4-13
「ご主人様っ!?」
転移の魔具を使い、メイはあちこちを彷徨っていた。運良く誰にも見付からなかったのだが、時折隠れてやり過ごそうとしていたとき、話し声が聞こえた。
どうも「叡智の魔王」は人間の「勇者」と戦っているらしい。そして、他にもその仲間となる人間たちが向かっているようだ。それにはトールが一人で向かっているが、我らはどうすべきだろうか……というもの。
それを聞き、魔王と自分の主人が争っているなら凄まじい音の方へ向かえばいいはずだとメイは判断する。それは魔王城の郊外にある森の方から聞こえた。雪に閉ざされた森はとても怖かったけれど、主人がいるのならと思うと、足は震えなかった。
何度も凄まじい爆発や雷の音が聞こえた。その度に足が止まりそうになるが、涙を必死で堪えながら、駆ける。
そうして、森を抜けた。そこは楕円形の広場のような場所だった。広場というにはあまりに広大ではあったが、そんなことはどうでもいい。
それよりも――目の前で爆発が起こり、彼女の親愛する主人が吹き飛ばされたことに心臓が止まりそうになる。
「ごしゅ、ご主人様っ!」
それは想像もしていない光景だった。
メイはどこかで、自分の主人ならば相手が魔王であろうと難なく倒せるだろうと思っていた。
これまでの旅路での彼の余裕綽々な態度が、自分を絶望から気楽に救い上げてくれた様が、そう思わせていたのだ。
とんだ勘違いだ。そんなことはあるはずがない。
世界最高峰の実力者。各大陸を統べる剛の者。それが魔王という存在だ。
そもそもとして、「英雄の勇者」以外に魔王を倒せた人間など存在しないのだ。
降り注ぐ雨の如き「勇者」たちを前に、濡れずに済むような絶対の存在が魔王なのだ。
メイの見ている前で、主人は吹き飛ばされ、全身から煙を上げながら、受け身も取れずに雪に落ちる。
メイは泣きながら、雪を掻いて、そちらへ向かった。
「ご主人様! ご主人様ぁっ!!」
「ぁ……メ、イ……か?」
「そうです! メイです! ご主人様! 大丈夫です!?」
訊ねながら、自分で馬鹿じゃないかと思う。大丈夫なわけがない。無事と呼べる部分なんて何ひとつないではないか。
服は焼けてボロボロだ。一部は溶け、肌と癒着してしまっている。あちこち火傷していて、炭化している部分も多い。肌に白い部分などなく、赤黒くなっていた。
「〈星の……産、声〉」
主人が回復魔法を詠唱する。ジュウ、と肉の焦げる音がして、全身の傷が癒されていった。しかし、それでもまだ足りない。ただ、それで呼吸は少し楽になったようだ。
「ご主人様……ご主人様ぁ……」
「泣いてる暇なんかないぞ、メイ。相手はメサイア……魔王なんだからな」
起き上がろうとし、短く苦鳴を上げて目を閉じる主人。そんな姿を、メイはこれまで一度として見たことがなかった。
それを思うだけで、胸は刻まれたように痛み、心臓は張り裂けんばかりに拍動を加速する。はらはらと涙が零れていくが、止めようもない。
「逃げ、逃げましょう! 謝れば! 謝れば魔王様も――」
「馬鹿言え。俺は逃げないよ」
言って立ち上がろうとし、膝が震えて崩れ落ちる。メイはそれを支えようとするが、支え切れずにそのまま倒れてしまう。
「俺は『勇者』だから、逃げちゃ駄目なんだ」
「なんで……なんでです!?」
「いや、今『勇者』だからって言っただろ。……いや、違うか」
ふ、と主人は相好を崩し、微笑を浮かべる。
それは非常に素直な、すとんと心から溢れたような微笑だった。
「俺はきっと、嫌なんだ」
「嫌……です?」
「ああ」
たぶん、メイにはわからないけれど、主人にはきっと色々あったのだ。
そしてやはりわからないけれど、ただの「嫌」とは違い、色んな意味があるのだ。
自分は馬鹿だから、それがどういうものなのかわからない。
けれど——それをどうして、主人が一人で背負わなくてはいけないのだろう?
