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轟音が鳴り響く。雷鳴にも似た轟音は一瞬の後に破壊の嵐を巻き起こした。
グリーンドラゴンの放つ〈ブレス〉だ。風属性のそれは一発一発が砲弾並の火力を誇り、木も岩もすべてまとめて木っ端微塵に吹き飛ばす。それを呼気ひとつで繰り出すというのだから、ドラゴンがモンスターの中でもどれだけ規格外かわかる。
「おら! 手ぇ止まってんぞ! あと口も! 普段ピーチクパーチク騒いでんだから、こういうときくらい滑らかに魔法撃てや!」
メイを小脇に抱え、俺はある程度安全な距離から「太陽」パーティを叱咤激励する。
いやー。いいネ、この立ち位置。安全な場所から言いたい放題。ストレス発散に最適。メシアがぎゃあぎゃあうるさいのも、メイが鳥頭で腹立たしいのも、この瞬間のためだったと思えば救われた気分だ。
いや、メイは許さんけど。罰を与えるけれども。
「といっても……! ひゃああっ!」
メシアが魔法を放とうと集中した瞬間、魔力に敏感なドラゴンはすかさず前脚で彼女を捉えようとする。
「させる、かあああぁぁっっ!!」
横からアイリーンが駆け寄り、叫びながら長剣を振るう。一〇〇レベルオーバーである彼女が振るう愛剣ともなればそれなりの切れ味は約束されたものだろう。
だが、それでもドラゴンが誇る竜鱗は破れない。刃と鱗が衝突した瞬間に高い金属音が響き、火花を散らす。
切断は不可能。されども、メシアがドラゴンのスタンプを避ける時間は稼げた。
ならば回避しながら魔法を放てる……はずなのだが、メシアの集中はドラゴンの一撃から回避するのにすべて費やしてしまったようで、反撃の一手が打てない。
「馬鹿が、集中切らすな! ドラゴンほどの敵が攻撃繰り出す隙を作るか! こういうのは無理矢理捩じ込んで行くんだよ!」
「そんなことを言われても……っひぃ!」
鞭のしなる音が鳴る。ドラゴンの尾による薙ぎ払いだ。
その速度は、尾の巨大さや重量からすれば考えられない程の素早さを持つ。
「ちっ! メイッ」
「了解なのです!」
あのままだとメシアもアイリーンもまとめてぶっ飛ばされる。即死はしないだろうが、戦闘に参加するのは無理だ。
仕方なくメイを軽くその場に放り、俺が駆けることにした。
「どっせいっ!」
一歩踏み出す毎に、「太陽」パーティの姿が一瞬で流れていく。三〇〇レベルオーバーの敏捷力は一歩ずつ格段に速度を上げ、瞬く間に尾の付け根へ俺の身体を運んだ。
「〈星光の牙〉っ」
スキルを発動。勇者ロールでは得られないが、特殊な条件をクリアすることで修得可能なスキルだ。
僅かな時間だけ身体強化と、次の一撃の威力を大幅に引き上げるというもので、消費魔力が膨大であるため連発も多用もできないが、有用なスキルである。これがあるかないかで戦闘の運び方は大きく変わるためだ。
勢いを乗せた拳を尾の付け根に放つ――直前に、拳では威力が高過ぎることに気付いて慌てて掌底に切り換える。だが拳と掌底では繰り出す際の身体の動きがやや違う。そのため、威力が本来のそれとは見るも無惨なまでに落ちた。
「なっ!?」
「ド、ドラゴンが浮いたっ!?」
危ねえとこだった。拳だったら尻尾が爆散してたところだ。
俺の一撃でドラゴンは一瞬だけ宙に浮き、その衝撃で尾先の攻撃は大きくメシアたちを逸れた。すかさず俺は後退し、放り投げたメイをキャッチして小脇に戻す。
「ちゃんと魔法は使ったな?」
「もちろんです! 三重にやってやりましたですっ」
メイのロールは魔術師。敵の能力を減衰させる魔法を主とする。
どのスキルを行使したかは知らないが、三重にも掛ければこれだけレベル差があったとしても、実感できるくらいに劣化しているはずだ。
「今の見てただろ! メイのおかげで劣化してるぞ! 今のうちに畳み掛けろ!」
「みなさん! ファイトですっ」
言いながら、義眼のスキルでドラゴンの残存体力や魔力を確認する。
グリーン・ドラゴン。レベル一四九。ロールは錬金術師。ドラゴンにはあまりうまく噛み合ないロールであるため、ドラゴンという種族のみのスキルだけで戦っている。だからこそ、これだけレベルが掛け離れていても「太陽」パーティは欠けずにいられるのだ。いやまあ、もちろん、俺の協力があってこそなのが大部分なのだけれども。もっと俺に感謝しろ。「抱いてッ!」と言うなら抱いてやらんこともない。
