6-25 エピローグB
香の匂いが充満した、酷く甘ったるい部屋に彼女はいた。
部屋は豪奢の一言。天蓋付きのベッドに、壁には多数の色鮮やかな絨毯が掛けられている。床にはアクア・エルダードラゴンの背中の皮革で作られた敷物が。
黒塗りのチェストは鉱石竜と呼ばれる素材で作られたもので、脇には着物を入れた藤籠などが並んでいる。
ただし、それらを台無しにするかのように、室内には酒の空き瓶がごろごろと転がっていた。
部屋の主人は掃除をする部下たちから何度も一カ所にまとめるようお願いされているのだが、聞く気はない。正確には興味がないので、すぐに忘れてしまうのだ。部下たちが部屋を片付けるように言わないのは、彼女のその性格を理解しているからである。いつかは酒瓶をまとめるようにすら言わなくなるかもしれない。
では香を焚いているのは酒臭さを隠すためだろうか?
そんなわけがない。酒瓶があちこちに転がっていても気にしない剛毅な女性なのだ。その程度を気に掛けるような神経があれば、こんな残念な部屋にはなっていないだろう。
香を焚いているのは単純明快。それが必要だったからである。
「あっは。面白いヤツが出て来たもんだこと」
「面白い……ですか?」
「アキツが殺られるくらいだよ? これが面白いと言わずに何て言うのさ?」
彼女は身体をくの字に折り曲げ、堪えられないといった感じでゲラゲラ笑い始めた。
「危険ではありませぬか、魔王様」
「然り。こやつと意見が同じなのは好かぬが」
「あのアキツが倒されるとはな……」
部屋には彼女以外に七人の姿があった。
否、七体と呼ぶ方が良いのかもしれない。
それらの外見はすべてにおいて異形。亜人となどとてもじゃないがいえない。
アキツを欠いた八刀将の全員が、彼女の前にいた。
「おれが先ずは出向くか?」
「黙れヤマト。脳筋が出向いてもヤツには敵わん」
「なんだと、イシム、やるか?」
「だから脳筋だと言うのだ……」
幹部たちが喧嘩する様を彼女——「剣舞の魔王」はくつくつと嗤いながら見守る。
そうこうしていると、彼らも自分たちの様を彼女に見られていることに気付き、喧嘩をやめた。
「なんだ、おしまいかい? まあいいさ」
彼女はベッドから下りて床に胡座を掻き、着流しから片腕を放り出す。豊かな胸はさらしでしめつけられていて、その谷間からサイコロをひとつふたつ、みっつよっつと次々取り出していった。
「ああ、アキツはいないから七つでいいんだっけか」
八つ目のサイコロを取り出した後、そう呟いて仕舞い込む。
「まあ時間さえかければアキツはまた作り直せる。それよりあんたら、意見が分かれればコイツの役目だろう?」
言って、サイコロを各自に放った。幹部たちも黙ってそれを受け取る中、イシムだけが「剣舞」へ問い掛けた。
「七つ……ですか? まさか……」
「ああ。アタシも直接会ってみたいからねえ、あの甘ちゃんと」
「アキツを倒した男に甘ちゃん、ですか」
「そりゃあそうだろ! ドワーフどもをちゃんと守ってるしエルフも生かしてるし。これが甘ちゃんと呼ばずに何て呼べばいいのさ。ハハハ。メサイアのやつも、どうしてこんなのと手を組もうと思ったのか」
「『叡智』が!?」
「ああ。そこら辺、会ってみないとわかんないだろうからね。アタシも振らせてもらおう」
一拍置いてから、さてと彼女は告げる。
「じゃあ一斉に行くよ。誰と被っても文句は言わない。空白は空白のまんまだ。いつも通り、いいね?」
こくりと全員が頷き、一斉に七つのサイコロが宙を舞う。
やがて重力に引かれたサイコロたちは床に落ち、各自の数字を示した。
「うはっ!」
「ぬっ」
「くう……」
「むぅん」
「ぐぬぬ」
「ええ……」
「…………」
「ちっ」
「剣舞」だけが喜色を浮かべる中、他の面々は全員渋い顔を浮かべていた。
ただ、このサイコロの結果を見る者がいれば、それも頷けることだろう。
「魔王様、またイカサイでも使ってませんよね」
「ああん!? イシム、あんたアタシがイカサマなんてしてるってのかい!?」
「かつて何度もやられましたので」
「忘れた! あ、違う! 記憶にない! だからアタシはやってない!」