どうして自分を魔族だと嫌がりもせず救ってくれ、他の人たちも助けているような主人が、そんな重荷を背負わなくてはいけないのか?
「……メイ。さっきぶっ飛んだ剣持って来い。終わったらへし折るから、それまでは失くすわけにもいかん」
「だめ、だめです……。ご主人様、今度こそ死んじゃうです……」
「死なん。こんなとこで死んでられん」
「でも……」
「主人の言うことを聞かない奴隷は要らないぞ」
「ふ、ぅ……うう、でも……」
「っち。そういやおまえ、いざとなりゃ死ぬ気だったな。この馬鹿め……」
ふらふらとしているが、それでも主人は懸命に顔を歪ませながらも、自分の足だけで立ち上がった。それからメイの頭に軽くチョップしてくる。
「駄剣だが、アレがないと戦えん。戦えないと、負ける。負けたら死ぬ。ほら、取って来る他ないだろ?」
言って、笑う。何故か、笑っている。
それがメイにはわからなかった。
わからなかったけれど――これまで通りの笑みだったから、メイは引き下がるしかなかった。
「と、取ってくるです!」
「そうそう。うんうん、奴隷は斯くあるべしだな。駄剣とは比べ物にならん」
何やら自分の評価が上がったようだが、そんなことはメイにはどうでもよかった。それよりも、一刻も早く剣を持って行かなくてはならない。そうしなければ主人が死んでしまう。それはメイにとって、下手をしなくても、自分が死んでしまう以上に怖いことだったのだ。
主人が死に、自分はこの世界にただ一人取り残される。
エミリーもいつかは住処へ帰ってしまう。
それは、恐怖。考えたくもないくらいの恐怖だった。
「えっと、えっと……あったです!」
主人が吹き飛んでいた方向を考えてあちこち顔を向け、ようやく見付ける。それは非常に綺麗な剣だった。
『ギョアー! 魔族! 魔族が来ました! 何処へ行ったのですか「勇者」は!』
「ふぇっ!?」
突如、子供のような高い声がする。どこから聞こえたのか辺りを見回すが、どうも剣が喋っているようだった。
「と、とにかく……ご主人様に持って行かないと……」
『イヤー! 汚されるー! 魔族が私に触らないでー!!』
「痛っ!?」
剣を手にした瞬間、手のひらが焼けるように痛んで咄嗟に取り零す。手のひらを見てみると、少し火傷していた。みるみるうちに水ぶくれができてくる。まるで高温に熱された鉄棒を素手で触れたかのようだった。
『そうでした! 私は聖剣、破邪の剣! 魔族風情には触れもしないのですよ! ふふふん!』
「でも、ご主人様に……!」
『イヤァァ! 魔王の下に連れて行かれるー! 魔剣になっちゃうー! あの脳筋馬鹿と同じとか嫌あああ!』
ジュウ、と手が焼ける音がする。けれど、歯を食い縛って我慢する。
この剣がなければ主人は死んでしまうという。それならば、手が火傷を負うくらいなんということはない。痛みに涙を流しながら、それでも、もう二度と剣は離さない。
そうしてようやく、主人の元へ帰り着く。
「でかした」
「えへ……」
主人は笑って、メイの頭を撫でた。
それが異様に嬉しくて――二ヶ月振りの再開だったことを思い出す。
涙がますます溢れ、頬が熱い。
気が弛み、これまで安眠が一度としてできなかったこともあって、メイは意識を落としてしまった。
その闇はこれまでの闇とは違った。
あたたかくて、包み込む様な、安寧の闇だった。
◇◆◇◆
その光景をメサイアは驚愕の眼で見ていた。
突如現れたのは魔族だ。魔王である彼女は魔族かそうでないかを看破するスキルを有している。
現れたのはただの魔族ではない。ここサルニア大陸では「強欲」との戦争で滅んだとされる、ドッペルゲンガーという稀少魔族。
どういう理由か、そのドッペルゲンガーは人間の少女の姿をしていた。そして「欠落」を主人と呼び、魔王たるメサイアを前にして何の気にも留めず、ただ愚直なまでに主人の言うことに素直に従っている。
(なん、だ……?)