魔力はともかく、体力の方は今の俺の一撃で一気に二割削った。残り四割強。
「五割を切ったか……」
モンスターや魔族などは体力が五割を切ると動きが鈍くなる。人間だって疲れたら動きが鈍るのと同じ理屈だ。それに加えてメイの魔法もあり、相当遅くなっている。
だが、それはあくまでも二割を切るまでの話。そこからは己が生命を守るために本来のステータス以上の猛攻を見せる。そのうえ、モンスターたちの種族固有スキルである〈死の拒絶〉によって一時的に〈超直感〉や〈身体能力超強化〉のスキルが発動してしまうのだ。
ゆえに、モンスターとの戦いで油断は禁物。叩けるときには一気に叩き、そのまま冥土まで押し切ってしまうのが良い。「ゴブリンを舐めるな」とは新米冒険者が冒険者ギルドの職員や先輩からいの一番に学ぶものである。
「これでも喰らえっ」
アリアは自分の腰にあるポーチに手を入れ、そこから魔法薬の入れた小瓶を取り出し、放る。ドラゴンの首に触れた途端に小瓶は割れ、中身が溢れる。無色透明なその魔法薬は触れた対象を腐食させるというもの。
魔法薬であるため全身に効果が及び、一時的にドラゴンの防御力がさらに低下した。
「あのスキルずるいよな……」
商人固有スキルである〈商売袋〉は、自身の持つ袋やバッグの積載量を大幅に増やすというもの。また、重さも三分の一以下に軽減される。さすがに袋の口以上の大きさのものは詰め込めないが、その範囲であればいくらでも放り込めるというわけだ。
アリアはそれを活かし、腰のポーチに戦闘用アイテムを入れているようだ。やっていること自体はメイと同じだが、回復アイテムなども持てるという意味で、どちらが優れているという話ではない。
ただ、旅をしていると当たり前だが荷物がかさ張る。それに重い。その問題を解消してくれるという意味で、商人のロールは卑怯だと思う。「勇者」にもそういう便利スキルくれよ。
「アイさん! 少しだけ時間を稼いでくださいっ」
「あいよっ」
メシアがドラゴンから距離を取り、目を閉じて魔力を収束し始めた。そしてその前にアイリーンがドラゴンの攻撃から彼女を守る。
そんなことをしなくては魔法を使えないのかとも思うが、おそらくかなりの大技を放つつもりなのだろう。
スキルの行使には魔力が必要不可欠。そのスキルの消費魔力が多ければ多い程、魔力の充填には時間がかかる。そのうえ集中が途切れてしまうと、それまで注ぎ込んだ魔力がすべてパーになるのだから最悪だ。ロールの経験値にもならないし。
だからこそ、大技を放つ前にああして集中するのは彼女の力量不足を証明してはいるものの、悪い手ではない。それは彼女ができる範囲で堅実に歩もうとしているからだ。それを嗤うことなど誰にできよう。
そしてアイリーンに盾役を任せたのも正しい。彼女は聖騎士と守護者という守りに特化したロールを保有している。
守護者ロールの固有スキルとして〈守護の盾〉があり、誰かを守るといった状況に限り、耐久力が大幅に上昇するのだ。それに加えて聖騎士のロールによるステータスの恩恵も加わり、今の彼女なら前のドラゴンの〈ブレス〉ですら数発は耐えるだろう。
だが、そんなことドラゴンは知らない。ヤツが知っているのは、アイリーンの後ろにいるメシアが膨大な魔力を収束しようとしていることだけ。そちらに顔を向け、口を開こうとした瞬間――
「わたしをっ! 無視、するなああああああぁぁぁぁっっ!!」
「なっっ!?」
――ソフィアが純白の輝きを剣に点し、凄まじい一撃を放った。
刃は竜鱗によって守られている翼を切断。ドラゴンが予想だにしない激痛に身を捩らせながら悲鳴をあげた。
「ご主人様……」
「今のは……」
俺がつい先程放ったスキル〈星光の牙〉だった。
◇◆◇◆
ソフィアはドラゴンの周囲を、勇者のステータスを活かして駆け回っていた。
アイリーンには常にメシアとアリア両名をいつでも守れる距離で戦ってもらい、二人はそれぞれのやり方で敵を攻撃する。その三人に注意が向かないよう、ソフィアが敵を常に攻撃し続ける。
それが「太陽」パーティの強敵を相手にした戦法であり、確実な方法だった。
一人での行動が許されるほど、「勇者」のステータスは高い。
筋力や耐久は「騎士」に勝り、敏捷は「舞踏家」や「武闘家」より高く、魔力も「魔法使い」や「魔術師」に比肩する。
