序-その女、ミラ-
「だからこいつをどうしてくれんだよ?あぁ⁉︎」
ある繁華街、ある酒場兼食堂。ごった返す人の群れの中で、思わず身も竦むような怒声が響く。人々が思わず振り返った先には、熊のような身の丈の大男が2人つるんで、粗末な麻のエプロンに身を包んだ女性に迫っていた。
「そ……それは……」
顔を蒼くした女性は痩せていた。貧窮に耐えかねての地方からの出稼ぎ、といった風情だった。怯える彼女に、大男はさらに罵言を続ける。
「テメェの稼ぎじゃあ1年かかったってこいつは直せねえよぉ‼︎こいつはおれたちが南方で手に入れたガルボソ焼きの一点物だ、売れば数千ノエンは下らねえさ!それをこともあろうにこの女は‼︎」
大声で、それも説明口調で、周りに喧伝するかのように指差し、凄まじい剣幕で男ががなり立てる。その手には、男の弁を信じるならば『ガルボソ焼き』『一点物』のものと思しき茶色い破片が握られている。
「なぁどうする?おれたちゃこいつがねぇと明日の生活にも困っちまうんだぜ?」
「そうだなぁ。責任取ってもらうしかねぇ。でもまあ、おれらも鬼じゃねぇさ。借金取りみてぇなマネはしたくねぇ。ちゃああんとあんたがどうすりゃ良いのかってことは考えてる」
男たちは下卑た笑いを交わし合い、向き直ってエプロンの女性を睨みつける。
「ど、どうすれば……」
「決まってんだろ?」
男は片手指で輪を作り、その中にもう片手の人差し指を出し入れした。
「身体で払ってもらうんだよ」
にたり、と、男たちの顔面に醜悪な歪みが浮かぶ。
「……そ、そんな……!」
女性は怯えきっていた。そもそも、男たちは自称『ガルボソ焼き』の貴重な一点物を、テーブルの際に置いていたのである。昼間の混雑する大衆食堂で、身を捩って歩かなければいけないような状況下で、そんな場所に焼き物を置いていれば、身体が当たって落っことすのは目に見えている。
しかし人混みの中で、それを完全に証明できる人間はいない。もし仮にいたとしても、相手は山のような体格の大男2人組だ。既に多くの客が集まり始めていたが、誰も状況に手を出すことは出来なかった…。
「あそこに?」
「へぇ、たしかにさっき、入っていったのを見ましたが……お姐さん、本当に行くんですかい?」
「依頼だからね。やらなきゃ金は貰えない」
「……無茶だ。相手は東の大陸でも相当暴れたって評判のごろつき共ですぜ?ちょっとやそっと腕が立つくらいじゃあどうにもならねぇ」
「……教えてくれてありがとね。これは報酬」
「やめといた方が……って金貨3枚⁉︎こんなに受け取れませ……あぁちょっと!……行っちまった」
「なんだぁ?それとも、どっかの変態に売り飛ばされる方がいいってのか?」
「ち、違いまっ……くぁっ」
男が女性の胸倉を掴み上げる。
「うっ……!」
その時、臭い息が掛かったのだろうか。思わず女性は顔を背けた。
「……っこいつ‼︎」
その態度にか、男は激昂した。女性を持ち上げ、石の床に投げ落とす。女性はしかと身体を打ち付ける。
「このアマ!人が下手に出てりゃ調子乗りやがって!おい早くしろ!今からこいつを……」
男が唾を飛ばしながら捲したてる。血走った目が爛々と光っていた。
と。
「その辺にしといた方がいいんじゃない?」
水晶のように透き通った、されど芯の強い、凛々しい女の声だった。エプロンの女性に迫っていた男が振り返る。
「大の男が寄ってたかって……口が裂けてもカッコいいとは言えないわね」
肩口で切り揃えた、薄い金の髪。光の粒子を反射、放出しているようかのような、幻想的な美しさがある。顔は逆光でよく見えない。背はすらりと高い。軽装だが露出が少ない格好で、背中から右半身も覆うように皮のマントを着けている。腰には鞘に入れられた剣が見えた。
冒険者のようだ。
「なんだぁ?テメェ……」
男が冒険者の女に近付く。敵意を隠そうともしていなかった。
「……それに」
にじり寄る男にまったく動じず、女冒険者は言葉を続けた。
「アンタはさっき『ガルボソ焼き』って言ったけど。その欠片を見る限りじゃ、それは嘘だね。ガルボソ焼きはそもそも、西方の山奥で採れるネガータフかチェ=リリソンの粘土質を高温で焼いて、その上に釉薬をかけて……更にガルボ・ソエルイの木の実から採れた着色料を塗りつけ、今度はそれを低温でじっくりと焼いて完成する。2層構造なの、簡単には割れないわ。もうひとつ言えば、ガルボソ焼きは」
女冒険者はそこで言葉を切る。男はゴクリ、と生唾を飲み込む。
「『焼き上がると綺麗な青になる』。程度の差は勿論あるけど、そんな茶色にはまずならない」
男の顔がみるみる青褪める。かと思うと、すぐに茹で蛸のように赤くなり……。
「……このクソアマぁ!」
女冒険者に掴みかかる!