わからない。わからない。わからない。
演算開始。解析不能。理解不能。
魔族の少女が聖剣へ近付き、聖剣が嫌がる。それを手にする少女。ここからでもわかるくらい、手のひらがみるみるうちに焦げていく。それでも、最初は驚いた様子で落としてしまったが、痛みがあると理解してからは決して手放さずに主人の元へ辿り着いた。そして主人が頭を撫でると、すべてに安堵した様子で気を失う。
(わからない。何故、あんな……すべてを信じた目を……)
ふと、既視感がメサイアを襲う。
(あんな……目を……私は……)
知っている。
その目を、自分は、知っている。
けれど、もうそれは二度と取り戻せない。
壊されてしまった。殺されてしまった。
目の前の――あの「勇者」の手によって!
(殺さなくては、ならない……)
今一度覚悟を決め、迷いを払う。
そうしてメサイアはまた一歩、足を前に進めた。
◇◆◇◆
「おい、駄剣」
『な、なんです……? というか、なんですかこの魔族! 何故あなたをご主人様と――まさか!? あなたは「勇者」なのに魔族を奴隷にしているのですか!? 「勇者」が奴隷を持つだけでも――』
「へし折るぞ」
『なんです?』
いつまで経っても学習しない、俺を苛つかせることだけには特化したクソみたいな駄剣だな。
何が聖剣だ。ふざけてんのか。これが聖剣だというなら聖刀も要らん。むしろ魔剣か妖刀の方が余程良さそうだ。
本来の得物が一番なのは変わらないが。というか喋らなくて良く切れて丈夫ならそれでいい。
喋る要素要らんだろ、剣に。
「聖剣だというなら、奇跡のひとつやふたつ起こせないのか?」
『む、無茶をおっしゃいますね、あなたは……』
「ちっ。ただ喋るだけで聖剣とか。本当ただの駄剣だな」
期待はずれもいいとこだ。
『で、できますよ! なんならその怪我全回復させましょうか!?』
「要らん。……短時間でいい。俺の左腕を復活させろ」
『え……と、それはできるかどうか……』
「やれ。でないと、メサイアに殺られる。今度こそ、オマエも折られるぞ。あるいは魔剣に変換されるかもわからん。メサイアは『錬金術士』だからな」
『全力を傾けます! ええと……一時的なものですし、私はそれにかかり切りになってしまうので、もう手伝いはできませんよ? 危険があっても忠告できませんし……』
却ってプラスじゃねえか! もっと早くそれを言えやクソが!! もう嫌だこの駄剣!