もちろん、同様の上位ロールである「賢者」などには敵わない部分もあるものの、普通のロールよりは遥かに優れたロールなのである。
だが、それでも限界は当然ある。ソフィアは知る由もないが、彼女のレベルが一一四なのに対し、ドラゴンのレベルは一四九。その差は三五レベル。隔絶した力量差がそこにはあった。
ましてやドラゴンには竜鱗という護りがある。そのため、ドラゴンはほとんどソフィアの方を見ようともしなかった。
予想以上の強敵に、ソフィアは歯軋りする。目頭が熱くなりそうだが、こんな戦闘中に泣いている暇はない。ほんの僅かでも、ドラゴンの意識は引けているのを感じている。あちらに完全に意識を集中されるのに比べればマシだ。
それに竜鱗に攻撃を阻まれていようと、ダメージそのものは蓄積している。当初はずっと無視されていたが、少しずつソフィアの方を向く頻度も増えていた。
全身が熱を持っている。気怠さが手足の先から徐々に侵食し始める。弱音が今にも口から飛び出してしまいそうだ。
「でもっ!」
彼女が憧れ、超えたいと思う「英雄」ならばそんなことはない。
会ったことなど一度もないが、何故か彼女にはそれが断言できた。
どんなにボロボロになっても、明らかに勝てないだけの実力差があっても、「英雄」はきっと諦めずに剣を取り、敵に何度だって立ち向かうはずだ。
巷に出回っている「英雄」の噂は彼の偉業に対し、異様なほど少ない。尾ひれが付いたものを除いて確かなことがあるとすれば、黒髪で黒目、中肉中背ということくらい。そういった「勇者」なら多く存在する。今回一時的に加わった「欠落の勇者」も該当するくらいだ。
そう。「勇者」は多い。他のロールと比べて「勇者」を所持する者が稀少というだけであって、人類の母数から考えれば「勇者」は沢山いるのだ。
それは彼女とて逃れられない。「太陽」という二つ名を与えられ、「勇者」だからと誉め称えられているものの、彼女自身は何も偉業を為せていないのだ。
困った人を助ける? そんな「勇者」など星の数ほどいる。
現在存在する「勇者」の中で偉業を為した者など片手で足りるほど。
その中でも際立って輝きを放つ「勇者中の勇者」こそが「英雄」だった。
だから彼女は憧れた。
だから彼女は目指した。
そんな「勇者」と肩を並べられるように。
なのに――眼前のドラゴンはソフィアをほとんど意識しない。
それが許せなかった。もっと自分を見ろと叫びたい。意思を剣に込め、魔力を纏わせて振るう。しかし、ダメージはほとんど入ったように思えない。でも諦めてたまるものか。その一心で彼女は戦い続けた。
「――あっ」
そんなときだった。
ドラゴンは一対の翼を利用して重心を支えている。だからこそ、両手や尾をあれだけ振り回してもバランスが崩れないのだと気付いた。
ドラゴンの注意が前の三人に完全に向いた瞬間、ソフィアは地を蹴って翼へ向かった。
それが悪手だった。
びゅん、と音が鳴る。
ドラゴンの尾が一際大きく持ち上げられ、しなる。
何をしようとしているかなど一目瞭然。すぐに脚を一歩前に出し、尾を振るう気だ。
宙空に跳んでしまったからこそ、ソフィアは気付いた。尾の射程距離に仲間がいる。どうにかして止めなければならない。だが、宙空に跳んでしまったソフィアにはどうすることもできない。
ゾッとした。
頭から血の気が引く音がした。
胃に鉛を詰め込んだように、腹が重くなった。
その瞬間だ。
「欠落」を名乗る男が連れていた少女を放り、凄まじい勢いで尾の付け根へ疾走する。
如何なるスキルを発動したのか、彼の右腕に魔力が宿り、純白に発光していた。
「〈星光の牙〉っ」
攻撃系スキルは発動にその名を詠唱しなければならない。それが彼の発動していたスキルの名前だった。
先程までの疾走の速度など、今目の前で起こったスキルによる威力と比べればかわいいものだ。巨躯を誇るドラゴンの身体を一瞬とはいえ宙に浮かすほどの威力。破城槌の一撃にも似た攻城兵器並の破壊力。
ドラゴンが短く苦鳴を上げ、尾の動きがぶれた。おかげで仲間たちは攻撃を喰らわずに済んだ。
「欠落」はそれだけの攻撃を放っておきながら、ドラゴンの挙動を気にもせず、すぐにその場を去って仲間の少女を拾う。ややして、ソフィアはその少女がドラゴンの能力を劣化させていたことに気付いた。同時に彼女が魔術師のロールだったことを思い出す。
「なに、アレ……」
けれど、そんなことはどうでもいい。
今の一撃はなんだ?
