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欠落の勇者の再誕  作者: どんぐり男爵
「欠落の勇者」と「叡智の魔王」
46/129

4-4 幕間

(…………驚いた)


 トールは修練場で「欠落」との稽古を終え、自室でシャワーを浴びていた。当たり前だが漆黒の全身鎧は外しており、全裸である。

 何故か「欠落」が激昂してからの稽古は筆舌し難いほど苛烈な攻めが多く、必死で食らい付くことすら無理な場面が多々あり、一瞬とはいえ意識が飛ぶこともあった。単純な意味の汗でも冷や汗でも、どちらにしろ滝のように流した汗は気持ち悪く、こうして熱い湯を全身に浴びていると生き返るような気持ちになる。


(それにしても……あれよりまだ上があるとは。『欠落』殿の底が見えないな。私も魔王様の側近として恥じぬよう、もっと強くならねば)


 人格はさておき、トールの中で尊敬すべき者として永遠に一位を独占し続けているのが「叡智の魔王」であるメサイアだ。それは揺るがないものの、凄まじい勢いで乱入した挙げ句、メサイアに匹敵するほどの高みへ現れた闖入者がいる。それが「欠落」だった。


 普段の立ち居振る舞いはともかくとして、彼は非常に尊敬すべき対象だとトールは思っている。特にメサイアの側近として側に侍り、彼女と話している彼を見ていると、余計にそう思えた。


 単純な実力は考えるまでもない。

 もしも左腕があり、右目もあったならば「英雄」に比肩するどころか上回るのではないかと思えるほどだ。「英雄」のことをトールはよく知らないが、少なくとも尊敬するメサイアと肩を並べられるのではないかと畏れ多くも考えてしまうのだ。


 それほどまでに、片腕と片目を失うことのデメリットは大きい。体幹のバランスは崩れてしまうし、蹴りも拳も、武器を振るうならば尚更、片腕は辛い。戦力が半減するといわれてもおかしくないだろう。それに加えて片目を失うことにより、距離感が正確に掴めなくなり、そちら側の視界が塞がれる。

 普通ならばそれで旅をするのは諦め、どこかで隠居していいくらいなのだ。


 しかし、彼は歩みを止めない。狙いは定かでないが、目標のために強固な意思で邁進し続けている。メサイアが彼を手の内に欲するのも頷ける話である。もっとも、そう後押ししたのはトール自身なのだが。

 同じ勇者のロールを持ち、種族として人間と魔族という違いもある。それなのに、彼はこちらを歯牙にも掛けないほどの実力を有している。それはまるで魔王のような実力者ではないのか。


 恐るべき猛者だ。

 だからこそ、魔族に対して偏見や差別を持たず、公平に接しようとしている彼の精神性には頭が下がる。他の部下たちの対応に彼がいつ怒り出さないかと胃を痛める日々だ。


 ただ――最近は胃でなく、別の部分が痛む。それは心臓のように感じていた。

 トールの種族に関して知っているのは別に「叡智の魔王」だけではない。「医師」のロールを持つ者も知っていた。トールが病気や大怪我を負ったときに治療してくれる者たちが種族を理解しているのは当然である。種族によっては使えない薬草などもあるのだから。

 トールはそうした者に自分が病気か訊ねてみたが、心臓や肺などに異常は見られないという。


 であるならば、この胸の痛みは何なのだろう?

 自分の胸に手をやり、肌が水を弾く様を見ながらトールは思った。


(……それにしても、危なかったな)


 まさかヘルムの繋ぎが壊れるとは思わなかった。幸い、魔具としての機能は問題ない。修理もあの程度ならば自分でできるし、済ませていた。そのため剣を取って帰るまでに時間が掛かったのだが、サリューにのしかかって関節を極めている「欠落」を見たときのことを思い出すと、何故かまた胸が痛んだ。


(なんだというのだ……?)


 そう思い、胸に手をやる。やわらかい感触が返ってきた。

 それは否応なくトールに自分の身体を意識させてしまう。


「……私も、そうして生まれていたならば」


 自分の胸部にある控えめだが確実に存在する双乳を見ながら、呟く。その声は普段発しているそれと違い、高いものだった。


 トールの身長は一六〇センチほど。なのに、魔王が下賜した全身鎧は一九〇センチ用のものである。普通ならば決して装備できない品であった。

 メサイアはトールを高く評価していた。そのため、用意された専用の装備がそれだった。

 あの全身鎧は魔具であり、装備することにより、他者から装着者のステータスを視られないようにする機能があった。だが、それはついでに他ならない。本来ならばそれがメインの防具なのだが、トールに限ってはそうではなかった。