「やれ。俺の右腕を参考にすればいい」
『わかりました』
メサイアをちらりと見る。少しずつ、しかし確実にこちらへ近付いて来ている。いつでも俺を殺せると判断しているからだろう。
『あと五秒……四、三……二、一……』
ぞわり、と射精にも似た快感が左肩から奔る。思わず口角が上がった。
目を向けると、蒼白い輪郭を持つ、薄く黄金色の光を放つ左腕がそこにはあった。軽く動かすと、意図通りに動く。時間差も皆無。左腕が復活したと思っていいだろう。
同時に、確信する。
悪魔との契約を果たせば――左腕を復活させる奇跡もきっと、この世にはある。
なにせ悪魔との契約状態でさえ、一時的に左腕を復活させられているのだ。契約を解消した後ならば尚更の話。
「……ふ、ふふ」
笑みが零れた。果たして何年振りだろうか、両手で剣を振るうのは。
元々は両手剣を使っていた。利き腕を失い、片手剣に切り換えたというだけのこと。
俺のステータスは両腕健在の状態を示す。しかし隻腕であることによって身体のバランスは崩れるし、片手剣しか使えないことで威力も落ちていた。それに手数の問題だってある。だからこそ、俺は「強欲」やその配下の四天王たちを倒すのにあれだけのレベルを必要としていたのだ。
だが――両腕が健在であるのなら、魔王を倒すためのレベルはあんなにも必要ない。
隻腕というハンデを背負っていたからこそ、それを補うためにレベルを上げ、他にもありとあらゆるスキルを求めたのだ。
試しに左腕をメイへ向け、結界を付与してみる。問題ない。魔法も使える。
「は――はは、あはははははははははははははははははっっっ!!」
失っていた気力が一気に充填される。
怖いものなんてない。
それこそ――目の前に「強欲」が再度現れたところで、また灰燼に帰してやれる。
ましてやそれに劣る「叡智」など……どこに怖がる要素があるというのか。
こうなったら正面から打倒すればいい。そうして無理矢理に、俺の話を聞かざるを得ない状況にまで持ち込めばいいのだ。
いつもの話。
そう、いつも通りだ。
「そうだ。それが一番話が早い。圧倒的な力で黙らせる。そうだよ。それが俺だ。それが『欠落の勇者』じゃないか」
「何を、ブツブツ、言っている……の? たかが、腕が一本生えた、だけのこと、で……」
ハ——たかが、と言ったか?
よし、後悔させてやろう。
メサイアが魔法を放つ。即座に剣を振り、相殺。さらに前へ出る。
「――っ!」
「さっきとは雲泥の差だろう?」
まず第一に加速が違う! 一歩と二歩で倍以上の速度が出る。俺自身、少し驚いたくらいだ。
左腕を失ったのは随分昔のことなので、当時はここまでの加速はなかった。だが最高速自体は変わらないため、この急加速にもすぐ順応する。
一気に距離を詰める。一瞬目を丸くしていたメサイアは障壁を展開し、同時に魔法を放って来る。
それがどうした? こちらは魔法を切り裂き、同時に反撃の魔法も展開させる。
俺の放った魔法が障壁にぶつかっている内に体勢を低くし、刃を逆袈裟に切り上げる。メサイアは身を反転させてそれを躱すものの、返しの刃を氷の護りで防いだ。そして数歩後退。
「っく!」
「中距離まで逃げなくていいのかっ!?」
「減らず、口を……!」
氷塊と氷の弾丸が正面と頭上の二方向から迫る。
右腕を頭上へ、利き腕たる左腕で握った剣をメサイアへ向け、それぞれへ魔法を放った。
「〈星砕きの雨〉〈死喰らう神風〉」
メイを守る結界を張ったときに気付いたことだが、腐っても聖剣ということだろうか。この剣は光属性の効果を強化する働きを持っている。そのため、意図的に光属性を織り交ぜた魔法を選んだ。
メサイアは魔王であるため闇属性を自由に複合させられるので、それを相殺させる意味でも丁度いい。
岩弾が氷塊を破砕し、翠緑の颶風が氷弾を切り裂く。
「な——」
メサイアは自分の放った魔法が難なく処理されたことに驚愕の色を隠せない。
ああ、面白い。面白くて仕方ない。
そういう風に自分が絶対強者だと思い込んでいる連中を驚かせるのは、これ以上なく快感だ。
左腕が復活したことによる全能感。それに加えてこの快感。もう病み付きになるかもしれんね。俺も病気持ちになってしまうかもしれない。
メサイアを騙すという当初の作戦は使えない。俺が生き残る術は単純にメサイアを屈服させることだけ。
であるのなら、魔力の無駄遣いだなんだと言っていられない。全身全霊を込める。
本当の意味での全力だ。本気の全力だ。
回せ。魔力を回せ。普段使っていない加護も発動させろ。
風と地だけでなく、火も水も氷も雷も光も闇もその他もすべて——!