今のスキルはなんなのか?
ぞわりと身体が震えた。胸と腹部が熱くなる。全身が総毛立っていた。
「あだっ」
双眸を見開いてその光景を注視してしまったため、ドラゴンの身じろぎで翼にぶつかってしまった。辛くも着地し、少し敵から距離を取りつつ、今の光景を思い返す。
「…………」
今もまだ目蓋の裏に、脳裏に、意識の大部分にあの純白が色濃く焼き付いている。
――すごい。
単純に、素直に、そう思った。
かの「英雄」の話を聞いたときに思ったように、そう思えた。
自分もああなりたい。
あんなスキルを使いたい。
ああして敵を倒して、もっと偉業を成し遂げたい。
そしていつか――「英雄」の隣に並び立ちたい。
そのためには――
「あのスキル……!」
どくん、と心臓が跳ねる。胸が騒ぐ。血潮が猛る。脳髄に電撃が奔る。
羨望の奔流は脈打って全身を駆け回り、魔力を伴って深淵に到達。
そして彼女はひとつのスキルを手に入れた。
「〈ハイパーラーニング〉」
それは彼女が本心から憧れ、狂おしいほど渇望したときにだけ発動するスキル。
自覚的に使えるものではないが、それだけに凄まじい性能を誇っていた。
すなわち――「一度目にしたスキルを瞬時に体得」するスキルである。
「わたしも……あんな風にっ!!」
スキルの名はわかっている。彼女は迷わずそのスキルを行使しに入った。
が、直後に驚愕する。
「う!? なにこの魔力消費量っ!」
〈星光の牙〉に必要な魔力量は膨大だった。彼女が万全の態勢でいてなお、二度放てるかどうか。戦闘中に他のスキルも行使することを考えれば一度しか使えないと考えていいだろう。
ただ、それでも。
今のように超強化した逆転の一手を放てるようになるのであれば、惜しくはない。
「……く、ぅ」
スキルを発動するために魔力を収束する。
魔法のように外部へ放つスキルと違い、これは身体の内部に効果を及ぼすスキルだ。そのため、大気中の魔力を利用することができない。純粋に自分だけの魔力で発動させるしかないのだ。
貧血にも似た立ち眩みが起こる。だがそんなものは気合いで捩じ伏せた。
脂汗を流し、顔を青ざめさせつつも、彼女のまなじりは吊り上がり、牙を剥く。
「その厄介な翼……もらうわよっ!」
片足を退げ、地面を蹴って駆ける。
スキルを発動。魔力は両手で握った剣に宿り、純白の輝きを点している。
「〈星光の牙〉!」
跳躍。
ドラゴンの意識はアイリーンに守られたメシアに注がれている。
今ならば敵の妨害を気にすることなく、スキルの発動に専念できた。
だが、腹が立つ。
ここまで接近していても自分に注意を払わないとはどういうことなのか?
ましてや自分の仲間を今にも殺さんとばかりに〈ブレス〉を吐こうとしている。
そして――「英雄」とはまた別に、ソフィアの胸にその存在を強く刻み付けた「欠落」という男まで、メシアたちの方を向いている。
それを意識すると、余計にムカムカが強まった。
だから、吼える。
怒りを刃に注ぎ、叫んだ。
「わたしをっ! 無視、するなああああああぁぁぁぁっっ!!」
純白の一閃が振るわれた。
それはソフィアの予想以上の威力を誇り、これまで阻まれていたのはなんだったのかと言いたいくらいにやすやすと竜鱗を切り裂き、一対の翼を両断する。
それと同時に、凄まじい虚脱感。
意識が今にも飛びそうだ。
けれども、彼女は嬉しそうに、挑発的に、笑みを浮かべた。
「どうだぁっ!」
目の端に、限界まで片目を見開いて驚愕する黒髪の「勇者」がいたからだった。