を行く。天気はいい。移動だけなら何もないに越したことはないのだ。平穏な旅路を祈りつつ、ミラは舗装路をひた歩く。
だが、その消極的な祈りすらも、時には無情に否定される。
……ミラの前を行く、2頭立ての荷馬車の幌が突如、燃えた。火矢だ。布製の幌は瞬く間に炎上し、車を引く馬たちはパニックに陥る。燃える馬車からは人影が飛び出し、そのまま草叢へと飛び込んだ。
辺りにいた人間は幸い少なかった。彼らを避難させつつ、馬と車体を繋ぐ輓具を剣で切り落とす。馬は嘶きを残して逃げ出した。
「誰だ!」
剣を構え、矢が放たれた方角へ向けて吼える。
答えはない。幌と車体が燃え、火花が散るその音だけが、やたらと大きく響く。
と。
「!」
第二射。ミラの頭上を掠める。反射で、無意識の内に矢を叩き落とす。
「……」
地に落ちた鏃をちらと見やる。火はついていなかった。
詠唱。今は呟くだけでいい。義手を解く。ただ動かすだけなら微細な魔力しか必要としない。より精密な動作が必要なら、もっと長ったらしい文句でもって駆動させるのがセオリーだ。
義手がしなる。飛ぶ。矢の種類からすると、発射器は比較的小型の木弓。伏せ射ちでも馬車の幌には当てられるだろう。射程に見当をつける。この辺り、とミラが考察したとおりの地点に着弾した義手が、蠢くものを捉えた。
「う……ぐっ……!」
男のものと思しき悲鳴があがる。
さらなる詠唱を開始。金属、鉱石、石材、木材、砂、泥、陶器類、繊維……多種多様な素材。無論これだけに留まらず、現在となってはオーパーツの扱いをも受ける部品まで組み込んだ魔法の義手が、まるで意志を持っているかのように、男の身体を組み伏せた。
男に近付く。同時、義手を動かし男を吊るす。年若い、短髪の青年だった。
「尋問する」
怜悧な声。人に与えうる恐怖を音の形にすれば、きっと今のミラの口調になる。
「……誰の差し金だ」
青年は答えない。ミラは短く息を吐き、義手の一部を別展開させる。細く伸びた、触腕のような黒色の「一部」が、蛇のようにのたうち、青年の脚を捉え、折る。
「ぎゃああああああっ!」
断末魔のような悲鳴。ミラは不快感に顔を顰める。用を成さなくなった青年の右脚は、人間ではあり得ない方向へだらりと曲がっている。
「くそっ、こいつ、やりやがった、ちくしょうっ、なんで、なんで……おれの脚っ」
青年は喚く。いきなり脚をへし折られれば当然か。同情しないでもないが、少々喧しい。汗と泪で顔面を濡らし、唾の飛沫を飛ばしながら、青年は苦悶の呪詛を吐く。
「くそお、てめえ殺してやるっ、覚えてろ……くそぉっ」
剥かれた目玉を一瞥し、ミラは左脚に黒蛇を巻き付かせる。
「時間をかけたきゃ好きにしろ。私は私の好きにやるから。脚が大事なら早く答えろ」
そして、締める。
「わがっだ、もういい……答えゔっ……」
嗚咽とともに、青年は何度も頷いた。ミラはふ、と表情を緩め、青年を吊るしたままに
「賢明な判断ね。じゃあ……まず直属の上のことを聞か」
しかしミラは、それ以上の言葉を続けられなかった。
「……………がッ…………!」
左脇腹に激痛。射たれた、矢の飛来に気付けなかった!
重い発射器から射たれた筈だ。音はして然るべき……否、空気流を魔法で制御し、消音を施したか。いずれにせよ、ミラは後手に回った。重い鏃が四分の一程も、帷子を貫いて埋まっている!