「上げてくぞ。死なないように付いてこい」
「人間風情がっ!」
「その人間風情の一人がある魔王を殺したことを、他ならないおまえが知らないって言うのか?」
「くっ!」
加護が目覚めて行くのを感じる。加護を循環して帰ってくる魔力はその量を減らしているものの、質が格段に変化する。そうすることで同じ魔力量でも桁違いの威力を生み出すのだ。
背に細長い菱形の加護が顕在化する。ソレは反対属性の加護が対となり、翼の如く。
もはやここまで来れば、メサイアも俺を内心で「英雄」と断定しているだろう。そもそも、その疑念が常々あったからこそ、しつこいくらいに俺へ訊ねてきたのだ。
だからこそ、今や目の前にいる敵が「英雄」だと判断し、戦うしかない。
だが――今の俺はステータスの差こそあれど、下手すると……当時を超えるぞ? なにせ両腕が揃っているのだから。取れる手段は倍以上になっている。
メサイアの放つ魔法を即座にスキルを用いて切り刻み、相殺し、砕いていく。
早い! 思っていた以上に剣閃が踊る! 素晴らしい!
梃子の原理により、剣は両手で持った方が簡単に切っ先を広げる。少しの動きで可動範囲が大きく変化するのだ。これまでは片手剣であったため、腕の動きがそのまま可動範囲になっていたが、今では両手を少し返すだけで体感して倍以上の速度で動かせる。
そして隻腕になって手に入れた、敵の攻めの中を無理矢理進み、攻撃の間隙を作り出す技術は今も光り輝いている。
剣の可動範囲が上がったことと両腕を自由に使えるようになったこと、この二つによって攻撃への対応が倍以上の速度になった。それはつまり、隙を作り出す手段が増えたということ。というより、隙でなかった部分までもが、今の俺では隙に思えて仕方ないのだ。
三つのスキルを併発し、攻撃を受け流しつつ、次手を誘導する。当然、それを妨害する手段は既に構築済み。さらに次のスキルを行使し、距離を詰める。
スキルだけでなく魔法も使う。加護の影響があるため、相手が魔王であっても力負けはしない。
「私は――負けられないっ!」
「違うな。おまえは負けることに怯えているだけだ!」
だから、決定的なところで間違える。
俺を殺すと判断したならば、メイがのろのろと剣を持って来るまでの間に俺を殺しておくべきだった。
それに「叡智」の二つ名通り、思案に耽ってしまうのも良くない。普通の相手ならばそれでもいいだろうが、他の魔王や俺のような敵を相手にそんな時間を相手に与えるのは大間違いだ。「叡智」とは程遠い、莫迦のやることだと言っていい。
「それで世界征服? 他の魔王も倒す? 笑わせるなよ! 俺を笑い死にさせる気か!?」
だとしたら、その手段は大正解かもしれない。今の俺は面白くて仕方ない!
両腕が揃う。ただそれだけで、こんなレベルで……魔王と戦えるのか!?
怖くない。何も怖くない。
当たり前だが、別に他の魔王に喧嘩を売ろうなどとは思っていない。両腕が揃っているこの時間はボーナスタイム。確変中だけの一時の夢でしかないのだ。
それでも――希望がある。
両腕さえ揃えることができるのなら、俺は、世界中の魔王に喧嘩を売れる。
それを希望と呼ばずに何と呼べばいいのか!
メサイアが〈詠唱破棄〉によって高速で放つ魔法を、すべて剣撃のみで叩き落とす。
一息の間に九連撃? 片腕じゃ到底できない芸当だな!
「おの、れっ!」
「遅いっ」
右から左へ払い、鉤爪を生み出した瞬間に相殺させる。
さらに距離を詰め、右腕を柄から離してメサイアの喉を掴んだ。
「がっ!?」
「終わりだ」
雪の上へメサイアを押し倒し、剣の切っ先を喉へ向ける。
「――いいえ。まだ、よ……」
「……? うおっ!?」
地震が突如起こる。咄嗟に手が弛んだ瞬間、メサイアは俺の拘束から逃れてしまった。
「アリェーゼ!」
「なんだなんだ……?」
地響きは止まない。ビキビキという音が足下から聞こえる。この先は――湖か!