「テメェみてぇな、テメェみてぇな田舎モンに何がわかる‼︎こいつはおれたちの話なんだ、よそ者が邪魔しないでもらおうか?ええっ⁉︎」
女冒険者は答えない。代わり、口をモゴモゴ、と動かす。
「あぁ⁉︎なんだ?聞こえね……」
男の言葉はそこで遮られた。しゅるり、鞭のような物体がしなり、男の頭を締め付けたのだ。それで、男は満足に声を出せなくなった……見たところ、女は何かを呟いた以外には変わった動きをしていなかった……「女自体は」。
「むっ、ぐぶっ……!」
女冒険者は右腕を、否、右腕のあるべき場所から延びたソレを、一層きつく絞った。
義手だ。この女は右腕がない。代わりに、恐ろしく精密に細かな部品を組み合わせた義手が、男の首に巻きついている。
口を動かしたのは、この「義手」を開かせるための魔法詠唱だったのだ。
「むぶぅ……!」
目を白黒させる男は、メキメキ、と嫌な音を頭蓋骨から響かせている。このまま締め上げれば、男の顔面は瓢箪みたいなシルエットに変貌するだろう。その前に女は義手を緩めた。男が崩れ落ちる。義手はまるで独立した生物のように、複雑なモーションで女の右半身へ収まる。
様子を見ていた周囲がざわつく。この女冒険者に締められた男はぴくぴくと痙攣を繰り返している。もう1人の男はぽかんと口を開けてしばらく二の句も継げずにいたが……やがてはっと我に返り、そして。
「ふざっけんじゃねえぇぇぇっ‼︎」
盗賊刀を抜いた!
「うおおおっ」
男が吼える。三日月のように曲がった、独特な刀身が煌めいた。女冒険者もこれに即応、すらりと長い剣を引き抜く。
「ふッ‼︎」
力任せの盗賊刀の一太刀を、女の剣が受け止める。かと思えば、剣が盗賊刀へ襲い掛かる。火花散るほどの攻防に、辺りはちょっとしたギャラリーになっていた。
いけーっ、やれーっ、捻じ伏せろ!多くの野次は女の味方だった。ごろつき男は追い込まれ、左の逆手で剣を振るう女冒険者に押されていた。
「はあっ!」
決着は呆気なかった。焦燥に支配された男の一撃は浅く、女に踏み込みを許した。装飾は少ないが、どこか気品に溢れた剣は、刃を男の喉元に食い込ませる。
男はぎょろりと目を剥き、ガタガタ震え始める。盗賊刀を取り落す。やけに大きく、そして乾いた音が響いた。
「--このまま少し剣を引く」
女の冷ややかな声が吐き出される。
「するとお前は、滝のように血を噴き出す羽目になる」
言葉通り、ぐ、ぐと、食い込んだ刃は引かれていく。それを追う男の目に涙が光る。
「こいつは斬れ味がいい。硬い鉱石でも、バターみたいに斬っちまう。況んや人間をや、だ」
男の震えが一層激しくなる。筋肉質な厚い首の皮はいとも容易く裂かれ、真っ赤な鮮血が滲み出してくる。
「たす、けて」
「断る」
男の哀願を斬り捨てる。剣の刃は平行から上へ向き……そのまま女は何もしない。何もしなくても、白目を剥いて泡を吹いた男は勝手に気絶する。倒れ伏した男の足元に、小便のシミが広がった。
瞬間、歓声が巻き起こる。拍手が波に渦になる。華奢な体格の少女が、その倍ほども大きい男を2人も打ち倒したのだ。ギャラリーの興奮もひとしおであった。旅芸人の男はラッパを鳴らし、花売りの娘は造花のシャワーを撒き、ドワーフの老人は全員奢りだ!と気前よく宣言しながらジョッキを掲げて歌い出す。やがて酒場兼食堂は、冒険者の女を讃える歌--なお即興--でもって包まれた。ねえちゃんも一杯飲め、と差し出されたのを丁重に断り、女冒険者は店から去ろうとした。
「あ、あの」
…その背中に、声をかける者があった。
女冒険者は金の髪を揺らして振り向く。見れば先程、ごろつき共に絡まれていた女性であった。
「何?」
「助けていただいて、本当にありがとうございます!その…それで、何かお礼がしたいな、と……」
「いいのいいの、どうせこの足でこの町出てくんだから」
素っ気ないが、声音は優しい。女は軽く手を振っていなすが。
「じゃあ……せめて、せめてお名前だけでも!」
エプロン姿の女性は食い下がる。女冒険者は仕方なく、少し襟を正して。
「ミラ、よ。私の名前。私はそう名乗って、他人にもそう呼ばせてる」