 あの全身鎧を装備しているときに限り、トールの身体は赤い光を帯びた魔力体へ変換される。ある意味、妖精や精霊のような身体へ変化するともいえるだろう。

 流動する筋肉のようなものなので実体は存在せず、スリットから突きを入れられても眼球や脳が破壊されることはないし、もしも腕を切り落とされたところで問題はない。もちろん、痛み自体は発生するし、体力も低下する。しかし、血は流れない。流れるのは体力とリンクされた魔力である。

 あの鎧を着用しているときに限り、トールの体力と魔力は同じとみなされ、それは合算値になる。スキルを行使する際には体力を使っているといえよう。声が男性のように低くなるのは見た目に違和感を持たせないためのオプションであった。

 トールは身体を洗った後、湯船へ身体を潜らせる。それから尾を丸め、抱くように抱えた。


「どうして私はサキュバスとして生まれたのだろうな……」


 サキュバスという種族は魔法に対して非常に高い適正を持つ魔族だ。そのため魔力のステータスがよく伸びる。必然的に、適格なロールは「魔法使い」や「魔術師」など、魔法を放つ後衛系ロールだ。

 なのにトールは「勇者」だった。「勇者」にも魔法はあるが、威力が凄まじいのに比例して反動は最大値だし、魔力消費量も激しい。そのため、鎧を着用していてはそう簡単に放てるものではない。

 普通なら魔力が枯渇しても死なないが、あの装備をしている間は本当に死んでしまうのである。サキュバスのステータス補正上、魔力値は高いが体力値が低いため、結局はトントンといったところ。「勇者」のステータス補正のおかげでほんの少しはマシだが。


 尾は夜闇を思わせる蒼黒色。先端は猿などのように丸みを帯びている。立派なサキュバスほど先端は稲妻のように折れているのだが、トールのそれは違う。むしろ低い身分のサキュバスのそれだ。ましてや「勇者」である。故郷の村から迫害されても仕方ないし、家族から忌み嫌われたのも当然だ。


 そんなトールを拾ってくれたのが「叡智の魔王」だった。正確には徴兵があった際に喜んで送り出されたのだが。

 その徴兵は「強欲の魔王」と戦うためのものだった。引き分けに終わったとされているが、実際はそうではない。トールにすら聞かされていないが、それで「叡智」はひどい屈辱を「強欲」から受けたそうで、凄まじい復讐心を抱いている。


 そうして当時の「叡智」の魔王軍はほぼ全員戦死した。実質負けのようなものだったが、「強欲」自身が何故か引き分けに終わったと主張していたため、そのようになった。当然「叡智」の魔王軍もタダでは死なない。「強欲」の魔王軍も当時の九割が戦死した。そのため、その主張は当然のように世界中に受け入れられたのである。


 そして、数少ない生き残りの配下たちへメサイアは褒美を下賜した。それがトールの場合はあの鎧だったのである。まだ若かったトールはともかく、他の生き残りたちは皆老衰で死んでいった。彼らはトールの忠誠心を理解し、自分たちの武器や魔具などを彼女へ渡して旅立ったのだ。すべては彼らも敬愛し、尊敬する魔王を守るために。

 以降、トールの側近としての立場が確立することになる。


「……ぷくぷくぷく」


 湯に口まで身体を沈め、口から息を吐きながら考える。トールの癖だった。長風呂派なので、こうして湯に浸かりながら色々と考えてしまうのである。

 果たして自分は、魔王様の役に立てているのだろうか?

 それがいつもの悩みだ。こうして毎日毎晩、全身真っ赤になるまで湯に浸かり、風呂上がりに一杯の酒を煽って寝るのが恒例の日課でもあった。もっとも、それは夜だけの話ではあるのだが。


 しかし、ここしばらくの悩みは違う。

「欠落」のことである。


 今日は何故かキレられたが、一本取ったのはとても嬉しかった。自分の努力が報われたと思った。

 無論、彼が手加減していたのは知っている。けれど、自分の全力が剣技だけですべてあしらわれているのは絶望的なことだったのだ。

 これではあのときから――「強欲」との戦争のときから、成長していないのと同じ。

 そういった苦しみを、「欠落」と出会ってからずっと抱いていた。そしてこの二ヶ月間は日毎に強まる一方だった。

 それが今日、報われたと感じられた。結局そのあとはボコボコにやられてしまったのだが、それでも嬉しかった。

 確実に強くなっているのだと、これまでの経験や努力は無駄ではなかったのだと、実感できたから。


 あの日、初めて彼と邂逅した日。

 トールは「欠落」に自分の欠点を曝け出すように敗北し、それで絶望しそうになった。これでは亡くなった仲間たちに顔向けできないと本気で思った。それから必死に訓練し、そうして「欠落」と再開し、稽古を付けてもらえるようになり、それまでの訓練にも意味がないのかとまた絶望し――そうして、今日の一本だ。