「マズい!」
即座に後退する。
予想通り、湖の分厚い氷も、その上の積雪も突き破ってリヴァイアサンが出現した。
「ふん。だからなんだ? 身動き止めてやるぜ」
焦らず、メサイアの魔法を剣で弾きながら、右腕は足下へ向ける。
「勇者」は光と闇も合わせ、全属性を使える唯一のロールなのだ。
「〈時をも縫い止める停止の波動〉」
四音節の大魔法を行使する。氷属性のそれはリヴァイアサンが完全に抜け出ない間に破壊された氷を再生させた。正確には、その上から俺が新たに、より強固に凍らせた。
突然の、予想も付かない事態にリヴァイアサンは暴れる。されど、氷が砕ける気配はない。当たり前だ。氷属性の究極である時をも凍て付かせる魔法なのだ。ましてやたかが海龍風情が氷龍の加護の上乗せされた俺の魔法に勝てると思うなよ。
これは攻撃魔法ではない。そして対象が魔王であれば簡単に防げる魔法。
しかし、こうして環境に放つ分には、魔王でさえ防げない。「強欲」で実験済みだ。これでアイツの鬱陶しいメインスキルのひとつを潰したからな。あいつメインスキル多過ぎる。クソ厄介だった。
「大人しくしてろ。殺すぞ」
「強欲」を倒して得たスキルは基本的に即死系のものが多かったが、そのうちのひとつとして脅しを掛けるものがあった。これは相手を恐怖状態にするだけなので、消費魔力の都合上腐っていたのだが、こういうときには役に立つ。なにせ、魔王クラスでない限りは対抗できない。確実に恐怖状態にさせることができるのだから。
確実性を取ってスキルを用いたものの、使わなくても十分ではあっただろう。
俺のレベル、能力は客観的に見ても魔王級だ。
所詮は魔王のペットでしかない雑魚が魔王級の殺気を受けてまともに動けるものか。
「アリェーゼ!?」
「邪魔者はいなくなったぜ?」
再度、距離を詰める。メサイアは突然身動きひとつ取れなくなったリヴァイアサンへ驚愕していたようだから、余裕だった。
普通ならここで殺すところだが――メサイアは役に立つ。元々、殺す気もなかった。
逃れようとする彼女の手を取り、グッと近付ける。さながら、口寄せするかのように。
「話し合いの余地はないか? 『叡智の魔王』としてではなく、メサイア・ホワイト個人として、だ」
「な……に?」
「魔王としてのおまえには協力できない。おまえの配下になるのもまっぴら御免だ。だけどな、世界征服だったか? それ自体は、悪くない」
にや、と口角を吊り上げる。
「詳しくは話せないが、俺には色んな事情があって、世界中を旅しなくちゃならない。そのためにも、おまえの協力が必要だ。その過程で他の魔王と敵対することもあるだろう。けど、それはおまえにとってメリットでもあるはずだ」
メサイアの目が見開かれ、アメジストの結晶のような瞳に光が点る。
おそらくは俺が言っていることの意味やそのメリット等を考えているのだろう。いや、この状況で俺が自分を殺しに来ず、まさか話し合いに持ち込もうとしていることを怪訝に思っているのかもしれない。
まあ、それも当然っちゃ当然だ。散々殺し合いをしといてなんじゃそりゃ、と思うのは自然な話。
だが俺としてはそうではない。
メサイア——「叡智の魔王」の協力を得られるというのは、かなりデカい。
なにしろ彼女は世界最高の「錬金術士」だといえる。彼女が俺の要望通りの魔具を作り出せるとしたら、その価値は非常に大きい。
とはいえ俺の言うことを信用してもらわないとなので、クソ駄剣に潰された一言も追加しておく。
俺は優しいからなあ、余計な思惑で時間を浪費はさせないでやろう。