「どうだか……」
示されたサイコロはあまりにも異様な数字を浮かべている。
幹部たちの前に示されたのは全員揃って六。つまり、襲撃するのは六番目……最後ということ。代わりに全員揃っているため、死ぬ可能性は限りなく低くなる。
対して、「剣舞」に出た目は——
「アタシが一番乗りだ。いっちゃん好きな数字が出るんだ。縁起が良いねえ」
一だった。
◇◆◇◆
雪と氷に閉ざされた極寒の魔王城と言われれば、誰もが想像するのが「叡智の魔王」だ。
世界最大を誇るエルキア大陸とほぼ同等の大きさのサルニア大陸。この二つの大陸はすぐ側にあることからも、かつてはひとつであったのではないかと学舎たちは口にしている。
不思議なことに——あるいはだからこそ、といえるのだろうか。それぞれを支配していた魔王もまた、全魔王中トップワンツーの実力者である。
今ではエルキア大陸を支配していた「強欲の魔王」が「英雄の勇者」に討たれたことで、サルニア大陸を支配する「叡智の魔王」が最強の魔王ということになっている。
ゆえに「叡智」の魔王城もまた、他の魔王城よりは巨大だったり荘厳だったりするのだが——深夜の城内を密かに行動するひとつの影があった。
その影は誰にも気付かないうちに……あるいは気付かれても問題ないかのように動き、ついには狙い通りの部屋へと潜り込む。
「ぶわっ!?」
「……乙女の、閨に……無遠慮にも、程があるわね……」
闖入者に浴びせられたのは強烈な吹雪。その片手片腕を凍て付かれ、男はため息を漏らす。
「そりゃあ、夜這いをかけるのだからね。無遠慮になるのも仕方ないでしょ」
「——ハ。夜這いが必要な程……私は、困って、ない……」
「まあその見た目なら納得かな。初めまして、『叡智の魔王』。悪いんだけど、これ、溶かして。寒い」
「自分で、どうぞ……慮外者でも……それくらい、できるでしょう……?」
「いいんならよろこんで」
男は魔力を収束させ、腕足に纏った氷をいとも容易く溶かした。
本気ではないとはいえ——「叡智の魔王」が凍らせた手足を、だ。
その様子を見ていたメサイアは色の薄い唇を僅かに持ち上げ、瞳に鈍い光を宿した。
「慮外者にして、こそこそと、動き回る……ネズミ……か」
「ちゅー! って鳴けばいいかな?」
「それで? 何の用かしら、ネズミ——『継承の勇者』、は」
「………………ちゅう」
男は一瞬大きく目を開くと、すぐに苦笑を浮かべて黒い髪を掻いた。
「バレてるか。さすがに称号を覚醒させた魔王は違う。それが『叡智』だなんて卑怯にも程があるよ」
「つまり……あなたもそう、という、こと……ね」
「まあね。他の『勇者』だと『神託』とか『氷姫』、『隠者』とかかな」
メサイアは男の様子を眺めながら、挙げられた「勇者」の異名に「英雄」や「欠落」がないことに疑問を抱いた。が、すぐに「叡智」の称号を活用し、理解する。
同時に内心で笑った。
「欠落の勇者」……「英雄の勇者」はいまだに称号を覚醒させていない。そんな身で「強欲の魔王」を倒したというのだから、桁外れにも程がある。
また、それを敵とまではいかない距離で手に収めた自身に賞讃を送った。
間違いなく彼は特異点たる存在なのだと確信を深めながら。
「それ、で……? 何の用なのかしら、ね?」
「夜這いを掛けに来たって言ったけど?」
「そう……。ネズミ風情に、身体を許すほど——安い女に、見える、かしら?」
言って、メサイアは殺気を放つ。
ただの殺気ではありえない。魔王級の存在がその身の魔力を宿した殺気だ。
ある程度のレベルを持つ者であれば、無意識にでも過剰な魔力を体表に薄く展開している。それでなんとか堪えられるというのが、魔王の殺気。ここでいう堪えられるというのは死なない、ということだ。堪えられないようなか弱い存在は、ただ殺気を放たれただけで命を落とす。
誰が知ろうか。あの悪名高い「強欲の魔王」が生涯で殺した膨大な数の内、約三分の一はただ殺気を当てられただけで何もできずに命を落としたなどと。
そして殺気の質は、現最強の魔王とされるメサイアのそれもまた、「強欲」に負けず劣らずのもの。
それを浴びてなお——「継承の勇者」は笑った。