 これまでの人生を思えば僅かな時間だ。

 しかし、堪え難いほどに苦しく密度の長い時間でもあった。

 それはサキュバスの村で暮らしていたときの迫害よりも、もっともっと大きかった。


「……ふへ」


 だからこそ、嬉しい。

 どうして隙が生まれたのかはわからないが、ともかく、「欠落」から一本を奪ったという事実がこれ以上なく、堪らないくらいに嬉しいのだ。


「あ、いけないいけない。……へへ」


 自分は魔王様の側近なのだから浮かれてばかりはいられないと頬をこねくり回してキリッとした顔を作るが、すぐに崩れてしまう。それくらい嬉しくて仕方がなかった。

 何より、あの顔である。一本取られた際の、あの呆然としたような顔。普段は蛇のように細い目付きの癖に、目を見開いて驚いていた。


 彼は割と表情が多彩に見えるが、どうも作り物のようにトールには感じられた。もしかすると、自分も側近としての立場を意識して気を張り、態度を作っているからかもしれない。けれど、あの表情は本物だった。彼の仮面を剥がせたような気がしてならない。


「いや……。まだ、だめだめだ、私は」


 むん、と表情を硬くする。

 あの後のことを考える。あれから何戦したかもう定かではない。おそらくあまりの痛苦に頭が記憶を消そうとしているのだろう。

 それでも、覚えていなくては。戦闘を最初から繰り返し脳内で再生し、なぞる。


「あれほどの剣技に、あれだけ多彩なスキルの数々。バケモノとしか思えないな……」


 あれは本当に自分と同じ「勇者」なのだろうかと疑いたくなるくらいだ。それくらいに「欠落」は圧倒的な実力を見せてきた。最終的にはサリューや他の者たちが「欠落」の足にしがみついて「もうやめてください」と懇願する程だった。残念なことに、簡単に振り解かれて再戦することになったのだが、その後の一回で終わったのはあの者たちのおかげだろう。感謝しなくては、とトールは思った。


「……あ、そろそろ時間か」


 メサイアが気を利かせているため、「欠落」との稽古の後には結構な時間がトールには与えられていた。だからこそ、これだけのんびり湯に浸かっていられるのだ。


「魔王様も『欠落』殿の存在価値を意識しておられるのだな」


「欠落」がトールをはじめとして一部の配下の者たちへ稽古を付けるようになり、彼らのレベルが劇的に上昇しているのは既に報告済みである。「強欲」との戦いによって「叡智」の魔王軍は壊滅的なレベルで弱体化した。あれから随分と時間が経つものの、レベルアップに必要な経験値が高い魔族ではなかなかレベルが上がらず、結果としてあの戦争以前よりも弱体化してしまっている。


 だからだろう。「欠落」が稽古を付けることで、一部とはいえ驚異的なスピードで魔王軍の平均レベルが上昇していた。そのことにメサイアが機嫌を良くしないわけがない。そのため、最近は「欠落」との夕食の際など、表情が表に出ることも多くなった。ほんの僅かではあるものの、戦争以前と以降のメサイアを知るトールからすれば瞠目すべき変化なのである。


 少しずつ、昔のように、すべてが上手く回っていた頃のように戻っている気がした。

 もうあの歯車を壊した「強欲」はこの世にいない。

 復讐する対象を失くしたメサイアは一時的に激怒したが、今では落ち着いている。おそらくは代わりに「英雄」を憎んでいるのだろうが、そこは仕方がないとトールは思っていた。


 トールはメサイアがどのような屈辱を「強欲」から受けたのか知らない。

 だが――推測することは十二分にできた。

 それは、想像するのも厭なものだ。敬愛し、尊敬する自身の主人がどれだけ熱い業火に精神を灼かれていたのか、考えるだけでも苦しい。

 だからこそあの凶行に出たのだろうが……アレだけは、自分の主人が恐ろしいと感じた一件だ。そして「強欲」への恨みがどれ程のものなのか、深く知った。


「『英雄』には悪く思うが、すべては魔王様のためだ」


 言って、鎧を着用し、ヘルムを被る。すべての繋ぎが一体化した瞬間、魔具の効果が完全に発動する。感覚としては何も変わらないのに、一瞬にしてすべてが鎧の大きさに合わせた身体へ変化しているような感じだ。

 それから仲間に譲られた漆黒の大剣を背負う。

 そうしてトールは部屋を出ていった。

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