というか、俺がこれだけ優位に話せるのは駄剣の起こした奇跡で左腕が保っている間だけだ。あと俺の魔力が保つ間。時間はそうない。
一刻も早く話をまとめなければならない。
「おまえの子も、俺に協力するよう願うだろうぜ。何せ、『強欲』への妄執からおまえを解放して欲しいって言ってたからな」
「な――本、当…………に?」
「ああ」
勿論、嘘である。バラが喋るわけねえだろ。
けれど――そういう想いが俺の胸に浮かんだのはあの蒼いバラを見付け、悪魔から経緯を聞いたからだ。そしてやつを殺した後、何故かその後のバラの破片が放つ光はどこか柔らかだった。
俺がメサイアに言っているのは嘘だ。
だが、蒼いバラの存在がなければ、決して生まれなかった嘘でもある。
そして――嘘がすべてかというと、俺にはどうもそう断言できなかった。
最後の一パーセントだけは、俺以外の何者かの願いなのではないかと、思えてしまって仕方がないのだ。
……所詮は感傷であり、俺がそう思い込んでいるだけなのかもしれないが。
「おまえの『強欲』への恨みは、まあ、すべてとはいわないが、断片は理解できる。けども、それは終わったことだ。『強欲』は死んだんだ」
区切り、さらに告げる。
「それなら、おまえも前へ歩み出さなくてはいけない。犠牲にした者のためにも。それが配下を率いる王の――魔王のすることじゃないのか」
とても重いことを言っている自覚はある。
酷い重責だとも理解している。
しかし、それが王だ。王はすべてを背負う義務がある。だからこその王なのだから。
トールほどの忠臣がいるのだ。
あれほどの忠臣がいるということは、逆説的に、彼女は王としての責務をこれまできちんと成し遂げてきたのだろう。
なら、道を違えてはいけない。
失敗してもいい。後悔してもいい。
だが、それに足を取られ続け、前に進めなくなるのは違う。
人にも魔族にも、生きている者にはきっと、血を流してでも進まなければならない瞬間というのがあるのだ。
メサイアにとっては、きっと、それが今だ。
目の前が茨の道だとしても、素足で歩み出さなくてはならないのだ。
「安心しろ。俺がいる。怯んだら背中から切り捨ててやる。嫌でも前に進まなければならない」
「……フ、フフ、ハハハハハハ!」
突如メサイアは笑い出し、両手を俺の背に向けた。何をする気かと思えば、顔を一気に近付けて口付けてきた。勢い余って前歯がぶつかって痛い。唇が裂けて血が出てきた。こんな酷いキスってあるだろうか。
「フ、クク、クククク……」
「何笑ってんの? 痛いんだけど」
「フン、喜びなさい。私が自分から、本心で口付けたのは……貴方だけなのだから」
そう言って、メサイアは「叡智の魔王」に相応しい笑みを浮かべた。
――――直後。
「っっっっ!?」
「ッッッッ!?」
凄まじい魔力の波動を感じ取る。思わずメサイアは俺にそのまましがみつき、俺も彼女を抱き留める。
咄嗟に警戒するが、何事もない。ふと見れば、リヴァイアサンの恐怖状態も解除されている。
なんだ? 何が起こった?
いや、実際は理解している。これは……。
「馬鹿な……」
「魔王が……この感じは、『嫉妬』ね……信じられないけれど……」
俺にも、何故かわかる。そうか、これが魔王を倒したときの魔力波か。
「嫉妬の魔王」がたった今、何者かに討ち滅ぼされた。
人生はサイコロのようなものだと、何時か何処かの詩人が言ったらしい。哲学者かも。
六という最高の目を出した直後、一という最悪の目を引くかもしれない。
そんなことを、俺は今、何故か頭に思い浮かべたのだった。