残念なことに、冷や汗程度は流していたが……それでも、その程度。震えることすらなく、メサイアへ笑ってみせた。
「……ほう」
「……冗談キツいな。いきなり殺しに掛かるとか」
「死んでない、でしょう?」
「死んでなきゃ殺そうとしたけど問題ないってのは暴論だと思うけどな」
はあ、とため息を吐きながら彼は続ける。
「じゃあ、二番目の目的。いや、一番目はあわよくばってだけで、本題って言うべきかな?」
「よくも、いけしゃあしゃあと……。その、濁った目……をして……」
メサイアは男の狙いを看破していた。
男は「継承の勇者」だと言った。そして称号を覚醒させているとも。
それは嘘かもしれない、という疑惑はメサイアにない。一般的に知られている二つ名や異名ではなく、「称号」と口にした時点でそれはわかる。覚醒していなければ、称号の意味を理解することすら不可能なのだから。
ゆえにこの世の誰もがそれを理解しないまま口にしている。覚醒し、本当に理解しているのであれば、その名を口にすることに多少の抵抗は覚えるものだ。
なにしろ、それは自身の持つ能力を晒していることになる。それもステータスに表記されることすらないという、切り札に近いものを、だ。
男の称号は「継承」。すなわち、何かを「受け継ぐ」という能力。
それが意味するところはメサイアの「叡智」と同じく、非常に幅広く柔軟だ。応用があまりに利き過ぎるといってもいい。
だからこそメサイアは一切の油断を見せない。「継承」の称号がどこまでの能力を持っているのかはわからないが、とかくそれらはジャイアントキリングを可能とする。最強の魔王と謳われたところで、死ぬときは死ぬのだと彼女は理解しているのだ。
あるいは、この世の誰よりも。
「疑問なんだよね。アナタならわかるでしょうに。どの魔王も大なり小なり動いてる。けど、『叡智の魔王』ともあろうアナタが動きを見せてないのは不可解だ」
「それ、が……ネズミに何の関係、が……ある、と?」
「あるよ。迷惑だ。『嫉妬』みたいな小物はともかく、『叡智』みたいなビッグネームが動いてないってのは迷惑過ぎる」
「…………そう。なら、安心、なさい」
「へ?」
メサイアは逡巡する様子もなく、告げた。
まるで昨夜の献立が何だったか述べる程度の気安さで。
「私は、もう、動いている。気付かれないよう、慎重に……けれど、大きく……」
「は? いや、そんな馬鹿な。だって…………待て。じゃあ、アレって……」
何かを察したかのように、男の唇は真一文字に引かれた。
「…………絶対、ロクな死に方しないね、アナタ」
「ご挨拶様。私みたいな、善人は……ネズミよりは、マシ、よ」
これまでの軽薄な態度を消したまま、男は舌打ちをひとつして影に解け、その場から消え去った。
メサイアは男に気付かれないよう付与した魔法の糸の感触を確かめながら、笑みを浮かべる。
揃った、といってもいい。
来たのが「勇者」でしかも覚醒していたのは予定外だったが、予想外ではなかった。
彼女にとっての最悪のケースとは、今この場で「欠落の勇者」が自分に弓引いて来た場合のみだった。
それがなかった以上、今のメサイアの計画を止める者はいない。
「さて——始めましょうか」
そう呟いた瞬間。
空を蓋していた暗雲が薄くなっていく。
厳寒の魔王城に降り注いでいた雪が、止む。
「世界大戦を再開させるわ」
その様は誰が見ても納得できるほど——魔王の笑みだった。
ようやく長かった第六章が終わりました。第五章と地続きなので特に長かった。
悲しいかな、次の第七章も似た感じになりそうです。
ここでお知らせ。
今後もできる限り毎日更新を続ける予定なのですが、ひょっとすると更新できない日が出てくるかもしれません。
というのも話のストックとプロットの兼ね合いやリアルの事などで。
基本予約投稿なので、予告なしに更新しない日が出て来るかもです。
楽しみにしている方も多いようで、申し訳ありません。
でも期待には応えられるよう頑張ります。
感想やレビュー、評価などいただけたら凄い嬉しいです。本当に励みになります。
今後も「欠落の勇者の再誕」をよろしくお願いします。