「ぐあ…………」
意識が朦朧とする。ただの矢ではない。鏃に毒。それも壊毒と呼ばれる種類の、対生物専用の兵器だ。生体機能を破壊するためだけの毒、それを塗り込んだ矢を、消音で放つ。混濁する脳に活を入れ、ミラは状況を俯瞰する。ただし、限界は近い。義手の拘束は緩む。青年は地に落とされる。
「……よくもやってくれたな、クソアマぁ」
青年が凄んでみせる。が、片脚が折れているので地面に這う形となり、格好はつかない。
「クソがっ」
青年の拳が飛んだ。
既にミラは、身体を動かせるほどの体力をも喪失していた。
「クソクソクソ、クソがよ、おいなんとか言えよっ」
鈍い音を立てて、執拗に顔面が嬲られる。咳がしたい、いやいっそ吐瀉したい、しかしどこかで、今の自分を嘲笑う声がする……。
青年が何か、きっと聞くに耐えない罵詈雑言の類だろう、ミラにぶつけられるだけぶつけて去っていく、しかしミラは動けない、鉛のような肉体をひっきりなしに襲う激痛が一切の自由を奪い去る、気の遠くなるような艱難の果て、ミラは左の瞼をこじ開けることに成功し……青年も含めた幾人かの連中が、転移魔法を展開しているのが見えた。
奴らは去った。それが重要だった。その姿はやがて、光の渦に飲み込まれて消えた。壊毒を撃ち込んだミラを放置するつもりらしいが、それは下策といわざるを得ない。
「……」
ミラの眼に光が戻った。瀕死の状態ながらも、その左腕は確固たる意志のもとに動き始めている。
(……あった)
腰のポーチ。これには傷は付いていなかった。その中身を探る。固いものが指先に触れた。
トルモールの草、その茎。いわゆる毒消し草だ。その葉と茎には、幻覚を伴うほどの強烈な解毒成分が含まれている。軍事兵器として運用される壊毒に冒された者でさえ、この草を煎じた汁を口に含めば、たちどころに治癒するという代物だ。
それを、ミラは直接噛み砕いた。瞬間、脳がシェイクされ、眼前に無数の星が弾ける。かと思えば虹色がスパークし、三半規管がクラッシュする。ふらつく、などというレベルでは済まされない、まるで巨大なからくり仕掛けが出鱈目に撹拌しているかのような感覚!
……それが終わると、漸く正常時の調子が戻ってきた。視界の明滅が鎮静し、怒涛の勢いで毒が浄化されていく。トルモール草を直に食すと、常人は十中八九、長期間の発狂状態となる。それに耐えうるのは、常人の域を超越した精神力と自我の持ち主……一種の狂人のみである。
脳に血液が行き渡る。ミラはゆっくりと起き上がった。壊毒の影響はほぼなかった。壊毒が兵器扱いなら、トルモール草は国家資格持ちにしか所持・処方を許されていない劇薬だ。本来どちらもヒトに対して使用するものではない。
もう身体に異常は見当たらない。義手へ魔力を伝達させる。左、右。上、そして下。問題ない。快調に動いている。
立ち上がる。
「……おっ……とと」
やはり、少し立ち眩む。それも時間の問題だろう。
ぱんぱんと、服についた埃を払う。ふと口内の苦味に気付く。唾を溜めて吐き出す。
「うわっ」
唾というより血の塊だった。ここ数年でも稀に見るほどの吐血量。このぶんだと内臓の2個や3個は平気で潰れていただろう。身体に痛みはないにも拘らず、口元は赤い果実にむしゃぶりついたみたいなっている。ただ前傾姿勢だったのが幸いし、服に血はつかなかった。展開中の義手には少し飛んだ。
(……さて)
敵の気配はしない。よりにもよって壊毒なんぞ使いやがった連中へのしかるべき処置について考えつつ、ミラはふと思い出す。馬車が襲われたとき、そこから飛び出した人影がいなかったか?
「おーい」
彼ないしは彼女に、一応は危機が去ったことを伝えておきたかった。火は消えていたが、馬車は全焼。もう使い物にならないだろう。こんな不運に遭うのは可哀想と言わざるを得ない。ミラはもっと災難であったが。
「あなたは大丈夫?怪我はない?」
人影が飛び込んだあたりの草叢まで歩いていく。ひょこり、帽子を被った小さな頭が飛び出した。
「もう大丈夫ですかっ」
はきはきとした声。少女のそれだ。やや促音の多い発声は、ドワーフ族に特有のものだ。
「ええ。ちょっとミスったけど……安心して。あいつらはもういない」
ドワーフの少女が姿を見せた。小さな体躯に可愛らしい丸顔。身長はミラの3分の2にも満たない。
「……あの……助けていただいて、ありがとう、ございますっ」
少女がぺこりと頭を下げる。大したことはしてないのよ、と手を振るミラに、それでも少女は食い下がった。
「ご迷惑でなければ家に泊まっていってくださいなっ。あの街のはずれにあるんですっ」
元気の良い女の子だ。彼女の指差す先には、ミラが今しがた後にしたばかりの、あの街。
「……わかったわ。私はミラ。あなた、名前は?」
厚意を無にすることもできまい。ミラは少女の気持ちを素直に受け取ることにした。
ドワーフの少女は顔を輝かせ、今度はスカートの裾を摘んでお辞儀をした。
「ソニカっていいますっ。よろしくお願いしますっ」